東大卒業後、僧籍に入り、インドではMBAを取得。仏教×マネジメントの交差する場で活動する僧侶・松本紹圭氏が、経営用語を仏教用語に置き換えながら、“借り物でない日本的経営”を思索する新連載。第2回は、『歎異抄』に示された親鸞の言葉を元に、経営の土台を為す「企業理念」について考えます。 Tweet 善人なほもって往生をとぐ、いはんや悪人をや (善人でさえ、救われる。悪人ならば、なおさらだ) 鎌倉時代後期に唯円によって書かれたという仏教書『歎異抄』に出てくる親鸞の有名な言葉です。親鸞は浄土真宗の宗祖、唯円はその弟子です。教科書にも出てきますので、聞いたことのある人も多いのではないでしょうか。 「あれ、善人と悪人が、逆じゃないのかな?」と思わせるこの逆説的な言葉に惹かれて、親鸞ファンになる人も少なくありません。常識で考えれば、善人こそが救われて、悪人はその罪に相応の罰を受けるべき。では、親
メニューは「うま煮そば」と「ラーメン」だけ――。昔ながらの味を守り続ける新潟市中央区の老舗中華料理店が25日、創業40周年を迎えた。素朴な味を求めて足しげく通う常連は多く、店を切り盛りする夫婦は「体力の続く限り続けたい」と気持ちを新たにしている。 変わらぬ味を守るのは西堀前通の「白寿」。店主の上松一栄さん(69)と妻満里子さん(68)は「あっという間の40年だった」と口をそろえる。 店内は、カウンターに小テーブル二つ。油で黒光りする調理場、古めかしいラジオから流れる音楽は、昭和をほうふつとさせる。店名には「完璧(100%)ではない99(白寿)だからこそ踏ん張れる」という意味が込められている。 市内の有名中華料理店で店長をしていた上松さんは1972年、長男誕生を機に独立を決意。当初は、ギョーザなど約20種類のメニューがあったが、年齢を重ねるごとにメニューを絞り、今は創業時から人気の2品だけを
Nora Ephron, the essayist and humorist in the Dorothy Parker mold (only smarter and funnier, some said) who became one of her era’s most successful screenwriters and filmmakers, making romantic comedy hits like “Sleepless in Seattle” and “When Harry Met Sally...,” died on Tuesday night in Manhattan. She was 71. The cause was pneumonia brought on by acute myeloid leukemia, her son Jacob Bernstein s
鈴鹿医療科学大学学長、元国立大学財務・経営センター理事長、元三重大学学長の「つぶやき」と「ぼやき」のblog 今までのブログで、日本の学術論文数が停滞あるいは減少傾向にあり、諸外国が軒並み増えていることから、学術研究の国際競争力が急速に低下していることをお話してきました。そして、その大きな要因が、地方国立大学における研究機能の低下であり、その原因としては、国立大学への運営費交付金の削減が関係していることをお話してきましたね。 そして、論文数の減少はわが国のイノベーション力の低下を意味すること、そして、わが国は資源の乏しい国であり、今までイノベーションで海外から資源を買ってきたことを考えると、論文数の減少は由々しき事態であると主張してきました。 ここでお二人の方から、これに関連してご質問をいただいていますのでご紹介します。 〇大学の役割の指標として論文を数で比較することにどれくらい意味がある
注目のユーザーさんにインタビューするピックアップ第四回目はいつも新鮮な魚と美味しそうなお寿司をたくさんアップしてくださっている「SushiSaisho」さんこと、さいしょさんです。 今回のインタビュアー&記事は旅に出てしまったみぃるちゃんの代わりに編集長が担当しています。皆様よろしくお願いいたします。 さいしょさんと言えば、やっぱり毎朝の「市場なう」! すし処さいしょでその日に出すお魚を大田市場で仕入れる時にアップしてくれるシリーズは、大ファンですという方も多いのではないでしょうか。もちろん僕もファンなので、今回はお願いして市場なうに同行させてもらいました。 ■魚! 魚! 魚! な大田市場 大田市場にはちひろさんと一緒に同行させていただきました。当たり前なのですが、そこには魚! 魚! 魚! 魚を運ぶターレット(通称「ターレ」で、運転できる台車みたいな奴です)の邪魔にならないよう、同行して
私たちの知らないところで、私たちの知らない人が、私たちが遭遇した困難のために祈ってくれている。東日本大震災に際して、世界中の人々から多くの救いの手が差し伸べられたことは記憶に新しい。が、私たちが知らないこんな話もあった。(フジサンケイビジネスアイ) 先日、フェイスブックの会員の間で反響を呼んだ1枚の写真があった。写真は何の変哲もないただのパソコン基板。だがよく見ると小さな字で「God Bless Japan(日本に神のご加護を)」と祈りの言葉が印刷してあったのだ。 基板とはパソコン内部に装填(そうてん)されている主要部品で、普段はまったくユーザーの目に触れることはない。そこに日本への思いやりのメッセージがあった。 会員からは次々と「ありがとう。感激です」「感動した」など感謝のコメントが書き込まれた。同時に、いったい誰が、何のために、パソコンの内部基板にこのようなメッセージを印字したのだろう
モバイルゲーム 物凄い勢いで勃興したモバイルゲーム業界は、いろいろな課題や問題に直面しながらも巨大化し、今日の時点でのスマートフォン向けゲームの市場へと継承されていきます。 モバイルゲームの歴史 2001 Javaアプリと3Dゲームの登場 Javaが利用できるようになったことにより、ダウンロード型のゲームが供給できるようになりました。 2002 携帯電話端末の大容量化・3D化競争 Java搭載携帯電話端末が登場してからごく僅か1年の間に、アプリのサイズに関しては10倍に広大化し、表現方法も2Dから3Dにシフトし始めました。J-PHONEは『ゼビウス』や『スペースハリアー』などといった昔のアーケードゲームを、ドコモはSIMCITYなどパソコンで世界的規模のヒットを飛ばしたゲームを主力商品としていました。 2003 モバイルゲームの一般化 メモリの制限が厳しいJava仮想マシン上ではなく、OS
塗りつぶされたWeb2.0の余白と「いい話」の時代の終わり 昔はよかったという話ではありませんが、Web2.0ブームの時代、Webには大きな余白がありました。「可能性」と言った方が具体的かもしれませんが、要は「よくわかんないところ」です。少々ポエティックに言い替えれば「夢」とか「希望」としても許されるかもしれません。 「先のビジネスモデルはよくわからないけど、とりあえず面白いことを始めたよ」という人や企業が持て囃され、とにかく新しいこと、面白いことが評価されました。 ところが今や、その余白は実際の成功事例と失敗事例で塗りつぶされました。勝ちパターンが明らかになり、そこにうまく乗れた企業や個人が台頭し、一方で「面白い」のあたりに留まった人たちは途中で取り残され下り坂気味になり、また何もしなかった人たちはそのまんま……というのが、現在のWeb界隈の状況ではないかと思います。 こうした空気の
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