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novelに関するyyamaguchiのブックマーク (20)

  • 2015年ノーベル物理学賞発表!「ニュートリノ振動の発見」で梶田隆章博士ら

    「私たちは、まだ世界のすべてを知ることが出来ていない」。 その証拠を示した発見に、ノーベル物理学賞です。 2015年のノーベル物理学賞は、東京大学宇宙線研究所長の梶田隆章博士と、カナダ・クイーンズ大学のアーサー・マクドナルド博士が受賞しました。受賞テーマは、「ニュートリノ振動の発見により、ニュートリノに質量があることを示したこと」です。 簡潔に言うと、「ニュートリノ」という目に見えない粒子の振る舞いを観測し、人類がそれ以前に観測してきた物理現象から組み立てた「標準理論」に、まだ足りない部分があることを明らかにしたのです。目の前の物質から宇宙全体までに対する、私たちの理解をあらためる発見でした。 【ニュートリノって何?】 ニュートリノは素粒子の一種。物質をつくる基の(=つまりこれ以上は分けることができない)、粒のようなものです。目に見ることができず、人体や構造物、地球などをスルスルとすり抜

    2015年ノーベル物理学賞発表!「ニュートリノ振動の発見」で梶田隆章博士ら
    yyamaguchi
    yyamaguchi 2015/10/08
    「簡潔に言うと、「ニュートリノ」という目に見えない粒子の振る舞いを観測し、人類がそれ以前に観測してきた物理現象から組み立てた「標準理論」に、まだ足りない部分があることを明らかにした」
  • 今日は僕が一番ちゃんとせなと思ってました。<br />又吉直樹さん テレビ局の囲み取材全文<br /> | ニュース - 文藝春秋BOOKS

    2015.07.17 ニュース 今日は僕が一番ちゃんとせなと思ってました。 又吉直樹さん テレビ局の囲み取材全文 7月16日、第153回芥川賞に又吉直樹さんの「火花」と羽田圭介さんの「スクラップ・アンド・ビルド」が選ばれました。受賞決定直後に行なわれたテレビ局の囲み取材の模様を、書き起こしでお伝えします。 又吉直樹さんの芥川賞受賞会見の模様はこちら>> ──中学生のときに文学に出会った又吉さん、書き始めた時の又吉さん、そして今のご自身に言いたいことは? 又吉 文学を読み始めたのは教科書に載ってる芥川の「トロッコ」とかだったので、うらやましいですね。そこからなんぼでも読めるんで、どんどん読んだ方がええよという感じですよね。書き始めた時はどうでしょうね、まあまあ好きなように書いて、みたいな感じですかね。今は当に驚いてますね。よく状況がわかっていないみたいな感じですね。 ──文学の神様っている

    今日は僕が一番ちゃんとせなと思ってました。<br />又吉直樹さん テレビ局の囲み取材全文<br /> | ニュース - 文藝春秋BOOKS
  • 又吉さん芥川賞:「つつましさ変わらない」大竹阪大副学長 - 毎日新聞

    yyamaguchi
    yyamaguchi 2015/07/16
    「大竹さんが3年前、又吉さんに初めて会った時の印象は「芸人なのにびっくりするほど目立たない人」。「今も、つつましさは全く変わらない」と話す。」
  • 今週の本棚:大竹文雄・評 『火花』=又吉直樹・著 - 毎日新聞

    yyamaguchi
    yyamaguchi 2015/07/16
    「経済学の一番重要なメッセージとも共通する。芸人という競争社会を生きてきた著者が形成してきた考え方と、経済学の考え方が一致しているのは偶然ではないだろう。」
  • 【ベテラン記者のデイリーコラム・石野伸子の読み直し浪花女】田辺聖子がみた夢(13)38歳「カモカのおっちゃん」と神戸で得た活力(1/3ページ) - MSN産経west

    1964年に芥川賞を受賞した田辺聖子は、2年後の1966年、神戸の開業医、川野純夫と結婚する。38歳、夫42歳、なかなかワケありのカップルとなった。 ワケあり、というのは川野は田辺の作家仲間だった川野彰子の夫で、その川野彰子が病気で急逝し、地元新聞に追悼文を書いたのがきっかけで純夫と知り合ったという出会いも出会いなら、彼には彰子が残した4人の子供があり、下町の診療所兼自宅には故郷の奄美大島から出てきた母親や結婚前の弟、妹などが同居する大家族暮らしだった、というのもややこしいことだった。 田辺聖子はすでに多忙な作家活動に入っていた。1960年代は従来の文芸誌とは一線を画した娯楽小説雑誌や週刊誌が続々登場し、田辺の小説は読者を着実に獲得しつつあった。次々舞い込む注文に応じて毎日が締め切りという過酷な生活。そんな中、ややこしい環境に飛び込んで小説を書くなど、常識では考えられないところだ。 が、

  • 山中氏ノーベル賞:「難病治したい」繰り返した挫折、再起- 毎日jp(毎日新聞)

    記者会見を終えて松紘・京都大学長(左)と握手する山中伸弥教授=京都市左京区で2012年10月8日午後8時59分、三浦博之撮影 「人間万事塞翁(さいおう)が馬」(人生の幸・不幸は予測できない) 8日、今年のノーベル医学生理学賞に輝いた山中伸弥・京都大教授(50)は、この言葉を心の支えに研究に力を注いできた。人工多能性幹細胞(iPS細胞)の開発を発表してからわずか6年。50歳の若さで最高の栄誉を手にした。しかし、開発までの半生は挫折と再起の繰り返しだった。 ◇夢は整形外科医 最初に目指したのは整形外科医だった。中学、高校で柔道に打ち込み、足の指や鼻などを10回以上骨折した経験からだ。スポーツ外傷の専門医になろうと、神戸大医学部を卒業後、国立大阪病院(大阪市、現・国立病院機構大阪医療センター)整形外科の研修医になった。 しかし、直面したのは、治すことができない数多くの患者がいるという現実だった

    yyamaguchi
    yyamaguchi 2012/10/09
    「奈良先端科学技術大学院大の助教授の公募に通ったこと。「落ちたら今度こそ研究を諦めよう」との思いで応募した。「研究者として一度は死んだ自分に、神様がもう一度場を与えてくれた」」
  • 朝日新聞デジタル:「i」PSなぜ小文字? 山中さんってどんな人? - 科学

    山中さんってこんな人  iPS細胞は、induced Pluripotent Stem cellの頭文字で、山中さん人が名付けた。「i」だけが小文字なのは、はやりの米アップル社の携帯音楽プレーヤー「iPod」にあやかって、広く普及して欲しいとの遊び心だ。  遊び心は、難しい再生医療の講演中にも忘れない。「少なくとも1回は笑いを取る。関西でうけるネタは米国で、関東のネタは英国で受ける」。専門用語はなるべく使わず、登壇の1分前まで内容をパソコンで直し吟味する。  そんな心がけは大阪生まれというだけではなく、米国留学中に学んだプレゼンテーションの授業のおかげだ。「目線をスクリーンにばかり向けちゃだめ」「レーザーポインターを振り回さず、1カ所に止めて説明して」と厳しく指導された。 続きを読むこの記事の続きをお読みいただくには、会員登録が必要です。登録申し込みログインする(会員の方)無料登録で気軽

    yyamaguchi
    yyamaguchi 2012/10/09
    「米国留学中に学んだプレゼンテーションの授業のおかげだ。「目線をスクリーンにばかり向けちゃだめ」「レーザーポインターを振り回さず、1カ所に止めて説明して」と厳しく指導された」
  • asahi.com(朝日新聞社):新連載小説「聖なる怠け者の冒険」 作者・森見さんに聞く - ひと・流行・話題 - BOOK

    新連載小説「聖なる怠け者の冒険」 作者・森見さんに聞く2009年6月4日え・フジモトマサル森見登美彦さん■現代のおとぎ話の雰囲気に 森見登美彦さん(30)の連載小説「聖なる怠け者の冒険」が9日から始まる。正義の味方を名乗るタヌキのお面をつけた怪人と、なぜか怪人に“宿敵”と目をつけられた若い研究所員のどたばた騒ぎを描く。森見さんの初めての新聞連載小説は、謎の私立探偵も登場する大冒険活劇になりそうだ。(加藤修) ■京都の街が舞台 森見作品の特徴は、作品世界が相互に連関していることと、京都の街を舞台にしていること。今回の作品でも柳小路の八兵衛明神などが登場する。 「自分が歩き回っていた範囲が狭いので、どうしても先斗町や六角堂など京都の一部の地域ばかり描いています。今回はこれまで書いてない場所にしようと八兵衛明神を扱うことにしましたが、六兵衛、七兵衛もあると言われるなど、由来もよく分からないままで

    yyamaguchi
    yyamaguchi 2009/06/05
    「森見作品の特徴は、作品世界が相互に連関していることと、京都の街を舞台にしていること。」
  • 村上春樹「僕はなぜエルサレムに行ったのか」を読みました - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    文藝春秋四月号の「独占インタビュー&受賞スピーチ 僕はなぜエルサレムに行ったのか 村上春樹」(参照)をさっそく読みました。やはり、葛藤があったようです。賞を受けることについて、村上春樹さんは、率直に短い言葉で語っています。 受賞を断るのはネガティブなメッセージですが、出向いて授賞式で話すのはポジティブなメッセージです。常にポジティブな方を選びたいというのが、僕の基的な姿勢です。 ネットの日語訳については、こう語っています。 ネット上では、僕が英語でおこなったスピーチを、いろんな人が自分なりの日語に訳してくれたようです。翻訳という作業を通じて、みんなが僕の伝えたかったことを引き取って考えてくれたのは、嬉しいことでした。 朝日新聞で報道された「ネット空間にはびこる正論原理主義」(参照)というのは、あそこだけ抜き取ると、ネット批判のように読めましたが、村上さんは、この正論原理主義を60年代

    村上春樹「僕はなぜエルサレムに行ったのか」を読みました - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    yyamaguchi
    yyamaguchi 2009/03/11
    「ネット上では、僕が英語でおこなったスピーチを、いろんな人が自分なりの日本語に訳してくれたようです。翻訳という作業を通じて、みんなが僕の伝えたかったことを引き取って考えてくれたのは、嬉しいことでした」
  • asahi.com(朝日新聞社):村上春樹さんがエルサレムに行った理由 誌上で告白 - 文化

    村上春樹さん  2月15日に開かれたエルサレム賞授賞式のスピーチで、イスラエルのガザ攻撃を批判して話題になった作家村上春樹さん(60)のインタビュー「僕はなぜエルサレムに行ったのか」が、受賞スピーチ「壁と卵」(全文)とともに、10日発売の「文芸春秋」4月号に掲載される。昨年11月の授賞の打診、発表前のガザ攻撃で悩んだ経過やペレス大統領の表情、スピーチで明かした昨年90歳で亡くなった父親の戦争体験などを率直に話している。  村上さんは、国ではなくブックフェアの賞であることや、過去の受賞者のパレスチナ政策批判スピーチも内容が公開されていることから、授賞式で話すという「ポジティブなメッセージ」を選んだ。  授賞式にはペレス大統領も出席。式の前に「僕は14年前に『ノルウェイの森』を読んだ」と言われた。しかし、「スピーチの途中から最前列に座っている大統領の表情がこわばってきました」。終わると、多くの

    yyamaguchi
    yyamaguchi 2009/03/09
    「村上さんは、国ではなくブックフェアの賞であることや、過去の受賞者のパレスチナ政策批判スピーチも内容が公開されていることから、授賞式で話すという「ポジティブなメッセージ」を選んだ」
  • 謎に包まれた伝説の作家J・D・サリンジャー、90歳に 国際ニュース : AFPBB News

    米ニューヨーク(New York)で開催された競売大手サザビーズ(Sotheby's)のオークションに出品された、米作家J・D・サリンジャー(J.D Salinger)氏が18歳のジョイス・メイナード(Joyce Maynard)さんに送った直筆の手紙14通。子どもの学費をつくるためメイナードさんが競売にかけたもの。(1999年6月22日撮影)。(c)AFP/SOTHEBY'S 【1月2日 AFP】代表作『ライ麦畑でつかまえて(The Catcher in the Rye)』で知られる、謎に包まれた伝説的作家J・D・サリンジャー(J.D. Salinger)氏が1日、90歳の誕生日を迎えた。 1965年に米誌ニューヨーカー(New Yorker)誌に掲載された『ハプワース16、1924年(Hapworth 16: 1924)』を最後に同氏は新作を出していない。インタビューも1980年にボス

    謎に包まれた伝説の作家J・D・サリンジャー、90歳に 国際ニュース : AFPBB News
    yyamaguchi
    yyamaguchi 2009/01/05
    「書くのは好きだし、日常的に書くことはやめていない。だが自分のために書いているだけだ。私のことはそっとしておいてほしい」
  • 日本にノーベル賞を出すもう1つの理由:日経ビジネスオンライン

    気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン いきなりの株高です。「乱高下」の「高」というべきかもしれません。米国発の金融不安は瞬く間に各国に波及し、日でも大和生命保険破綻など、実体経済に影響が出始めています。ブッシュ政権最末期の米国は北朝鮮に対するテロ支援国家指定を解除、パワーバランスにも明確な変化が出始めました。 そんな中で発表されるノーベル各賞には、「明るいニュース」という観点とは別に、リアルな現実を直接反映する側面が存在しています。たとえばプリンストン大学のポール・クルーグマン教授への経済学賞。露骨といえばこれほど露骨な授賞はありません。 国際貿易という専門での業績とは別に、クルーグマン博士は金融危機を招いたブッシュ政権への歯に衣着せぬ発言で知られ、「恐慌の罠」「嘘つき大統領の

    日本にノーベル賞を出すもう1つの理由:日経ビジネスオンライン
    yyamaguchi
    yyamaguchi 2008/10/15
    「影からずっとサポートしてきた「風車の弥七」(カビボ教授)には賞が行かない。むしろ「助さん角さん」としては「自分たち以上に弥七さんに光が当たるべき」という思いがあって当然」
  • ノーベル物理学賞に南部陽一郎、小林誠、益川敏英の3氏 : 科学 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    ノーベル物理学賞の受賞が決まり、・智恵子さん(左)と喜ぶ南部陽一郎・シカゴ大学名誉教授(シカゴ市内の自宅で)=増満浩志撮影 スウェーデン王立科学アカデミーは7日、2008年のノーベル物理学賞を、米国籍で日人の南部陽一郎・シカゴ大学名誉教授(87)、日学術振興会の小林誠理事(64)、京都産業大学の益川敏英教授(68)の3氏に贈ると発表した。 授賞理由は、南部氏が「素粒子物理学と核物理学における自発的対称性の破れの発見」、小林、益川氏が「クォークの世代数を予言する対称性の破れの起源の発見」。 授賞は3人までと決められており、そのすべてを日人研究者が独占する初の快挙となった。日人受賞者は15人になった。 物理学賞としては、湯川秀樹(1949年)、朝永振一郎(65年)、江崎玲於奈(73年)、小柴昌俊(2002年)の4氏に続く授賞となった。 賞金は1000万スウェーデン・クローナ(約1億4

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    yyamaguchi 2008/10/07
    「授賞理由は、南部氏が「素粒子物理学と核物理学における自発的対称性の破れの発見」、小林、益川氏が「クォークの世代数を予言する対称性破れの起源の発見」」
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    yyamaguchi
    yyamaguchi 2008/09/28
    「ターゲットは若い読者だが、瀬戸内さんは自身のケータイ小説にひそかに源氏物語の要素を織り込んでいる」
  • 特集:「あしたの虹」を書いた理由 瀬戸内寂聴さん・藤原新也さん対談 - 毎日jp(毎日新聞)

    ◇ケータイの世界に触れた 千年先だって愛してる--。瀬戸内寂聴さんがペンネーム「ぱーぷる」で書いたケータイ小説「あしたの虹」。両親の離婚に心を痛める女子高生ユーリが出合った運命の恋をみずみずしく描く。毎日新聞社から単行として刊行されたのを記念して、ケータイ小説に詳しい写真家の藤原新也さんを迎え、なぜ「あしたの虹」を書いたのかを明かし、ケータイ小説に寄せる思いなどを語り合った。 ◇「知らなきゃ始まらない」瀬戸内さん ◇「若者の“棚”に飛び込んだ」藤原さん 瀬戸内 ケータイ小説については日語をだめにする、文学ではないなど、悪口ばかりを聞きました。でも非常に売れている。知らなきゃ何も言えないと思い、読みました。これなら売れるなと小説家として思いました。さらに「これなら書ける」と思ったのが書き始めたきっかけです。何でも私は自分の手で触らないと信じないんです。書く前に藤原さんが今の若い子をよく知

    yyamaguchi
    yyamaguchi 2008/09/26
    「思うことをぱっぱっと書いて通じる。今まで自分が一生懸命いい文章を書こうとしていたのが、何をしてきたのかと」「「あしたの虹」は「源氏物語」を下敷きにして、光源氏が藤壺と間違いを犯す部分を使っています」
  • ケータイ小説では「ぱーぷる」 86歳瀬戸内寂聴さん衝撃告白 - MSN産経ニュース

    「私もこっそりケータイ小説を書いていました。わくわくしました」。作家の瀬戸内寂聴さん(86)が「ぱーぷる」というペンネームでケータイ小説を書き、サイト上で発表していたことが24日、分かった。同日、東京都内のホテルで行われた第3回日ケータイ小説大賞の贈呈式に、同賞名誉実行委員長として出席、あいさつの中で“告白”した。 瀬戸内さんは「ケータイ小説は日の文学を悪くすると言われていますが、読まれているのには理由があるはず。なぜ読まれるのか知りたくて書いてみた」と語った。 作品は源氏物語の一部をモチーフにした現代の恋愛小説「あしたの虹」。今年5月から9月までケータイ小説サイト「野いちご」に連載、現在約25万ページビュー(閲覧回数)。絵文字も使い、若い人の会話をまねて執筆した。 瀬戸内さんは贈呈式で、「あたし彼女」という作品で大賞に輝いた札幌市在住のkikiさん(23)らケータイ小説作者たちに「書

    yyamaguchi
    yyamaguchi 2008/09/26
    「ケータイ小説は日本の文学を悪くすると言われていますが、読まれているのには理由があるはず。なぜ読まれるのか知りたくて書いてみた」
  • 瀬戸内寂聴さん:名前を隠して初のケータイ小説 - 毎日jp(毎日新聞)

    第3回日ケータイ小説大賞授賞式でぱーぷるの正体が自分であることを話す瀬戸内寂聴さん=東京・パレスホテルで2008年9月24日、根岸基弘撮影 文化勲章受章作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんが、86歳にしてケータイ小説に初挑戦、ケータイ小説サイトで名前を隠して書き上げたと24日、発表した。「ぱーぷる」のペンネームで、女子高生ユーリのいちずな恋を描いた「あしたの虹」。10代、20代の女性たちが等身大の物語を書き、女子中高生が読者の中心というケータイ小説に、大物作家が切り込んで、大きな注目を浴びそうだ。 「あしたの虹」は携帯電話で読むケータイ小説サイト「野いちご」で5月に掲載スタート。今月10日に完結した。横書き、短い簡潔な文章、若者言葉など、今までの瀬戸内文学とはまるで異質の作品になっている。今年は源氏物語千年紀でもあることから、源氏の現代語訳で知られる作家らしく、主人公ユーリが恋する相手の名を「ヒカ

    yyamaguchi
    yyamaguchi 2008/09/26
    「同委員長を引き受けたことから、「だったら私も書いてみよう」と執筆を決意。「この年になると面白いことがなくなる。ケータイ小説を書くという初めての経験はとてもワクワクしました」」
  • asahi.com(朝日新聞社):86歳瀬戸内寂聴さんがケータイ小説 筆名「ぱーぷる」 - 携帯電話 - デジタル

    瀬戸内寂聴さん  作家で僧侶の瀬戸内寂聴さん(86)がケータイ小説を発表していたことが25日、わかった。紫式部にちなんだ「ぱーぷる」の筆名でケータイ小説サイト「野いちご」に5月から掲載を開始、今月10日に完結した。日ケータイ小説大賞発表式の席上、名誉実行委員長の瀬戸内さんも筆名で書いていたことを明かした。  タイトルは「あしたの虹」。ケータイ小説らしい、会話を多用したシンプルな文体で女子高生の恋物語をテンポよく描き、瀬戸内さんの小説としては異色。主人公の恋の相手を「ヒカル」とするなど、「源氏物語」を踏まえている。  単行は「ぱーぷる」著として毎日新聞社から刊行された。

    yyamaguchi
    yyamaguchi 2008/09/26
    「主人公の恋の相手を「ヒカル」とするなど、「源氏物語」を踏まえている。」
  • コイチゴ通信 ★野いちごにアノ有名作家さんが★

    9月24日第3回日ケータイ小説大賞授賞式で衝撃の発表が! なんと、あの"瀬戸内寂聴"さんが野いちごで作家活動をしていたのです! 瀬戸内寂聴さんといえば、1963年『夏の終わり』で女流文学賞、92年に『花に問え』で谷崎潤一郎賞、2001年には『場所』で野間文芸賞と数々の賞を受賞。『現代語訳 源氏物語』を200万部を超える大ヒットにさせた作家さんです。 そんな瀬戸内寂聴さんのユーザネーム"ぱーぷる"。その作品は『あしたの虹』。 86歳とは思えない筆致! 正体に気づいていた人、居たかな? そんなの全然知らなかった!って人は、是非今からチェックしてみて! ◆ぱーぷるさんプロフを見る ◆『あしたの虹』を読む

    yyamaguchi
    yyamaguchi 2008/09/26
    「そんな瀬戸内寂聴さんのユーザネーム"ぱーぷる"。その作品は『あしたの虹』。86歳とは思えない筆致!」「超巨匠の作品をココで読めちゃうなんてラッキー!作家仲間になれたらもっとドキドキしちゃうよね!」
  • 雑誌『プレジデント』の公式サイト:PRESIDENT Online - PRESIDENT

    2024年8月16日(金) 環境フォト・コンテスト / プレジデント「第31回 環境フォト・コンテスト2025」へのご応募、ありがとうございました! 2024年1月15日(月) 環境フォト・コンテスト / プレジデント「第30回 環境フォト・コンテスト2024」入賞作品を発表! 2023年1月13日(金) プレジデント / 環境フォト・コンテスト「第29回 環境フォト・コンテスト2023」入賞作品を発表! 2022年1月14日(金) 環境フォト・コンテスト / プレジデント「第28回 環境フォト・コンテスト2022」入賞作品を発表! 2021年2月8日(月) プレジデント読者のみなさまへお知らせ 2021年2月8日 2021年1月8日(金) 環境フォト・コンテスト / プレジデント「第27回 環境フォト・コンテスト2021」入賞作品を発表! 2020年1月10日(金) 環境フォト・コンテス

    雑誌『プレジデント』の公式サイト:PRESIDENT Online - PRESIDENT
    yyamaguchi
    yyamaguchi 2008/03/03
    「この本を書こうと思った理由のひとつは、こういう切れ味のいい、前向きな言葉が持つ力に僕がこれまでものすごく救われたからです。」
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