他競技 スケートボード 「うおぉぉ」「やべぇぇ」スケボー堀米雄斗、伝説の瞬間…現地の日本人記者も絶叫していた「ホリゴメの脳ミソはヤバいだろ?」海外記者も大興奮のパリ
クワッガ・スミスは、生まれ育ったアフリカの大地のようにいつも悠々としていておおらかだ。子どもの頃、ミニバイクで転倒し顔を負傷したときも、「鼻がちょっと曲がっちゃったけど、まぁいっか」で終わり。周囲からは、「ちゃんと治した方がいいんじゃ……」と言われたが、曲がった鼻も別に気にしていなかったし、何なら嫌いじゃなかった。
神奈川大会で東海大相模、横浜高校を撃破し、“戦国”神奈川から夏の甲子園出場を決めた慶応高校。甲子園の初戦で北陸(福井)を9-4で打ち破り、実力だけでなく「髪型自由」という他校とは一線を画する方針も話題となった。 そのチームを率いるのが、森林貴彦監督だ。小学校のクラス担任も務める森林の教育論を著書『Thinking Baseball ――慶應義塾高校が目指す"野球を通じて引き出す価値"』(東洋館出版社、2020年10月発行)から抜粋して紹介する(全3回の第1回/続きは#2、#3へ) 坊主頭それ自体は問題ではない。が… 21世紀になって20年が経過しましたが、高校野球部のほとんどはいまだに坊主頭のようです。 まず根本的なことを記せば、坊主頭にしていること、それ自体は大きな問題ではありません。より真剣に考えなければならないのは、「高校野球と言えばやはり坊主頭が主流。そこから飛び出るのは嫌だな」と
試合開始の2時間前にして、早くも会場は桜のジャージで埋め尽くされていた。 ただ、ここは国立競技場でもなければ、パブリックビューイングが実施された秩父宮ラグビー場でもない。 ラグビー日本代表が4年ぶりにニュージーランド代表と真剣勝負を交えた10月29日、グランドプリンスホテル新高輪にて「ホスピタリティ・ライブビューイング」が開催された。同イベントは、印刷業界大手の凸版印刷が“新しいラグビー観戦のカタチ”を提案すべく、料理やゲストによる“おもてなし”と、大型スクリーンによる“試合観戦”を融合させたもの。大宴会場「飛天」には約800人を収容する円卓と3つのスクリーンが用意され、集まった新旧ラグビーファンはいつもとひと味違うリッチなスポーツ観戦を楽しんだ。 ”決戦”にちなんだコース料理に舌鼓
「ムムッ!」「いいんです!」リズミカルに飛び出す言葉に圧倒された“90分”だった。俳優・川平慈英、60歳。逸材たちとボールを追いかけた読売ユース時代、志半ばで諦めたプロの道、人生を変えた演劇との出会い、そしてキャリアを彩った「ニュースステーション」のキャスター就任……節目を迎えた男がその半生を振り返る(全3回の3回目/#1、#2を読む)。 「衝撃でした。なんなんだ、このスポーツの祭典は!? って。冗談じゃなく本当に大雪かと思った。それくらいすごい光景だった。細胞レベルで揺さぶられる、みたいな。そして、マタドール、マリオ・ケンペスね。あの流し込み。またパンツの丈が短いんだよね。当時、ロンパンが主流だったから、それも衝撃的で。すぐにアルゼンチンの虜になった。そうしたら、アルゼンチンにすごい少年が出てきたらしいっていう話を聞いて……」 その少年こそ、ディエゴ・アルマンド・マラドーナだった。 ポリ
「生粋のサウナーなんですよ、僕。毎日入ってます。歯磨きと同じ感覚ですね」 一方、一時期は最大8チームを掛け持ちしていたサッカーはというと……。 「残念ながらこの5年ほど、あまりボールを蹴ってなくて。今年も1回だけかな。5年くらい前、試合中に右の半月板をやっちゃって。右足を軸に左足を振りにいったときにタックルがガツンと来て、すぐに分かった。お医者さんがバキュームを入れて、砕けた半月板を吸い取って。ガーリックフレークみたいでしたね。それ以降、やっぱり怪我が怖くて。毎日のようにゴリゴリやっていたのになあ……」 記憶が蘇ってきたらしく、川平はいかに自分がボールを愛する日々を送ってきたかを熱弁し始めた。 週末は街のフットサルに飛び入り参加!? 「草サッカーチームに2つ、フットサルチームに6つ入っていると、どのチームのユニホームだか分からなくなってくるんです(笑)。僕が50代半ばになると、ジョン(長兄
オールブラックスとの対戦で衝撃的だったこと この試合、日本は31対69で敗れたが、忘れられないことがある。味の素スタジアムで行われた一戦は、後半に入って日本代表がオールブラックスに突き放された。そのとき、観客席が沈黙し、失望していることが手に取るように分かった。 これは私にとって衝撃的なことだった。 ジャーナリズムの立場からすると、当時の日本がニュージーランドに勝つ確率は限りなく低いと思っていた。 ところが、2015年にワールドカップで南アフリカを倒してから日本代表を応援するようになったファンは、オールブラックス相手にさえ勝利を信じるようになっていた。 そして2019年のW杯の快進撃を経て、日本代表への期待はさらに高まっている。 さて、現在の日本代表はどんな状況にあるだろうか。 【次ページ】 サマーテストでの戦績
2022年初場所を終え、あるひとりの女性が、相撲部屋のおかみさんを“卒業”した。人気大関だった若嶋津の伴侶である、元実力派アイドル歌手の高田みづえ――日高みづえさんだ。 1977年、『硝子坂』でデビューし、『私はピアノ』『そんなヒロシに騙されて』で2度のレコード大賞金賞を受賞。85年に、当時大関だった同郷の若嶋津と24歳で結婚し、同時に並々ならぬ覚悟で芸能界をきっぱりと引退する。90年2月、千葉県船橋市に松ヶ根部屋(当時)を興した夫に寄り添い、華やかな芸能界と対極にあるかのような相撲界――男だけの修業の世界を裏から支える”おかみさん”となった。 2014年に、夫は一門総帥の“二所ノ関部屋”を継承。このたびの定年退職にあたり、32年の長きにわたり掲げて来た相撲部屋の看板を下ろした。夫と弟子たちを、小柄な体と底抜けの明るさで支えてきた“薩摩おごじょ”だ。「まだ、どうしても私の名前が目立ってしま
2人が平野の演技の最中、どのように叫んでいたのか。まず解説者が話し始める。 「信じてベストを尽くせば、あとは点数を審判に任せていればいいんです」 そして5回の試技をノンストップでこう叫び続けた。 「トリプルコーク1440!」 「ダブルコーク1440! いいですよ!」 「次は1260!」 「もう一度1260! バックサイド・ダブルコーク!」 難易度の高いミスなしの技に魅了される解説者。視聴者には耳障りに聞こえるかもしれない叫びだが、そんなこともお構いなしだ。 「マジマッ!(最後) マジマッ!(最後) フォーティーーーーーン・フォーティーーーーーーーーーーーーーーーー!」 すると、この解説者は今度は冷静に、平野の技を的確に賞賛した。 「トリプルコークというのは、対角線に3回転し、横回転も加えます。“1440”を飛ぶアユム選手ですが、過去には膝が腹部を強打して肝臓を傷めて、本当に危険な状態で病院
野球 プロ野球 〈祝結婚〉稲垣啓太のお相手、新井貴子さんの父・新井宏昌69歳が偉大… 2000安打達成+イチローや丸佳浩らの師匠+解説名人
初観戦の試合が、長嶋茂雄氏のナゴヤ球場で最後の… ――『水曜どうでしょう』で北海道のイメージが強い藤村さんですが、ご出身は愛知県なんですよね。子供の頃はどんなスポーツをやっていたのですか。 藤村 それはもちろん、中日ファンでしたよ。当時、愛知の小学生男子といえば、野球帽をかぶり、中日のTシャツを着るのが“スタンダード”。地元の野球クラブにも入ってました。補欠でしたけど。 実は、生まれて初めて行ったプロ野球観戦が、結果的に長嶋茂雄さんのナゴヤ球場での現役最後となった試合だったんです。だけど、地元からナゴヤ球場まで1時間以上かかるから、試合開始に間に合わせるには学校を早引きする必要があった。先生に早退したいと伝えると「学校なんかに来てる場合じゃないよ、早く行きなさい」って。そういう時代だったんです。 ――そこからますます野球のファンになっていったと。 藤村 いや、それがそうでもなくて。その試合
今や全国的な人気を誇る北海道発の怪物番組『水曜どうでしょう』のチーフディレクターで、日本ハムファンとして知られる“藤やん”こと藤村忠寿氏。2月1日のプロ野球キャンプインを前に、藤村氏が「シンパシーしかありません」と語る新庄剛志新監督への期待とは。(全2回の前編/後編へ) 藤村氏が考える自身と新庄監督の“共通点” ――2月1日、新庄剛志新監督率いる北海道日本ハムファイターズが、ついにキャンプインします(取材は1月17日)。率直なところ、新庄監督のことをどのように見ていますか。 藤村 僕は勝手に新庄さんの“一番の理解者”を自負していて。新庄さんが監督って聞くだけでワクワクするし、報道で耳にする言動や行動も「わかるよ、わかる!」って共感するところがものすごく多いんですよ。 ――その共感は、分野は違えど、同じ北海道という地で新しいことに挑戦してきたからでしょうか。
Number最新号「新しい金メダリストのつくり方」では、スケボーの堀米雄斗を筆頭に新しいタイプのアスリートの「育ち方」を大特集。その特集内で、2つの日本代表チームで世界を驚かせた2人の“鬼コーチ”による対談が実現した。男子ラグビーのエディー・ジョーンズと、女子バスケットボールのトム・ホーバス。強烈な個性を持つ名将同士が語り合った記事「日本人よ、“悪魔”を解き放て!」について、司会を務めた生島淳氏が綴った。 エディーとトム。 11月から始まるテストマッチに備えてイギリスにいるエディー・ジョーンズ氏(現イングランド代表HC)と、アメリカに帰国していたトム・ホーバス氏のふたりの対談が実現したのは、オンラインのおかげである。コロナ禍の前だったら、企画として思いつかなかったかもしれない。 このふたり、面識はなかったにもかかわらず、挨拶を終えると、いきなり話が転がり出した。 まず、エディーさんが問う。
それは「五郎丸」をめぐっての不思議な旅だった。 2016年11月19日。日本対ウェールズをカーディフで取材した私は(この試合は74分に日本が30対30と追いつき、敵地で勝ってしまうんじゃないかと本当にドキドキした)、美食の街であるカーディフに後ろ髪を引かれつつ、その日のうちにロンドンへと戻った。 翌朝、五郎丸歩がプレーしていたフランスのトゥーロンへと向かうためである。 11月20日、ロンドンのヒースローからマルセイユへと飛び、車でトゥーロンへ向かう。人口およそ16万人の街に入って驚いたのは、そこかしこにクラブのフラッグがあり、キオスクにはボールが売られていて、投宿したホテルのロビーにはなんとラインアウトの写真がデザインされていた。 ここトゥーロンはラグビータウンだった。 「ようこそ、こんなところまで」 その夜、五郎さんが取材場所に指定してきたのは、トゥーロンの中心部から車で30分以上かかる
TOP14の激しい上位争いが続く中とあって限られた時間の中だったが、松島にここまでの欧州での挑戦について話を聞くことができた。 キックへの意識はさらに高まった ――日本代表での活躍は、チームメイトたちにも知られていましたか? 「そのお陰もあって、チームにもすぐに馴染むことが出来ました。チームに合流したばかりのときは、W杯の話題で話しかけてくるチームメイトもいました」 ――ここまでフランス国内リーグTOP14、ハイネケン・チャンピオンズカップでプレーしてきての実感は? 「自分のスピード、ステップワークは通用していると思いますし、フィジカルでも負けてないと思っています。あとは、こっちに来てキックがさらに良くなったと思います。欧州での試合ではキックは重要ですし、全体の練習が終わってからもキックの練習はしっかりやっています」 ――自身の最大の武器は走りではあるが、欧州の試合ではキックの重要性も高い
宮藤官九郎脚本、長瀬智也主演のドラマ『俺の家の話』(TBS 系 金曜よる10時~)はプロレスファンも必見のドラマだ。 長瀬演じる観山寿一がプロレスラーで、所属する団体〈さんたまプロレス〉には長州力が長州力本人として出演し、「キレ(切れ)てねえ」「形変えるぞ」とおなじみの名言を発している。ほかにも第1話には、現役プロレスラーの翔太、勝俣瞬馬、中村圭吾、レフェリーの木曽大介(プロレス監修も担当)が出演、第3話では、武藤敬司、蝶野正洋、TAMURA、渡瀬瑞基なども出演しドラマを彩った。 単に「介護×プロレス×伝統芸能」のコメディではない 寿一が40代になってプロレスラーとしての限界が見えたとき、父・寿三郎(西田敏行)の介護と能の宗家の継承を余儀なくされ、プロレスラー引退を決断する。苦渋の選択をした寿一に辞めないでほしいと後輩レスラーがすがったとき、長州が諭す。
物語の説明は省かせていただくとして、劇中、主演の長瀬智也(以下、出演者の敬称略)演じる観山寿一こと、プロレスラーのブリザード寿(途中から覆面レスラーの「スーパー世阿弥マシン」へと変身)のアクションシーンがすこぶる評判が良い。 あまりに違和感がないため、プロレスシーンは本職の吹き替えを使っていると思われていたが、これが「吹き替えなし」というから驚いた。人気タレントにケガでもあったら、あまりに痛手。リスクも大きいはずだが、長瀬本人の希望もあり、すべてのプロレスシーンを本人が演じているのだそうだ。 プロレスを指導する勝村周一朗って? 第1話の劇中、寿一の回想シーンにて、幼少期の寿一をヒザに乗せつつプロレス中継(アントニオ猪木vs.ブルーザー・ブロディ)を眺める父・寿三郎(西田敏行)が口にする「プロレスっていいなぁ、寿一。反則しても、血が流れても、なんか節度があって、品があっていい」というセリフは
'15年以降のジャパンの大躍進を牽引してきた不動のリーダーは、その統率力をいかに身につけたのか。代表デビュー時の主将に話を聞き、誰よりも日本を愛する男が持つリーダーシップの“原点”に迫った。 あそこがターニングポイントだったな。 振り返ると気づくときがある。歴史の変わり目。ラグビー日本代表にとっては、2008年がそういうときだった。 '03年、'07年とワールドカップ(W杯)2大会で主将を務めた箕内拓郎が、この年のパシフィックネーションズカップ(PNC)最終戦、サモア戦で負傷退場。これが代表でのラストマッチになった。前年のW杯カナダ戦の同点コンバージョンキックでヒーローになった大西将太郎も、同じサモア戦が最後の代表ジャージーとなった。 箕内や大西が、当時の日本代表にとっては年間最大のターゲットだったPNCを戦っていたころ、ウェールズで開かれていたジュニア世界選手権で厳しい戦いに臨んでいたの
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