「バルト三国」という呼び名の理由 バルト海の東岸に並ぶエストニア、ラトビア、リトアニアの3カ国を総称して「バルト三国」と呼んでいます。それぞれ小さな国なんですよね。エストニアの面積が日本の約9分の1、ラトビアとリトアニアは、およそ6分の1ですから。 三国とも首都の歴史地区と呼ばれる区域に中世以来のさまざまな建築様式が現存していて、その美しい町並みは、世界遺産に登録されています。 何かと「バルト三国」とひとくくりにされる三国ですが、宗教や言語などの相違点も少なくありません。それでも「バルト三国」という呼び方が日本で定着したのは、近代以降の歴史に要因があります。 「密約」で旧ソ連に取り込まれる 三国は、近代以前はそれぞれ独自の歴史を刻んできましたが、地理的環境から、常に東方のロシア、西方のドイツからの侵略にさらされてきました。18世紀からはロシア帝国の支配を受けるようになります。20世紀に入り
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