タグ

2015年8月6日のブックマーク (5件)

  • 知的障害・発達障害のある子どもの面接ハンドブック | 書香の森 | 北海道大学 大学院文学研究科・文学部

    ISBN:9784750340630 発行日:2014.09.15 体裁:A5判 107ページ 定価:体価格2,000円+税 出版社:明石書店 文言語:日語(原書:スゥェーデン語) ● 紀伊國屋WEBへのリンク ● 附属図書館へのリンク <主要目次紹介> 第1章 はじめに 第2章 障害とハンディキャップ(身体障害と精神障害;診断;知的障害;発達障害) 第3章 知的障害、発達障害、またはその両方のある子どもへの面接(面接の計画を立てる;面接;面接技法;面接の段階;おわりに)

    AFCP
    AFCP 2015/08/06
    @iwatyan1963 非常に限定された場面ですが、司法面接系の研究をしている人達にはそういう指向性はありそうですね。
  • 女児虐待死、県「子ども守れず」と陳謝 - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース

    社会 女児虐待死、県「子ども守れず」と陳謝2015年7月30日 6:53  Tweet 宮古島市の女児虐待死事件に関する記者会見の冒頭、頭を下げて陳謝する県の金城武子ども生活福祉部長(左から2人目)ら=29日午後3時すぎ、県庁 宮古島市で3歳女児に暴行を加えて死亡させたとして傷害致死の疑いで父親(21)が逮捕された事件で、県の金城武子ども生活福祉部長、前川英伸コザ児童相談所長らが29日、県庁で記者会見し、児相が何度も女児らの一時保護を検討していたと説明した。金城部長らは「児相が関わったケースで死亡事故が起こったことを大変重く受け止めている。子どもを守れなかったことを申し訳なく思う」と陳謝した。 被害女児が大便を漏らした際、しつけとして大便をべさせるなど異常な虐待が報告されていたことなども明らかにした。県は有識者委員会を設置し、児相の対応などを検証する。 コザ児相は4月17日、一家が当

    女児虐待死、県「子ども守れず」と陳謝 - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース
  • 伊勢崎市 性的虐待把握も女性保護せず NHKニュース

    ことし5月埼玉県深谷市で、知的障害者のグループホームを運営するNPOの代表が入所者の女性にわいせつな行為をしたとして逮捕された事件で、性的虐待の情報を把握していた群馬県伊勢崎市が女性を保護する対応をとらず、およそ10日後に警察が保護していたことが分かりました。 女性が前に住んでいた群馬県伊勢崎市は、5月19日に性的虐待が疑われるという連絡を外部から受け、翌日から女性への聞き取り調査などを始めましたが、女性を保護する対応をとっていなかったことが、関係者への取材で分かりました。 その後、警察が緊急性が高いと判断して女性を保護しましたが、それまでのおよそ10日間、女性はそのままグループホームで生活を続けたということです。 障害者虐待防止法では、障害者サービスの支給決定をした自治体が被害者の緊急保護などの責任を負うと定めていて、女性への支給決定をしたのは伊勢崎市でした。 伊勢崎市障害福祉課は、「女

    AFCP
    AFCP 2015/08/06
    知的障害者グループホームでの入所者への性的虐待の件。
  • リベラルか保守かは、遺伝子で決まる?

    英総選挙期間中、ロンドン市街で鉢合わせた保守党(左)と英自由民主党(右)の選挙バス(2015年4月15日撮影、資料写真)。(c)AFP/Peter Macdiarmid 【8月5日 AFP】政治的にリベラルか保守かという傾向と遺伝子、より正確には、一つの遺伝子の特定の変異体とを関係づける研究が5日、発表された。この変異体は、男性よりも女性に及ぼす影響の方が大きいようだという。 シンガポール国立大学(National University of Singapore、NUS)のリチャード・エプシュタイン(Richard Ebstein)氏が率いる研究は、シンガポールに住む漢民族出身の大学生1771人を対象に、質問表への回答とDRD4遺伝子の変異体の有無を比較した。DRD4遺伝子は、神経伝達物質ドーパミンの脳内での放出のされ方を決定する遺伝子の一つだ。 研究で明らかになったのは、不平等を非難する

    リベラルか保守かは、遺伝子で決まる?
    AFCP
    AFCP 2015/08/06
    元論文 http://rspb.royalsocietypublishing.org/content/282/1813/20151360 は Proc R Soc B 。DRD4 はADHDとの関連でもしばしば出てくるわけでもあり。
  • 「適応」を目標にしてはならない - 泣きやむまで 泣くといい

    ケース会議の論点が見えない状況にもやもやしながら、なぜこうなってしまっているのかと考える。 報告をまとめようと書き始めて気づく。やはり文章は自分をごまかせない。 問題点をみんながオブラートに包んで述べる。それがのらりくらりとかわされる。今はもううまくいっているのだと。トラブルは起きていないと。 実際にトラブルが起きていないかどうかはわからない。直接その場にいられるわけでもない。当なのか嘘をついていないかと問いただすわけにもいかない。みんな何も言えなくなる。 環境を何も変えてはいないのだそうな。だとしたら、我慢するようになったのかもしれない。あるいは「あきらめた」のかもしれない。どんなに荒れても結果が変わらないという悲しい学び。 「我慢している」ことの証明はいかに可能か。我慢できなくなったときに、はじめてわかる「これまでずっと我慢していた」こと。支援は後手後手にまわる。対応が遅れるうちに、

    「適応」を目標にしてはならない - 泣きやむまで 泣くといい
    AFCP
    AFCP 2015/08/06
    "「我慢している」ことの証明はいかに可能か。我慢できなくなったときに、はじめてわかる「これまでずっと我慢していた」こと。支援は後手後手にまわる。対応が遅れるうちに、あきらめてしまうこともありうる"