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大東亜戦争に関するtsurishinobuのブックマーク (3)

  • 「殺してくれ」上等兵の懇願今も脳裏に…102歳元兵士 ビルマ戦線の〝地獄絵〟語り継ぐ

    《ああ、今日も生きて命があった。しかし明日は死が待っている》-。先の大戦の激戦で知られるビルマ(現ミャンマー)戦線から生還した元兵士の山栄策さん(102)=滋賀県草津市=が自身の体験をもとにした私小説を執筆し、自費出版した。前編だけでも200ページを超え、後編の執筆も継続中。負傷を繰り返した地獄のような日々と祖国への思い、そして平和への願いが100年を超える人生を振り返りながらつづられている。 「難しい操作はできませんが…」。軽快にキーボードをたたく音が書斎に響く。朝起きるとパソコンに向かい、ひたすら文字を打ち続けるのが日課だ。現在執筆しているのは、昨夏に自費出版した私小説「百二歳の旅人」の後編。復員後から現在までの話になるといい、「今は改行など細かい調整段階。できるだけ早く完成させたい」と意気込む。 山さんが執筆してきた手記や小説 約20年前、パソコンの普及とともに使い方を習得した。

    「殺してくれ」上等兵の懇願今も脳裏に…102歳元兵士 ビルマ戦線の〝地獄絵〟語り継ぐ
    tsurishinobu
    tsurishinobu 2023/12/03
    よく生き残ったなあ。それも奇跡だが100歳超えても元気とは、これまた奇跡。語り継ぐのは尊いことだが、平和主義で「戦争絶対ダメ」とか言うのならやめてほしい。自衛戦争は誰が何と言おうと放棄できない!
  • 【岩田温の温々熱々】戦歿学徒を批判した哲学者の醜い変節

    我が国におけるギリシャ哲学研究の泰斗の一人に出隆(いでたかし)を挙げることが出来る。出が翻訳したアリストテレスの『形而上学』はいまなお岩波文庫で版を重ねている。また、出隆自身が著した『哲学以前』は、戦前、戦後を通じて多くの人々に影響を与えた。今読み返してみても、知性とは何かを考える際の参考になる好著である。 だが、出隆の戦前、戦後の著作を丹念に読み解くと恐るべき事実が浮き彫りになってくる。 戦時下の昭和19年に刊行された『詩人哲学者』では、「水の杯を出陣の学徒に献ぐ」が「序に代えて」として付されている。戦時下とはいえ、なかなか勇ましい文言が並んでいる。 「滅私なくして奉公はない。ですから皆さんも、今度入営されるときには、私を殺して皇軍の一兵卒に成りきって戴(いただ)きたい」 「諸君は死の準備を、死の稽古をして来られたのである。諸君にはすでに、美しく貴い死への用意は十分である。偉大なる生にま

    【岩田温の温々熱々】戦歿学徒を批判した哲学者の醜い変節
    tsurishinobu
    tsurishinobu 2023/08/22
    これは驚いた。出隆の本は読んでいないが、プラトンを読むとき、この人の著作が参考書としてよく名前が挙がっていた。そのギリシャ哲学の泰斗がここまで戦争を賛美し、かつ戦後、戦没学徒を貶めていたとは。絶句。
  • 93歳元海軍兵が警鐘「ウクライナのようになっても不思議ではない」 終戦から78回目の夏

    終戦から78回目の夏を迎えた。戦時中、若くして海軍に志願した埼玉県寄居町の渡辺一芳さん(93)は、戦争の悲惨さを知る数少ない従軍経験者の一人だ。ロシアによるウクライナ侵攻や中国による軍事力増強…。安全保障環境が厳しさを増す中で、渡辺さんは「戦争のない時代」が続くことを願う一方、平和は当たり前といった社会の風潮に危機感を募らせている。 山梨県東山梨郡松里村(現在の甲州市)に生まれた渡辺さんの学生時代は戦争一色だった。当時通っていた国民学校は、戦国武将、武田信玄の菩提(ぼだい)寺として知られる同市の恵林寺のすぐ近くで、「授業前には必ず参拝して戦勝祈願をしていた」という。戦争の足音が近づくと、渡辺さんの進路にも影響が出始めた。 国民学校卒業後、軍役に就くまでの期間を満州で過ごし、昭和19年秋に海軍に志願。わずか15歳で、神奈川県の久里浜にある「対潜学校」に入った。 「男として生まれたら、兵隊にな

    93歳元海軍兵が警鐘「ウクライナのようになっても不思議ではない」 終戦から78回目の夏
    tsurishinobu
    tsurishinobu 2023/08/14
    「今、日本で穏やかに生活できるのは、日米同盟が存在するためだ」。世の戦争体験者や平和の語り部と称する人たちは、これを決して言わない。だから彼らはむしろ平和の敵だと思ってきた。だがこの人は違う。偉い。
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