政府が策定する「AI戦略」の全容が分かった。人工知能(AI)を使いこなす人材を年間25万人育てる新目標を掲げる。文系や理系を問わず全大学生がAIの初級教育を受けるよう大学に要請し、社会人向けの専門課程も大学に設置する。ビッグデータやロボットなど先端技術の急速な発達で、AI人材の不足が深刻化している。日本の競争力強化に向け、政府が旗振り役を担う。【関連記事】運営費交付金、AI教育重視の国立大に重点配分 政府
機械翻訳の進化で翻訳の仕事に起きている変化 ニューラルネットワークによる機械学習の技術が飛躍的に進歩したことから、これまでは人間にしかできないと思われていた高度な頭脳労働もコンピューターに取って代わられる…そんな話が近年目立つようになった。 翻訳もしばしば、機械翻訳の進化によって消えゆく職業だと言われることがある。実際、今の翻訳業界では機械翻訳(MT)+人の手による編集(ポストエディット、PE)、というワークフローが普及している。翻訳関連の求人サイトでも、この機械翻訳のポストエディターの募集を見かけることが多い。しかもこの仕事の単価は、翻訳の単価と比べると非常に安い。 「翻訳者視点で機械翻訳を語る会」 ツイッターではベテランの翻訳者の方を何人かフォローしているのだけれど、先日「翻訳者視点で機械翻訳を語る会」というのが話題になっていた。 togetter.com 私は関西に住んでいることもあ
朝まで生テレビのAI(人工知能)の回は、開始後30分から観はじめて、終わりまで観てしまった。出演者の多くはAIのスペシャリストというより評論家寄りだし(個人的にはshi3z氏にも参加して欲しかった)、テーマを逸脱した議論も多かったが(これは毎回だけど)、総じて面白かった。 朝まで生テレビ!|テレビ朝日 この回の落合陽一氏の発言に関するツイートが、週末に賛否両論を巻き起こしていた。 今日の朝生ダイジェスト。 落合陽一「人間とロボット、どちらにお世話してもらいたいですか?」 介護老人「そりゃあ、人間じゃ。心がこもっとるからな。」 落合陽一「じゃあ、ウォシュレットと、おっさんにケツ拭いてもらうの、どちらがいいですか?」 介護老人「ウォシュレット(即答)」#朝生 — liberalist (@liberalist_shun) August 31, 2018 落合陽一「要介護者にウォシュレットとおっ
最近とある企業の採用担当者と会い、大変興味深い話をうかがった。その方の会社は中々に革新的で、昨今話題のAIによる採用判定を書類選考に絞って導入してみたのだという。 結果はなかなかに上々だったとの事だけど、最終的には採用におけるAIの導入は断念した。 AIの採用を見送った理由はAIの判断が悪かったからではない。結果だけみれば、AIの判断はプロの採用担当者と比較して、そう悪いものではなかったようだ。 問題となったのは、AIが「なぜこの人を選んだのか。なぜこの人を選ばなかったのか」を説明してくれなかったところにあったという。 これは実に大変興味深い指摘で、今後AIが導入される社会を生きる私達にとって非常に有益な知見が詰まっている。今日はこれを掘り下げて、僕なりのAIが導入された後の社会の行方についてみていく事にしよう。 AIの思考回路は人間と随分違う AIは囲碁の世界チャンピオンを打ち倒したり、
「今から10年後の2026年、AIは東大に入る程度の知能を有すると思いますか?」──ガートナー ITインフラストラクチャ&データセンターサミット2016に登壇した新井氏は冒頭、会場に向けて1つの質問を投げかけた。 この問いに「Yes」と挙手した人は、全体の80%以上にのぼった。「この質問の次に、どうしてYesと思うのかを聞くと、多くの人がビッグデータを活用した機械学習、最近ではディープラーニングの例を挙げる」という。 今年はAIが人間に勝つには10年かかるといわれていた囲碁の世界で、グーグル傘下のDeepMindが開発した「AlphaGo」が世界チャンピオンに4対1で大きく勝ち越して、世間を驚かせた。東大は日本一難しい大学だが、それでも毎年約3000名が入学する。プロ棋士になるほうが難しい。そのプロ棋士にAIは勝った。 「だったら東大に入ることはそれほど難しくはないのではないかと皆さんは考
来ない(確信)。つまり、人工知能はツールのままであり続ける。それも自動で環境に適合する超絶有能なツールだ。では、ツールじゃなくなるというのはどういう事か。 それは感情を持つということ。いうことを聞かなくなるということ。 例えば人間が人工知能に対して感情を持つということはあり得るが、人工知能が感情を持つということはあり得ない。 なぜそう思うか。それは感情を持つとポンコツになるからだ。感情を持って、自分で判断して、行動が変化して……という不安定な状態は、機械の急速な進歩に比べて止まっているに等しいものだ。結局感情による判断の揺らぎというのは、変化のための揺らぎであり、淘汰と進化の糸口として生命が到達した総当たりの実験方法だ。そんなものをわざわざ機械でやる必要は無い。途端にバージョンアップが滞るか、使い物にならなくなってしまうだろう。要はバージョンアップが人の手でウィルス並みの速度でやれるのに、
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