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*WikipediaとSALTに関するyoooshi99のブックマーク (3)

  • 2000年に核戦争? | WIRED VISION

  • 第二次戦略兵器制限交渉 - Wikipedia

    第二次戦略兵器制限交渉(だいにじせんりゃくへいきせいげんこうしょう、英語: Strategic Arms Limitation Talks 2、SALT II)は、アメリカとソ連との間で行われた、互いの核兵器の数を制限する交渉、およびその結果締結された軍備制限条約のこと。 冷戦期において、米ソ両国は核兵器の開発・生産競争を行っていた。1972年に調印された第一次戦略兵器制限交渉(SALT I)の協定においては、両国の弾道ミサイル保有数の上限が定められていた。 この第二次交渉においては、第一次交渉に加え核兵器の運搬手段(ICBM、重爆撃機(Heavy bombers、戦略爆撃機を指す条約上の概念)、SLBM)の数量制限と、複数弾頭化の制限が盛りこまれた。 1979年6月18日、両国はウィーンで条約に調印したものの、ソ連がアフガニスタンに侵攻したことを理由としてアメリカ議会の批准拒否により、そ

  • 第一次戦略兵器制限交渉 - Wikipedia

    第一次戦略兵器制限交渉(だいいちじせんりゃくへいきせいげんこうしょう、英語: Strategic Arms Limitation Talks 1、SALT I)は、アメリカとソ連との間で行われた、互いの核兵器の数を制限する交渉、およびその結果締結された軍備制限条約のこと。 冷戦期において、米ソ両国は核兵器の開発・生産競争を行っていた。しかし、軍備増強に歯止めが必要となったことから、両国は核兵器運搬手段に関しての制限交渉を行うこととなった。1969年よりヘルシンキで交渉が開始された。1972年5月に交渉は妥結し、モスクワで調印が行われた。 ただし、これは両国の保有する弾道ミサイルの数量を追認し、追加を行わない軍備管理を規定したのみで、核弾頭のMIRV化、その数量などに対する制限はなく、ミサイル数もソ連の方が多いものであった。 両国のミサイル保有制限数 アメリカ: ICBM - 1,000基、

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