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ブックマーク / blog.szk.cc (4)

  • 資源の有限性と共同体

    誰かの人生を支えるために自分の人生を犠牲にすることを、美しいと思う人もいるけれど、自分がやれと言われたらいやがる人が大半なんじゃないかと思う。そこに愛があればいいとか思っていても、いつまでたっても成功しないバンドマンをわせてる彼女さんというありふれた構図にすら、僕らはちょっとした抵抗を感じる。なぜだろう。おそらくそれは、彼女さんに、彼をわせることをやめたり、他の男を選んだりする自由意志があるはずだという、言い換えれば、彼女さんにも他の人生があるはずだという僕らの思いに由来する感情だ。 しかしまあ、実際にそういう人に接してみると、よく言えば健気、少し悪く言えば好きでやってるんじゃん、という人が多い。だから、心配しないで、なんてことも言う。そういう人たちの中には、自分の能力に限界を感じている人が少なからずいて、自分はいいから、誰かの夢を叶えることが自分の夢だなんて思っていたりもする。 こう

  • 共通善は希望たりうるか

    最近、講義を含めいろんな場面で政治社会や民主主義について考える機会が増えて、どうしたものかと思っていた折に出版された、宇野重規『〈私〉時代のデモクラシー』を週末に読んだ。冒頭から面白いのは、「このは、〈私〉という視点からデモクラシーを考えるです」と書いてあるのだが、その〈私〉に「わたし」とルビが振られていることだ。もちろん、「私」は「わたくし」と読むのだ、などと国語の先生みたいな突っ込みをしたいわけではない。そこに、こののテーマが端的に表れているのだ。それはすなわち、公的な場面で自分を語る一人称としての「わたくし」ではなく、私的な一人称としての「わたし」が、「私」の内実になっており、それがデモクラシーの前提になっているのが、〈私〉時代なのだ、ということだ。 書の前半は、なぜその〈私〉感覚が広がり、問題を生んでいるのかが論じられる。ここで著者は、社会学者が「個人化 Individua

  • 設計プロセスと創発特性

    昨日は日建築学会の「建築夜学校」にコメンテーターとして登壇させてもらった。正直、建築の人たちとは最近交流が増えたものの、そもそも予備知識もない完全な門外漢なので、講義を休んでまで出て行く必要があるのか悩んだのだけれど、こちらが勉強させてもらういい機会にしようと思って出席することにした。というか気がついたらまた挑発しすぎた。反省。翌日の昼には大学に戻っていなければいけなかったので、打ち上げでもほとんど深い話はできなかったけど、とても興味深い会だった。ちゃんと咀嚼した感想はそのうち書くとして、とりあえずは事前に考えていた自分用のメモを公開しておこうと思う。ただし当日話したとおり、一部については報告を聞いて考えを改めてコメントしている。 ウェブと建築の設計プロセスの類似点、ということがモデレーターのお二人の関心にあって、僕のような人が呼ばれたのだと思う。実は僕自身はウェブでの振る舞いの細かな話

    設計プロセスと創発特性
  • 「身の丈に合わせる」ということ

    33歳になった。もう歳を取ることに感慨はないし、さりとて「若手」なる代名詞は相変わらずついて回るしで、宙ぶらりんなことこの上ない年齢だ、と思う。自分の周囲を見れば、「え、この人で40代なの?」と思うほど若々しい人も増えたし、自分の周囲を見ても年齢を感じることはほとんどないのだけれど、10代、20代のころに漠然とイメージしていた「大人」の間にもたくさんのステップが存在していることくらいは自覚できるようになったこともあって、どんな壮年・中年になればいいのかというモデルの不在にまつわる不安感は、若い頃より増しているように感じる。 その不安の原因は、良くも悪くも若い頃に「変な大人」に囲まれすぎていたからというのが大きいと思う。同世代だとその手の大人との付き合いは得てして学生運動崩れとかがトップに挙がるのだと思うけれど、僕の場合、ミュージシャンや役者、グラビアアイドル、モデルから、フリーライター、タ

    yuco
    yuco 2009/05/09
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