サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは本日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。
牡鹿半島の大原浜でコツコツと活動を続けている古民家修復活動。昨日まで、松山市にある自然食レストラン草々から神野さんが訪ねて来てくれて、5日間滞在していた黄柳野高校の最終日キッチンサポートも行ってくれた。 この日に合わせて、大原の漁師さんが見事に育った牡蠣を沖合から収獲していただき、牡蠣フライや牡蠣焼きなど盛り上がった! 「身が一杯でうまいっちゃ〜」と自ら焼いてくれた区長さん。 同時に、古民家の上側に建っている1897年築の蔵横で浸水して全壊判定の家屋撤去が始まった。 蔵の土壁を守るためにも、雨水対策や風通しが必要で、この家屋の撤去が決まった。 日和山の下で津波を乗り越えた蔵を修復して残す記事が出ていたので、「宮城歴史資料保全ネットワーク」の方に打診して、大原浜にも昨年来ていただいた。 「棟書き」を調べてもらうと、蔵の築年や関わった気仙大工の棟梁、応援大工などの記録が見つかり、古民家は昭和8
東日本大震災ではボランティアや義援金など多くの日本人が、それぞれに、さまざまな支援をしている。そんな中、日常生活の延長上で、多様な支援の在り方が注目されている。 一番身近な支援が、被災地産品を買うこと。中でも手軽なのが、被災自治体のアンテナショップ。 被災地の食品企業を応援するファンド 東京都内では岩手県「いわて銀河プラザ」(中央区銀座)、「宮城ふるさとプラザ」(豊島区東 池袋)、福島県「ふくしま市場」(江戸川区東葛西)ではそれぞれ、魚の缶詰や地酒、牛タンや名物の菓子、納豆や野菜などが人気。各店、2011年4月以降、売り上げの新記録が続出。「特に若い人の来店が増えているのが目立つ」という。 島根、鳥取、奈良など他県のアンテナショップが、被災県支援として、茨城県産メロンなどの特産品を集めたフェアを実施し、収益の一部を義援金に充てるといった動きもある。 市町村独自では、東京都世田谷区の用賀商店
2008年6月の岩手・宮城内陸地震で崩落した一関市厳美町の祭畤(まつるべ)大橋(国道342号)の新しい橋が18日正午、開通した。開通式には、地元住民や自治体関係者ら約150人が参加して、約2年半ぶりの本格復旧を祝った。 新橋は、崩落した旧祭畤大橋から上流約150メートルに完成。全長115メートル、幅9メートル、高さ40メートル。開通式で勝部修市長は「この祭畤大橋は地震からの完全復興のシンボルとして多くの人に愛されると思う。かかわった皆さんに感謝します」と祝辞を述べ、近くに整備した災害遺構「祭畤被災地展望の丘」が除幕された。丘には崩落した旧橋の橋げたの一部や地震の説明板などが展示され、防災学習の場となる。
08年6月の岩手・宮城内陸地震で、震源地に近い岩手県奥州市衣川区の自殺者が、地震後数カ月間で急増していたことが分かった。被災との関係は不明だが、専門家は「複合要因がある自殺に、地震が影響したことは十分考えられる」と指摘する。阪神大震災や新潟県中越地震などの国内の地震で自殺率が急増した統計はなく、被災住民の心のケアのあり方に一石を投じそうだ。【狩野智彦】 ◇心のケア後、減少 市や県の関係者などによると、区内の自殺者は、合併前の衣川村時代を含め例年0~1人だった。だが、地震後の08年6月末~09年3月、少なくとも10~70代の計7人(男6人、女1人)が命を絶った。うつ病の兆候があったり、生活が苦しかった自殺者が多いという。 また、地震後1カ月間、多くの住民が不眠や意欲低下などを医師らに訴え、区内469世帯1255人(当時)中、11・6%の145人が「継続的なフォローが必要」と診断されている。こ
08年6月の岩手・宮城内陸地震で土砂崩れなどが起き、通行止めとなっていた栗原市の県道築館栗駒公園線と国道398号について、県はそれぞれ9月17日と18日に全面開通させることを決めた。両道路の開通は地震発生以来2年3カ月ぶりで、観光面の復興にも弾みがつきそうだ。 県によると、県道築館栗駒公園線は栗駒耕英地区に通じる主要道路だが、大規模な土砂崩れで寸断され、現在も6・6キロが通行止めとなっている。代替道路として市道馬場駒の湯線を使用しているが、県道が開通すれば耕英までの所要時間は大幅に短縮される。 また、秋田県に通じる国道398号も土砂崩れや地割れが複数個所で発生し、花山温湯地区から花山湯浜地区までの12キロが通行止めとなっている。 好天続きで復旧工事が順調に進んだため、9月末の当初予定を前倒しすることとなった。秋の行楽シーズンを前に主要道路が開通することで、登山や温泉目当ての観光客が多く訪れ
栗原・花山で復興住宅が完成 仮設、今月末で解体終了 2010年8月11日(水)11:00 (河北新報) 岩手・宮城内陸地震で自宅を失い自力再建が困難な被災者向けに、栗原市が同市花山で整備していた市営「復興住宅」2棟のうち1棟が完成し、10日、現地で引き渡し式が行われた。同日、引っ越しも行われ、避難勧告が続き、入居延長が特例的に認められた1世帯(5人)を除き、仮設住宅からの退去が完了した。 復興住宅は木造平屋の3DK(床面積約58平方メートル)。高齢者生活福祉センター「湖畔の里」隣の仮設住宅があった市有地にできた。入居したのは、団体職員三塚良子さん(61)、長女の市臨時職員ひろみさん(35)、良子さんの母昭子さん(83)の3人家族。 引き渡し式で佐藤勇市長は「苦難の2年間だったと思う。これからも生活復興に向けて大変だと思うが、市もしっかり支えたい」と激励した。 ひろみさんは「思った以上
駒の湯温泉で犠牲になった7人のために新たに建立した慰霊碑に手を合わせる人たち。奥は温泉跡地=宮城県栗原市栗駒耕英で2010年6月13日、丸山博撮影 08年6月14日に発生した岩手・宮城内陸地震で土石流により7人が死亡した宮城県栗原市栗駒の旅館「駒の湯温泉」で13日、遺族らが建立した慰霊碑の除幕式が行われた。地震から14日で2年。遺族や被災者らは慰霊碑の前で手を合わせ、7人の冥福を祈った。 慰霊碑は高さ1メートル、幅2メートル、7人の名前と、被災者や大勢の支援者らとのつながりを表す「絆(きずな)」の文字が刻まれた。 式には遺族や住民らが出席。母と兄を亡くした同旅館経営、菅原昭夫さん(54)は「旅館は元通りにはならないと思うが、犠牲者のためにも何らかの形で復活させたい」とあいさつした。【須藤唯哉】
震災から2年を迎えようとしている岩手・宮城内陸地震の被災地栗原市。 オールとちぎも震災以後、”NPO法人ハートネットふくしま”と共に栗原市に事務所をお借りして、 「くりこま応援の会」として毎週日曜日にカレーの日を企画したり、 復興支援の制度的なことへの対応(情報提供など)などを行ってきました。 事務所は、昨年夏に引き上げました。その後は、福島、栃木両県より応援しておりました。 今回、耕英地区の皆さんが記念誌を作り上げましたのでご紹介します。 ■■■ 2010年6月14日発行 ■■■ 山が動いた -岩手・宮城内陸地震と栗原市耕英地区- 震災から2年を迎え、被災の記憶を遺し、 これからの復興へかける住民の想いが一冊に! 「くりこま耕英震災復興の会」が発行する震災の記録誌。 << 内 容 >> 第1章 被災前の耕英地区 第2章 地震と被害 第3章 初めての被災(被災住民へのインタビュー録) 第4
岩手・宮城内陸地震で国内最大規模の地滑りが起きた荒砥沢ダム上流付近=30日午前、宮城県栗原市、小宮路勝撮影 2008年6月14日に起き、死者17人、行方不明者6人を出した岩手・宮城内陸地震から間もなく2年。岩手と秋田の両県を結び、地震で路面が寸断された国道342号が30日、全面再開通した。一方、国内最大規模の地滑りが起きた宮城県栗原市の荒砥沢ダム上流付近は、そぎ落とされた土砂がむき出しのままだ。 この日正午、国道342号の岩手県一関市の真湯―須川間15.3キロが再開通した。県境付近では両県の関係者らが握手し、車が行き交った。 ダムの北約1キロにある崩落でできた崖(がけ)の真下には、地震後、報道陣が初めて入った。周辺は強力な爆発物を仕掛けた跡のようで、杉の木は斜めのまま。ガードレールが崖の上で垂れ幕のようにぶら下がっていた。 林野庁東北森林管理局によると、崖の幅は約900メートル、最
2008年6月の岩手・宮城内陸地震の影響で、宮城県側から入山できなくなっていた栗駒山(1627メートル)について、栗駒山観光協会は5月23日に山開きを行うことを決めた。登山が約2年ぶりに再開されることになり、栗駒山観光の本格的な復興に向けた大きな一歩になりそうだ。 栗駒山は、地震によって、登山口のいわかがみ平へ向かう県道築館栗駒公園線が崩落して通行止めとなり、宮城県側からは登れなくなっていた。 市などは昨年7月、各登山ルートを調査し、7コースのうち、中央、東栗駒、湯浜、大地森の4コースの安全を確認していた。県道が今月28日、同市栗駒耕英地区からいわかがみ平までの約5・8キロ・メートル区間で開通するため、登山を再開できるめどがついた。山開きまでに雪解け後の4ルートの状況を再び調査する。 いわかがみ平を訪れる観光客は、被災前の07年は年間75万5800人だったが、翌年は6月までの8万1800人
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く