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ブックマーク / kasasora.hatenablog.com (69)

  • そして、どこへも行かない - 傘をひらいて、空を

    疫病が流行しているので不要不急の外出が禁じられた。わたしは病人である。けれども流行している疫病ではない。もっとよくある病気だ。国民の死因の三割を占めているほどである。罹ればすぐに死ぬのではない。わたしの場合もすぐに死ぬのではない。一度長期の治療を受けており、次にこういう症状が出たらぜったいにもう一度入院してもらいます、と医者から言われて、自宅での生活に戻った。 おそらく遠からず死ぬような状態ではあって、そのわりに年齢は若いといえる範囲だけれど、わたしはそれほど強く嘆き悲しみはしなかった。驚いたが、どちらかといえば死ぬことより治療の苦しいことのほうが怖かった。 長期の治療から戻って半年ばかり、家族の協力のもと、自宅で生活している。仕事は完全には辞めていない。遠からず死ぬのに辞めたくないほど仕事好きだったのではない。することがなくなるのもどうかと思って事情を説明して正社員を辞した上でアルバイト

    そして、どこへも行かない - 傘をひらいて、空を
  • パンとコーヒーとアフリカの夢 - 傘をひらいて、空を

    疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。誰がどうみても「よぶん」でない最後の聖域は料品と日用品の買い出しである。 僕はカフェを経営している。そしてわりと空気を読むタイプである。空気を読んで早々に業態を切り変えることにした。テイクアウトのみの営業にし、店内での事のためにつくっていたパンも売ることにした。パン屋です、みたいな顔をしていれば命のコーヒーコーヒー豆を売る場を保つことができる。僕はそう考えて小麦粉を大量に仕入れ、パンを焼いて焼いて焼きまくった。 僕は恐れている。国家と自治体とそれから近隣の、よくわからない相互監視を恐れている。近隣の個人商店同士のあいだにも自粛度合いを監視する動きがある。「良い子にしていない者は排斥するべきだ」という空気が醸成されつつある。「良い子」の基準はない。ないからどんどん用心深くなる。なにしろ、不要不急に見える外出をすると

    パンとコーヒーとアフリカの夢 - 傘をひらいて、空を
    yuriyuri14
    yuriyuri14 2020/05/07
    ちょっとおとぎ話が入ってるよね。コロナ相手だと、こうならざるを得ないのかな?
  • 恥と命令とプライドと - 傘をひらいて、空を

    疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。外出は通勤を含む。そのために対面を必須としない業務は大急ぎで在宅勤務に移行した。具体的にはインターネットを経由して仕事をするようになった。わたしの職場はIT系ではない。だからそうしたことが得手な人間が不得手な人間をサポートすることになる。わたしはサポートする側である。そしてその状況に、つくづく飽きている。 全員が思いきり働いて全員が機能している組織があったら不健康だ、という話を聞いたことがある。どんなにすぐれた組織にも常時さぼっている者はあるし、能力がマッチせず機能しない者もある。そういう従業員を全員見つけ出して片っ端からくびにする組織は、いったいどうやってそれを可能にしていると思う? 想像した? ね、恐ろしいだろうーーそういう理屈だった。 わたしはそれを聞いてなんとなし納得し、職場で誰が仕事をしていなくても、また自分が

    恥と命令とプライドと - 傘をひらいて、空を
    yuriyuri14
    yuriyuri14 2020/04/29
    静かに物事は終わる。
  • 子育てを終える - 傘をひらいて、空を

    疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。 産んでもいない子を育て上げたような気がしていた。彼らがもうずいぶんと大きくなったので、もういいやと思った。疫病が流行した、この春のことである。 もちろんそれはわたしの子ではなく、わたしはいまだ二十代で、子どもたちは十七と十五の女の子と男の子で、わたしの弟妹である。 わたしの母は十代でわたしを産んだ。十代の母としてはずいぶんと立派だったと思う。彼女はわたしを背負ったまま手に職をつけ、同じく手に職をつけていた若い夫であるわたしの父とともに、せいいっぱい働いた。 彼らはわたしが十三の時に、乳幼児だった弟妹を残して死んだ。ばかだなとわたしは思った。夫婦そろってさんざっぱら働いてようよう手に入れた店で火事を出して、それで死んだ。火が出たらとっとと逃げたらいいのに、店を守ろうとしたのだと聞いた。わたしは警察に呼ばれて両親を確認した

    子育てを終える - 傘をひらいて、空を
    yuriyuri14
    yuriyuri14 2020/04/10
    コロナに対する世間への、アンチテーゼ?
  • わたしがどこへも行けなくても - 傘をひらいて、空を

    疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。ほどなく私用の海外旅行や、まして移住は、事実上不可能になった。 わたしは休みの日には女の格好をしていた。いつかそういう格好で職場に行きたかった。そういう格好のまま彼氏を見つけて腕を組んで歩きたかった。そのために英語スペイン語とフランス語を話せるようになった。大学ではグローバルに必要とされるというITと統計とAIの原理とその社会的応用について学び、いかにもすぐに役に立ちそうなスキルをいくつか身につけて、そうして就職して、少しのあいだつとめた。 でももうそんなのはもはや意味のないことだ。疫病が流行したので、どれほど勉強したって、わたしが海外に出ることはできない。苦労して取った性別不問の外資の転職の内定は疫病の世界的な流行によってあっけなく取り消された。 わたしは男である。男のからだをしている。そのことに異論はない。このから

    わたしがどこへも行けなくても - 傘をひらいて、空を
    yuriyuri14
    yuriyuri14 2020/04/01
    コロナに関することは聞き飽きているのに、このお話はなぜだか心に響いた。
  • 無意味さを飼い慣らす - 傘をひらいて、空を

    彼のことは左利きだと思っていた。同じ部署ではないが、私よりひとまわり以上年長の、社歴の長い人なので、私が先だって管理職に就いてからはいくらか接点がある。ペンも箸も左手で持っていた。だから左利きなのだと思っていた。 今日の会議で彼がちょっと複雑な説明をはじめ、立ち上がって「じゃあホワイトボードに書きます」と言った。そしてすらすらと図解した。図がうまいなあと思って、それから、あ、と口に出してしまった。彼は右手で図を画いている。 会議が終わったあと部屋を出ると後ろから彼が出てきて、言う。さっき、あ、って言いましたね、あ、って。マキノさんって思ってることだいたい顔とか声とかに出ますよね、僕は嫌いじゃないですが。 失礼しましたと私は言う。どうということはないんです。ただ、左利きでいらっしゃるものと思っていたので。彼は笑って、右利きですとこたえた。 マキノさんはたしか四十かそこらですよね、それならもう

    無意味さを飼い慣らす - 傘をひらいて、空を
    yuriyuri14
    yuriyuri14 2020/01/31
    頭よくて大人な人を書かせると、この方は筆が乗るような気がする。 あとプラスして“年をとる”ってことにどうやってユーモアを入れ込むかを、画策しているんじゃないかと勝手に思っている。
  • 生存税の納入 - 傘をひらいて、空を

    差し歯がそろそろ限界です、と歯科医が言う。歯科衛生士がうなずく。わたしは彼らの説明を聞く。今の歯はどれくらい入れていますか、と歯科医が尋ねる。わたしは指折り数えてこたえる。八年もちました。いい子ですねと歯科衛生士が言い、孝行です、と歯科医が同調する。 わたしの上顎のにっこり笑って見える歯はみんな作りものである。原因は家庭内の暴力だが、わたしは純粋な被害者ではない。いわゆる暴力の連鎖というやつで、わたしは加害を防ぐために人間を椅子で殴り、別の人間がわたしの顔面を壁にたたきつけた。あれから二十年が経過したが、いまだにたぶん全員自分が正しいと思っている。正当なことをした、しかたがなかった、そう思っている。生まれた家の自分のほかの人間には十代のころから会っていないから実際はどうだか知らないが、賭けてもいい。誰も反省していない。わたしも反省していない。誰も懲りない。わたしが生まれた家は、そういう場所

    生存税の納入 - 傘をひらいて、空を
    yuriyuri14
    yuriyuri14 2020/01/22
    共感まではいかないが、私は自分の生存欲の薄さに対して、他人事みたいに見ている部分、生きたい自分に少々呆れている気持ちがある。ちなみに私自身は“生存税”ではなくこの世の“場所代”と名付けている。
  • 慰めのリザーブ - 傘をひらいて、空を

    そういうわけで会社を移るの、と友人は言った。そりゃあいいねと私はこたえた。私たちはいわゆる就職氷河期世代で、「職場はときどき移るもの」くらいの感覚を持っている。新卒の就職状況がなにしろひどかったので、ぼけっとしていたらい扶持を稼げなくなるという意識が根強い。同世代の友人に資格職と外資系と公務員がやたら多く、ほとんど全員が転職を経験している。生まれた時代のせいである。 私たちはもう四十を過ぎたが、同世代の友人のほぼ全員が現役で何らかの勉強をしている。高尚な意識をもって努力しているのではない。生まれた時代のせいで「いつも戦って新しい武器を研いていなくてはそのうちえなくなる」と思い込んで、それで勉強しているのである。新卒の就職でつまずいて連絡を絶った昔のクラスメートが今なにをしているかわからない、生き残った自分たちだって今後どうなるかわからない、そういう意識が消えない。だから勉強するし、行動

    慰めのリザーブ - 傘をひらいて、空を
    yuriyuri14
    yuriyuri14 2020/01/16
    自分はコミ障なので、人付き合いに対して警戒心が大変強い。今回は自分の頑なな考え方に、ぽんと風穴を開けてもらった。
  • 聖なる標準家庭の祝日 - 傘をひらいて、空を

    なるほど、あんたのおばあちゃんが地元の霊能力者を呼んだと。そしてあんたにお嫁さんが来て子どもを産んでくれますようにという内容の祈祷を上げてもらったと。あんたは正座して神妙な顔してその祈祷を承っていたと。そりゃしんどいね。田舎ではカムアウトしない予定だもんね。もうさあ、きょう東京に帰ってきちゃえばいいのに。東京で年越しすればいいじゃん。だいじょうぶだよ、そんな人いっぱいいるよ。 そうですか、今年からお子さんとお父さんだけで帰省することにしたんですか。そりゃあいいですね。だって、お正月あけ、いつもげんなりした顔で出勤していらしたもの。ええ、毎年そうでしたよ。さぞかしストレスフルな「義実家」ってやつなんだろうなと、そう思っていました。そこまででもない? そこまででもないからよけいに疲れる? ああ、そういうこともあるかもしれませんねえ。 おうち帰らなくていいの? いいんだ。そっか。妹さんももう大学

    聖なる標準家庭の祝日 - 傘をひらいて、空を
    yuriyuri14
    yuriyuri14 2020/01/01
    “ここであなたに「いいじゃん」て言います”
  • 僕らは世界をハックする 二人目 - 傘をひらいて、空を

    シンガポールのオフィスははじめからすぐにたたむつもりだったから一年間使い切りの契約にしていた。学生時代のやんちゃが思ったより早く飛び火したので海外にまで出るはめになった。正直なところ、計算違いをした。 個人で使うカネなんかたかが知れている。俺ははじめから大それた資産は望んでいなかった。そんなに野心的なたちじゃないんだ。大富豪になりたいんじゃなかった。巨大な権力(カネは一定量を超えると権力になる)は巨大な責任を生じさせる。俺はそんなものはほしくなかった。 ほどよくアッパーで、ちょうどいい余裕があって、人よりも優雅だけれど、抜きん出すぎて孤独になることなく、上等な連中とつるんでいられること。そして誰も知らない資産を持っていること。それが俺の好みだった。どうして誰も知らない資産が必要かというと、不安や不確定要素を抱えているとQOLをそこなうので、一般人の範疇で人のうらやむ暮らしをしながら社会の変

    僕らは世界をハックする 二人目 - 傘をひらいて、空を
    yuriyuri14
    yuriyuri14 2019/12/24
    続編熱望!!
  • 学歴ロンダリング成功したんですね - 傘をひらいて、空を

    あ、じゃあ学歴ロンダリング成功したんすね。 誰かが私の背後でそう言った。その発言の直後、聞き覚えのある声がこたえた。は? ロンダリング? それって不正なカネの洗浄を指すことばですよね? わたしが不正な学歴を洗浄したとでも? 振り返ると聞き覚えのある声の主は私の顔見知りの他部署の後輩なのだった。私の勤務先では昼休みの時間は比較的フレキシブルで、「だいたい十二時から二時くらいの間に一時間とってね」という感じなのだけれど、そのどまんなかの十三時に社員堂に行くと、たいてい知っている人がいる。 すげえ、と私は思った。「学歴ロンダリング」という物言いもなんだかすごいが、言い返した後輩のせりふはもっとすごい。よくもまあ咄嗟にそこまで言えるものである。口調もいい。「おまえはばかか」とゴシック体で書かれているみたいな完璧な軽蔑のトーンで、ほとんど平坦ながら声はきれいに通り、役者がせりふを読んだようだった。

    学歴ロンダリング成功したんですね - 傘をひらいて、空を
    yuriyuri14
    yuriyuri14 2019/12/10
    今回のお話は全体的にすっきりとしていた印象を受けたので、出てきた人々のことをなんだか可愛いらしく感じてしまった。
  • いつも死にたい一族 - 傘をひらいて、空を

    知人のお祝いに出かけた。役職が上がると聞いているので、そのお祝いである。今年から娘さんが私立中学に上がったので、遅ればせながらそのお祝いもかねるということで、四年ぶりにご自宅にお邪魔する運びになった。 冬の街をデコレーションするのは寒いからである。私はそう思う。クリスマスとかお正月とかのせいではない。寒くてやってられないからクリスマスとかお正月とかを言い訳にして飾りつけをするのだと思う。だって五月や十月ならきらきらさせなくても楽しいもの。世界がいつも五月と十月ならいいのにと言ったのは誰だっけ。 小学校で受験する人は半分以上が親の受験みたいなものらしいですけど、と彼女は言った。高校だとほぼ人の受験ですよね。お金だとか環境だとか、間接的なものは、親が整えるので、スタートラインの段階でハンディがある子はいっぱいいますけど、受けるのは人です。中学受験は、その中間くらいでしょうかねえ。 じゃあま

    いつも死にたい一族 - 傘をひらいて、空を
    yuriyuri14
    yuriyuri14 2019/12/03
    いつも楽しく読ませてもらっているけれど、今回はお話の中にひっぱりこまれそうだった。でも私の場合“死にたい”というよりは、“消えてなくなりたい”って感じなのでちょっと違うかな。
  • だからその上に薔薇を - 傘をひらいて、空を

    1992年11月26日、14歳の少女Aさんが実父Bさんを椅子で殴打した。Bさんは脳震盪により一時意識を失い、軽傷を負った。Bさんが倒れた直後、Aさんの実母CさんがAさんの後頭部を掴み顔を壁に複数回たたきつけた。Aさんは前歯8を損傷、その他の軽傷を負った。Aさんは直後に110番通報、「実父からの性的加害を防止するために椅子で殴った」「実母は実父に逆らった自分に激高して自分の顔面その他を壁にたたきつけた」と供述した。AさんBさんの双方に殺人の意思はなかったとされている。 「ありふれたニュースだよ」。のちの元少女Aさんは言った。「だから誰も覚えていないでしょう」。 わたしたちの平和な大学で、彼女はものすごく目立っていた。髪はまだらな坊主、前歯がなく、左頬に大きな傷があった。それから頻繁に顔や首に蕁麻疹を浮き立たせ、まぶたや手足をしょちゅう痙攣させていた。教員は全員その状態をきれいに無視ししてい

    だからその上に薔薇を - 傘をひらいて、空を
    yuriyuri14
    yuriyuri14 2019/11/26
    なんて美しいお話なんだろう!と思った。どうして自分がそう思ったのかは、上手く説明できないのだけれど。
  • 大伯母の淑子さんの話 - 傘をひらいて、空を

    大正生まれのわたしの祖母は、零落した「いいおうち」のお嬢さんで、たいそうな美人であった。目鼻の配置がよく、皺の入り方が上品で、いつも姿勢がよかった。それでわたしは老婆にも美人がいることを子どものころから知っていた。 その祖母は、自分より姉のほうがもっと美しかったと言っていた。近所の写真学校の学生が拝み倒して撮ったという写真が一枚だけ残っていた。一人暮らしの祖母の部屋の棚の隅に、その写真はあった。わたしはその話を聞くまで、昔の映画スターか何かだと思っていた。彼女は若くして亡くなったのだと祖母は言っていた。若いうちに、結婚もせずに亡くなって、だから子どももいなかったのだそうだ。 一方、祖母は祖父と結婚した。祖父は「山師」だったという。あやしげな商売でひと財産つくり、いいところの(しかし世の変化でカネは尽きていた)お嬢さんとの見合いにこぎつけた、という寸法だったようだ。成金だったその男を、祖母

    大伯母の淑子さんの話 - 傘をひらいて、空を
    yuriyuri14
    yuriyuri14 2019/11/20
    この方の物語に出てくる人々に対してときおり深く共感することがあるのだが、なぜだか知り合いにはなりたくないと思ってしまう。
  • 愛の永続性のなさに関する学習 - 傘をひらいて、空を

    甥っ子が駆けよってくる。生まれたときから毎週のように面倒をみていた可愛い甥である。現在三歳半だ。わたしは両手をひろげてかがむ。いつものように。すると甥はフルスイングでわたしの頬を平手打ちした。それからわたしに抱きついて泣いた。 なんだ、これは。 甥はわたしにしがみついている。甥の母親であるわたしの姉が叱りつけてもろくに聞いていない。びっくりしていると、甥は突然、夢からさめたように泣き止み、ふいとわたしのそばを離れた。姉が急いで甥を追いかけてつかまえた。 姉はとても正しい人間だ。わたしのような要領の良い人間から見るとときどき可哀想になるくらい、正しい人である。だから悪いことをした息子にあいまいな措置を講じることはない。子どもがわかろうがわかるまいが、低いフラットな声でひたすら理詰めにする。「何が悪かったか」「自分が悪かったと理解したか」「それに基づく謝罪をする気はあるか」という順番で詰める。

    愛の永続性のなさに関する学習 - 傘をひらいて、空を
    yuriyuri14
    yuriyuri14 2019/11/12
    なんとなく、ショートムービーのような話だと感じた。
  • さみしい人だけそばに置く - 傘をひらいて、空を

    将来は女ばかりで暮らすのも楽しいと思うんだ。私がそう言うと、困りますよ、と彼は言った。こちらが先約なんだから、守ってもらわないと。 私はこの人と「年をとって心身が弱ったら隣に住む」という約束をしているのだった。私が新卒で彼が二十代半ばのころ、もう二十年近く前に締結された取り決めである。 私は思想信条上の理由で、彼は生来の気質の問題で、結婚に縁がない。私は家父長制的なものがアレルギー的に嫌いだ。現行の法律婚とそれにまつわる社会通念や慣習など、斜めにしても逆さにしても承服しかねる。他人の結婚は祝福するが、自分はぜったいにやらない。二十一のときにそう決めて、二十年間同じように考えている。 一方、彼は他者とのフィジカルな接触を好まない人間である。慣れた人間が数日そばにいるくらいが限度で、基的には他人の生活音が聞こえるだけでもうダメだ。調子が悪いと、たとえば生の肉を触ることさえできなくなる。たぶん

    さみしい人だけそばに置く - 傘をひらいて、空を
    yuriyuri14
    yuriyuri14 2019/11/11
    “私はたぶんとてもロマンティックな人間なのだ”というオチに納得。なぜなら"私"は自分なさみしさを、現行の制度でごまかそうとしないから。
  • 彼の人工的な盲点 - 傘をひらいて、空を

    トオルが十歳になったので、トオル一家および「トオル会」のメンバー五名でお祝いをした。内実はただのホームパーティである。トオルは私の学生時代のゼミの先輩の息子で、障害がある。トオルの障害があきらかになった段階で先輩は何人かの学生時代の友人を選んで、こんな話をした。 トオルは高い確率で、ひとりでいわゆる社会生活を送って寿命をまっとうするってことができないんだ。基は俺ら夫婦と公的支援だけでいける、でも祖父母は遠くてあてにならない、緊急時とかは厳しい、あと俺ら夫婦の精神がだいぶ削れる。ケアリソースが長期的に不足することは目に見えてあきらかだ。上の子にも影響があると思う。そういうわけでみんなにひとつよろしくお願いしたい。 せりふだけ書くとしおらしいけど、先輩のようすはぜんぜんそんなではなかった。「雨が降ったら洗濯物を取り込んでおいて」くらいの感じだった。 先輩は学生時代から変な人だった。たいていの

    彼の人工的な盲点 - 傘をひらいて、空を
    yuriyuri14
    yuriyuri14 2019/11/01
    なんとなくこれは「人間の多様性(あやふやさ)」を書こうとした話だと感じた。
  • 犠牲者は誰だ? - 傘をひらいて、空を

    彼と組むくらいなら辞めます。女性医師がそう言う。「彼」が何をしたのかといえば、彼女には何もしていない。ただ酒の席で不用意な発言をしたらしいという、それだけのことが明らかになっている。それでもわたしは、何度検討しても彼に辞めてほしくって、彼女にはこの病院に残ってほしいのだった。 わたしの仕事は医院の院長だ。院長としては少々若い部類かもしれない。職場は祖父母の代からある、どうということのない医院である。小規模で、医師の数もすくない。くだんの女性医師は何ごともよくできて勉強熱心、患者さんの評判も上々の、いわばエースである。 「彼」は若手の男性医師であり、それまで大きな問題を起こしたことはなかった。なかったが、少し空気が読めないというか、無神経な発言をすることがあるという話を何度か聞いてはいた。わたしと同世代で忌憚ない物言いをしてくれる古参の看護師にこっそり水を向けると、あのセンセーはねえ、空気読

    犠牲者は誰だ? - 傘をひらいて、空を
    yuriyuri14
    yuriyuri14 2019/10/03
    最後が少々唐突かな?犠牲者という言葉が、微妙にマッチしない気がする。
  • 教育の欠如と欲求の不満がもたらすもの - 傘をひらいて、空を

    くそばばあ、かあ。彼女は言う。うん、くそばばあ。私はこたえる。ことのほか気合の入った長文の罵倒メールを受け取ったので、法律家の友人と遊ぶついでにプリントアウトを持ってきたのだ。友人はげらげら笑い、よう、くそばばあ、この差出人によるとくそばばあ臭がするらしいじゃん、かがせろ、と言って、テーブルに身を乗りだした。それからラインマーカーで「くそばばあ」どころではない、書くにはばかられる語彙を塗りはじめた。 インターネットなんかやってるから悪いんだよ。彼女はむちゃくちゃなことを言う。自分だってSNSを使っているくせに。SNSだってインターネットじゃないか。私がそのように抗議すると、彼女はひらりと手をかざし、ちがう、と首を振る。わたしのSNSは相互、マキノのブログは一方的。一方的に読まれていれば文句を言いたい人が沸いて出るのがこの世の常ですよ。 差出人はリアルな知人かなあ、と私は尋ねる。ちがう、と彼

    教育の欠如と欲求の不満がもたらすもの - 傘をひらいて、空を
    yuriyuri14
    yuriyuri14 2019/09/27
    “つまり、どこにも行けない”そりゃそうだ。こういう人たちは、たどり着きたい場所があるから、そのために罵倒しているとかじゃないからねー。
  • セフレですよ、不倫ですよ、ねえ、最低でしょ - 傘をひらいて、空を

    仕事の都合で別の業種の女性と幾度か会った。弊社の人間が、と彼女は言った。弊社の人間が幾人かマキノさんをお呼びしたいというので、飲み会にいらしてください。 私は出かけていった。私は知らない人にかこまれるのが嫌いではない。知らない人は意味のわからないことをするのでその意味を考えると少し楽しいし、「世の中にはいろいろな人がいる」と思うとなんだか安心する。たいていはその場かぎりだから気も楽だし。 彼らは声と身振りが大きく、話しぶりが流暢で、たいそう親しい者同士みたいな雰囲気を醸し出していた。私を連れてきた女性はあっというまにその場にすっぽりはまりこんだ。私は感心した。彼女は私とふたりのときには同僚たちに対していささかの冷淡さを感じさせる話しかたをしていた。 どちらがほんとうということもあるまい。さっとなじんで、ぱっと出る。そういうことができるのである。人に向ける顔にバリエーションがあるのだ。私は自

    セフレですよ、不倫ですよ、ねえ、最低でしょ - 傘をひらいて、空を
    yuriyuri14
    yuriyuri14 2019/09/18
    「私は今日いちばん驚いた。そしてなんとなく左右を見た」。権力と性欲をくっつけて生きている人とそうではない人の話。ある種の人々にとって、権力は甘ーい甘ーい味がするのだろう(食べログ4.5くらいかな?)。