蜀(しょく)の丞相(じょうしょう)・諸葛亮(しょかつりょう)が北伐の前線・五丈原で亡くなった時、丞相長史の職にあった楊儀(ようぎ)が撤退(てったい)の総指揮をとりました。 将軍・魏延(ぎえん)が楊儀の指示通りに撤退することに難色を示したため、楊儀は魏延を置き去りにして先に撤退を開始しました。これに怒った魏延は楊儀の先回りをして撤退の通路を焼き、楊儀との対立姿勢をあらわにしました。こうしてプチ内戦状態となり、魏延が討ち取られて事態は終息しました。三国志演義(さんごくしえんぎ)にもあるこの話。演義の中では二人の不仲な様子は描かれていませんが、正史三国志を見ると、魏延と楊儀がかねてから険悪な間柄であったことが分かります。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広