心の奥底に深い傷があり、人を愛することができない。自分は欠陥人間なのだと思う。というか、心底悲しい。 もちろん、自分なりに人を愛するとはこういうことかと、賭けのように確信してみたり、そして、結果的に僕の人生はもうほとんど過ぎてしまったので、その中には、神の十分の恵みのもとで、愛は与えられたのだと思う。その意味では、愛することがなんとかできたのかもしれないし、そこにはなにか信仰のような思いはある。感謝もある。 Acimを通しても、ある人への嫌悪はどうしても抜けない。それをもって愛することができないというならまだできない。赦すことができないかと問われれば、赦すことはできるようになった。Acimのイエスが言うように、それはなかったのだというならそれも理解できる。 だがそれでも、沸き起こる嫌悪感は抜けない。そしてその奥になお怒りが隠れているのではないかとも思う。 昨晩は寝つかれずそれを見つめて、泣