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解釈と表現に関するyuzuyu_koroのブックマーク (5)

  • web上のやりとり、使う言葉、伝わる言葉 - リツエアクベバ

    「読み取れない読者が悪い」/琥珀色の戯言 「話せばわかる」ような人って、「話さなくてもわかる」場合がほとんど。 (中略) そんな「非効率的な説得」に時間をかけるくらいなら、僕はひとつでも、新しいことを書きたい。 webやブログが「同意系の媒体」って言ったのは、Lsty氏だったっけか、いやもうちょっと別の言い方だったか。 人がその個性をもって使う文体や表現ってのは、それでその書き手の言いたいこと全てが伝わるとはいえるはずがないわけで。その人の持っている思考なんぞの氷山の一角のようなものをぽこんと切り取って貼り付けるのにもちょっと似たりとも思う。そこで理解できるか理解できないか、なんてことは、その文字表現の上手下手とかそんな小手先のことでもなくて、書き手と読み手にとって、共通したある何ものかの趣味や好みだの思考だの体験だの情景だの記憶だの、そんなことの小さなピースが一個か二個はまればそれで「

    web上のやりとり、使う言葉、伝わる言葉 - リツエアクベバ
    yuzuyu_koro
    yuzuyu_koro 2006/06/20
    共通した記憶や体験が「わかる」につながるのかぁ。共有し合う、寄り添えた感覚に近いのかな。『間』を心地よい距離を持ってバランスよく引き出し合えるのかも。
  • 「話す中心」と「聞く中心」に思う - 『斬(ざん)』

    以前書いた記事の【ネット上での人格 その2】で S嬢さんからいただいたコメントに、触発されて記事にします。 話し逸れますが(って、いきなり脱線かよ!)、 オレのブログでやりたい展開ってこーゆーのなんだよね。 じっくり読んで、それに対するコメント、そのコメントに 触発されて新たな展開になっていく。時間掛けてじっくり 考えて練り込んで行く。 ん~。充実感!! 話を戻します。 コメントの中でS嬢さんは 人の持つスタンスってとこで、 「話す中心」と「聞く中心」ってのがあって。 「話す中心」ってのが強い場合、 「話し相手になってくれる相手を失うか否か」ってのは、 精神的死活問題になるところもあるんじゃないかと。 と、仰っていますが、まさにオレには「目から鱗」でした。 単細胞的な頭の固い発想しかないオレには、強烈でした。 「聞く中心」なオレ(ってかオレの場合「観る中心」なんだけど) からすると、 「話

    「話す中心」と「聞く中心」に思う - 『斬(ざん)』
    yuzuyu_koro
    yuzuyu_koro 2006/06/19
    話す事と同じ比重で聞く事ができると、どちらの欲求も満たされるんですね。どうしてもどちらかに偏っちゃうんだけど。シーソーみたいにバランスよくスイッチが入るといいのにな。
  • ウェブリブログ:サービスは終了しました。

    「ウェブリブログ」は 2023年1月31日 をもちましてサービス提供を終了いたしました。 2004年3月のサービス開始より19年近くもの間、沢山の皆さまにご愛用いただきましたことを心よりお礼申し上げます。今後とも、BIGLOBEをご愛顧賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。 ※引っ越し先ブログへのリダイレクトサービスは2024年1月31日で終了いたしました。 BIGLOBEのサービス一覧

    yuzuyu_koro
    yuzuyu_koro 2006/05/18
    自分から離れすぎた話は妄想や空想になってしまうし。距離の保ち方が難しいけど、自分の世界へ大暴走でなければもともと個人の意見が聞きたいわけだし。
  • 認証がかかっています

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    yuzuyu_koro
    yuzuyu_koro 2006/05/09
    1つの記事を読むと隣の記事、リンクされた記事と様々歩いた後にまた最初の記事を味わいたくなる。ふと「あの記事にまた逢いたい」と駆け込むことも。
  • 日記における「真実」と「嘘」 - 琥珀色の戯言

    http://www.enpitu.ne.jp/usr10/bin/day?id=103512&pg=20060203 そういえば、WEB上には、純粋な「(日常)日記」というのは、ずいぶん減ってしまったように思える。あるいは、そんな他人の「日常」なんて、読んでも面白くないので誰も読まなくなってしまっただけなのだろうか。 僕も以前、自分が書いた日記の内容に関して、「どうして、一緒にごはんをべたのに、そのあと何もしなかったのですか?」というようなコメントをいただいて、それに対して、次のように返事をしたことがある。「僕は自分の『日記』に嘘は書いていません。でも、書くことによって誰かを傷つけてしまったり、自分が不利を被ってしまうような内容に関しては、『実際に起こったことを書かない』ことはあります」と。 そもそも、「日記」というものに、起こったことをすべて書くことは物理的にも不可能だ。トイレで紙を

    日記における「真実」と「嘘」 - 琥珀色の戯言
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