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columnに関するyukattiのブックマーク (7)

  • 先崎学の「記憶力の悪さ」と「局面に対する明るさ」 - My Life Between Silicon Valley and Japan

    将棋「次の一手」読」 http://tkj.jp/bessatsu/4796648038/ で先崎学八段のインタビュー記事を読んだ。多くの将棋ファンと同じように僕も、羽生世代の中で一人奔放に異彩を放つ先崎学の昔からの大ファンである。溢れる才能を持ちながら、いまだにタイトルを一度も取ったことのない天才・先崎に、この夏は久々のタイトル挑戦の機会が訪れたのだが、十年前と同じく、またもや佐藤康光に挑決戦で敗れた。このに収められたインタビュー記事は、その直後のものだったので、当然のことながら、彼にとっては辛い質問が繰り返された。 その中で、自分が羽生・佐藤に勝てない理由を先崎はこう語る。 (羽生・佐藤の将棋は)盤上を常に自分の読み筋でコントロールしようという意識がすごく強い将棋ですよね。(略) やっぱり早いうちから局面を良くしにいくっていうところで僕は劣るところが非常にありまして、要するに序盤

    先崎学の「記憶力の悪さ」と「局面に対する明るさ」 - My Life Between Silicon Valley and Japan
    yukatti
    yukatti 2005/08/24
    先崎学インタビューから
  • ぼぼぶらじるさんへ: たけくまメモ

    以下のエントリーは、「俺の愛する平田劇画(1)」のコメント欄でのぼぼぶらじるさんの書き込みへのレスとして書かれたものですが、なんだか長文になってしまったのでコメントではもったいないと思い、改めてエントリー化したものです。以下のリンクでのぼぼさんのコメントをお読みのうえ、文をお読みください。 http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2005/07/post_1913.html#c3233539 >ぼぼさん 「劇画」の起源はハッキリしていて、1957年、関西の貸作家・辰巳ヨシヒロが自作『幽霊タクシー』に「劇画工房」の名前を冠したのが最初です。 広辞苑のその定義は少し違っています。紙芝居の正式名称は「画劇」です。ただ同じ意味で「劇画」と言われたこともあったのかもしれませんが、俺個人は確認していません。 なぜ辰巳が「劇画」と言い出したかと言うと、「大人向け

    yukatti
    yukatti 2005/07/25
    「劇画」とは。起源、手塚治虫との関係等。
  • 将棋の消費について

    先日、河口俊彦の『大山康晴の晩節』を購入し、一気に読了した。プロ棋界に興味を持ち出した当時から著者の文章を読んできた、というよりプロ将棋、並びに将棋界の見方に関し全面的に影響を受けた者として、著者の念願だった大山康晴論をこれまで買わずに済ませていた理由が自分でもよく分からないのだが、読んでみて評判通りのだと思った。ただ書き手としての根気というか、微妙に説明を端折っているところ、あと少し文章を加えればもっと広範に伝わるところが気になったが、これは著者の年齢的な面があるのかもしれない。 個人的には、書の第一章が、かつて当方が文章にした昭和60年度のA級順位戦を活写したものだったのが嬉しかった。もっとも当方の文章は、この著者の文章のパッチワークのようなものであるが。 ……と文章を始めたものの、どうも書いていて内心そわそわした感じが消えない。将棋についての文章を書いたところで、果たして何人の読

    yukatti
    yukatti 2005/07/15
    yomoyomoさん。将棋、インターネット、ブログ…… etc.
  • 僕が将棋のことを語ると、このくらい饒舌になってしまう

    将棋についての文章を前々から書けと急かされていたのだが、読者を限定させてしまうことを恐れ、書かずにいた。しかし当サイトを閉鎖する前に、一度は書くべき文章は早めに書いておこうと決めた。この文章は double crown さんに捧げるものである。 アメリカ映画なんかで、男性が野球に夢中になるのを女性が揶揄する場面がある。何年のどこの球団のどこのポジションが誰かって即座に言えるんだからと女性が嘆くと同時に、男二人がそれを嬉々として言い当てる場面があったのは「シティ・スリッカーズ」だったっけ。 ワタシは将棋ファンであるが、この人種にとっては順位戦を語るのがそれに近いかもしれない、と思ったのは、コンビニで週刊文春の先崎学の連載を立ち読みしたときである。 将棋を知らない方からすれば「順位戦? それえるのか?」という感じであろう。少し解説しておくと、プロ将棋界には上からA、B1、B2、C1、C2とい

    yukatti
    yukatti 2005/07/15
    yomoyomoさん
  • My Life Between Silicon Valley and Japan - 産経新聞7/4正論

    ネットの開放性は危険で悪なのか 巨大な混沌こそがフロンティア (梅田望夫) 《“遅れた米国”の底力とは》 インターネットの真の意味は、不特定多数無限大の人々とのつながりを持つためのコストがほぼゼロになったということである。 ネット社会という言葉で示されるように、インターネット上には、善悪、清濁、可能性と危険…そんな社会的矛盾の一切を含んだ混沌が生まれた。そして「次の十年」を考えれば、好むと好まざるとにかかわらず、その混沌がより多くの人々のカネや時間を飲み込んでどんどん成長し、巨大化していくに違いない。 日の携帯電話とブロードバンド(高速大容量)のインフラは、ほぼ世界一の水準にある。「光ファイバー接続でインターネットを家庭から安く使える」なんて話をアメリカ人にすれば、憧れのまなざしで日を見つめる。インフラ面ではもう日米大逆転が起きてしまったのだ。 私たちより上の世代には「IT(情報技術

    My Life Between Silicon Valley and Japan - 産経新聞7/4正論
    yukatti
    yukatti 2005/07/14
    梅田望夫氏「日本もそろそろインターネットの「開放性」を否定するのではなく前提とし」「善」「清」可能性
  • http://www.jalcard.co.jp/column/knowledge/agora41.html

    yukatti
    yukatti 2005/07/13
    「滑走路のそれぞれの端は、航空機から見てどの方向を向いているものなのかが、数字によって示されています
  • http://www.1101.com/darling_column/2005-04-04.html

    yukatti
    yukatti 2005/05/12
    中島みゆき「地上の星」から語る
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