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historyとriverに関するyookudのブックマーク (5)

  • 中区に流れる見えざる川!? 歴史とともに姿を変えた「千代崎川」とは? - はまれぽ.com 神奈川県の地域情報サイト

    はまれぽ調査結果! 千代崎川はかつて中区に存在した河川。歴史と共に姿を変えて、現在は小港の河口付近にのみその姿を見ることができる。 かつて中区を流れていた「千代崎川」 かつて横浜市中区に千代崎川(ちよざきがわ)という川があった。 関東大震災前の千代崎川の流路(画像提供:長沢博幸) 南区山谷を源流として最後は中区小港の河口から海に流れ出たこの川はかつて全体にいくつかの支流を持ち、中区の柏葉・麦田・大和・上野・千代崎・北方・牧・小港を横断した。 多くの住人の思い出に残りさまざまなエピソードの舞台となった川であったが、現在その姿を見ることはできない。1962(昭和37)年に川の大部分が暗渠(あんきょ)化され(蓋をされ)地下に潜った“見えざる川”になったからである。 わずかに小港から東京湾に流れ込む部分のみが覆われず開渠(かいきょ)として、道行く人々の視線にさらされている。 現在「千代崎川」と言

    中区に流れる見えざる川!? 歴史とともに姿を変えた「千代崎川」とは? - はまれぽ.com 神奈川県の地域情報サイト
  • 利根川東遷概史

  • 実施報告 『春の小川』の流れをめぐるフィールドワーク:里川文化塾│ミツカン 水の文化センター

    唱歌「春の小川」のモデルとして有名になった河骨川(こうほねがわ)は、渋谷川の一支流。歌詞に描かれたのどかな小川の風景は、山の手に広がる無数の谷筋を流れる小河川の典型的な姿でした。都市河川の暗渠化の背景にはさまざまな歴史的経緯があり、型通りの理由では説明がつきません。単に暗渠の蓋を開ければ都市河川の復活ができるわけではなく、背後にある事情と現状を正しく知ることが必要とされます。  第4回里川文化塾では、暗渠化河川の典型と見られている渋谷川を例に取り、実際に歩いてみることで、都市河川を里川にする糸口を見出そうと試みました。 実施概要 日時 2012年2月5日(日) 10:00 〜 17:00 会場 ハロー貸会議室 Shibuya 国立オリンピック記念青少年センター 参加者数 23名 ワークショップリーダー 東京大学総括プロジェクト機構 「水の知」総括寄付講座特任助教 中村 晋一郎(なかむら し

  • http://www.asahi-net.or.jp/~vm3s-kwkm/tone/edogawa.html

    江戸川は下流域も人工河川 江戸川(利根川と渡良瀬川の合流以降)の流路は1625の新川通し開削に続いて1641の関宿〜野田間のバイパス流路の開削など上流のほぼすべてが治水のために流路を変えられた人工河川です。 下流域では今に見える江戸川が大昔からそこにあった・・それが常識です。 否、三郷市以降の江戸川も江戸初期に開削された人工河川である、ことを考察してみます。 利根川の下流域は正保図(1644〜1648)の時代では、隅田川筋、古利根川筋(現中川)、利根川筋(現江戸川)の3筋があります(古利根川筋と利根川筋の間にもう一無名の水路がある)。 現中川筋が古利根川、すなわち正保図時代ではここが往古の利根川だった。 しかし、太政官符にも吾鏡にも義経記にも「スミタ」と「フトイ」の2筋の河川名しかでてきません、3筋目の川はどこから現れたのでしょうか。 1947年のカサリン台風による桜堤決

    yookud
    yookud 2011/12/25
    江戸川は下流域も人工河川
  • Tama River

    yookud
    yookud 2010/11/12
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