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教育に関するAdYandWのブックマーク (49)

  • いじめの変質: 風の向こうへ

    教育再生会議で、いじめた生徒を出席停止にする措置を法的に位置づけるとか言ってはりきってるそうです。 それを聞いていて正直、吹き出物ができたところだけを潰して、それですませてる印象が強いです。 いじめというのは日の社会構造上、切っても切れないもので、いわば日社会・国民のマイナス的事象と言えると思うのです。 なので一概に「いじめ」と言っても、特定の集団内のルールを学ぼうとしない人物に対して自覚を促したり、意識向上を主眼としたりする場合もあえていじめるという行動をとることもあり、それらは結果としていじめられた人物の人間的成長が認められれば解消されるものです。 しかし日人全体に人権意識が極端につのる一方、近代的自我はいまだ成長させられていない現在、それらが歪んだ形で露呈することがあります。 セクシャル・ハラスメントやパワー・ハラスメントなどの問題には、その一面を垣間見ることができます。 従っ

    いじめの変質: 風の向こうへ
  • 活字中毒R。

    『上京十年』(益田ミリ著・幻冬舎文庫)より。 (「譲れないこと」というエッセイから) 【今年に入って習いはじめたピアノを少し前にやめた。別にピアノが嫌になったわけではないのである。 レッスンの日にうまく弾けない曲があった。先生の説明はよくわかるのだが、頭で理解したからといって指がすぐに動き出すというものではない。焦れば焦るほど緊張して、もっとできなくなっていくわたし。どうしよう……。モタモタしていると、先生がこう言った。 「違う、違う、ほら、もう一回、どうしてできないの?」 わたしはこの瞬間、ピアノ教室をやめようと思ったのである。 どうしてできないの? 学校で、習い事で、塾で。子供の頃、よく大人からそんな言葉をかけられたものだ。言う側は別に怒っているのではなくポロッと出るのだろうが、言われたほうはできない自分を責めてしまう。幸い、うちの親は口にしなかったけれど、わたしは、ずーっとこのセリフ

    AdYandW
    AdYandW 2007/06/26
     私自身、今でもよく言われる気がする。言われる度に「そりゃ、あなたにとっては『できて当然』かもしれないけど…」とか心の中で愚痴ってる。ただ、立場逆転すると似たようなことを思うこともなくはないんだけど…
  • はてなブログ

    太巻き会2023 -みんなで巻こうLONG太巻き- みんなで長い太巻きを巻いたときの記録です。こんくらいのどデカい太巻きを目指すぞー! [泉]東京都現代美術館コレクション展「MOTコレクション コレクションを巻き戻す 2nd」よりチラシとかあったら気分が上がるかなと思い、こないだのアフタヌーンティー会の前夜に…

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  • 柔らかな機械: 評価をするという事

  • 「伸び悩み」という幸不幸と人生の無駄 - 考えるのが好きだった

    Unknown (heisan) 2007-05-13 16:44:11 いつも楽しく拝読しています. 私の昔の先生はこう言ってられました. 一所懸命やらなくてできない場合,成績をつけるのは簡単. 一所懸命やってできた場合も簡単 一所懸命やってるのにできない,これが難しい(どう成績をつけたらいいか) と,つねづね言われていました. 「やれば伸びる」「やらないと伸びない」というのは,教育業界を貫く原則であります. まただからこそ,これに矛盾する症例(例:一所懸命やってるのにできない)にぶつかるたびに,教育に携わる者は深く悩むのであります(笑). > もともと親から貰った能力がその程度なのだから仕方ないのである 内田先生は,基的に非常に合理的な考え方をする先生だと思っていますが,例外があります. それは,「なんで勉強しなくちゃいけないのか」「なんで仕事をしなくちゃいけないのか」「なんで言葉を

    「伸び悩み」という幸不幸と人生の無駄 - 考えるのが好きだった
    AdYandW
    AdYandW 2007/05/17
    コメント欄にも注目。/すぐに結果に繋がることばかり求められ、奨励される傾向があるような気はする。どうなのかな…とも思う。かくいう私にもそういう気持ちがなくもない。余裕がないからなのかな…。
  • 「人に教える事」は最大の勉強である: at most countable

    オリエンタルラジオがやってる番組で 確か、こういうのがあった。 あっちゃんが視聴者の家庭教師となって 試験の得点アップにチャレンジするって企画。 それで あっちゃんがとった教育法ってのが 「分かったらオレに教えて」って方法。 まず、あっちゃんがその子に説明して、 「分かった」ってなったら 今度は役割を交代して その子が「先生役」になってあっちゃんに説明する という事をやってたんですね。 つまり 教える事が出来るようになったなら それは、完全に理解できたって事だから。 そういう考えだと思うんですね。 まぁ 分かってる人に教えるのと、分かってない人に教えるのとでは 全然違うんで あっちゃんの方法は完全ではないんですけども。 人に教える事を嫌がる人って居る。 なんか、損しちゃうって思うのかなぁ。 でも 人に教える事って、一番勉強になる事なんですよね。 そう言う意味でも、逆にもったいない事をしてる

  • 融通の利かない大人を目指そうかと。 - 旧 はてブついでに覚書。

    そんな決め事をしてもどうにもならないかもしれないけれど、 未成年、もしくはに16歳以下には、 自殺する権利・・というか自らの生殺与奪を決定する自由が ない、という事を決めた方がいいと思う。 生きることがどういうことかきちんと体験する前に 死ぬの死なないの判断されても困る。 20歳までそういう思考禁止。そういう選択不可。判断保留。 頭ごなしに、有無を言わさず否定。 くやしかったら大人になってみろ。 その代わり子供が成人するまでの大人の責任をもっと重く。 子供が自殺以外の選択肢を選べないのは大人の責任。 子供を自殺に追いやるのも大人の責任。 いじめは大人の責任において断固介入&制裁。 子供の自主性を重んじる? ・・それは例えば、明らかに嫌われている子が居るクラスの授業で ”好きな人とペアを組んで”と指示することだ。 あの瞬間にクラスに走る緊張感。 いじめられている子にとってその”自主性”がどれ

    融通の利かない大人を目指そうかと。 - 旧 はてブついでに覚書。
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かししてを読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…

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    AdYandW
    AdYandW 2006/12/20
    幼少の頃、一人で遊びたいときに一人でいさせてもらえなかったな。無理に混ぜさせられても、なんかしっくりしない感じだったのを覚えている。
  • http://d.hatena.ne.jp/aozora21/20061211/1165803784

  • 想像力はベッドルームと路上から - ようやく分かった。僕は「失敗作」だったんだ。

    http://www.asahi.com/edu/news/TKY200611290420.html 教育再生会議というごっこ遊びはもう止めにしませんか - 今日行く審議会@はてな 「戦後教育」というタームが具体的にいつからいつまでを指すのかは知らないし、「ゆとり教育」による弊害が一体どのくらいの時期から出始めた(とされている)のかも知らない。 ただひとつ、今更ながら気が付いたのは、1980年に生まれて1987年〜1996年までを義務教育期間として過ごした僕は、彼らからすれば間違いなく「失敗作」なのだということ。 ついさっきまで気が付かなかった。まさに「クリリンのことかーっ!!!!!」ってな感じ。 でもって、僕の後に教育を受けてきた人達や、今まさに教育を受けている子ども達も同じような評価を受けるのだろう。 教育の失敗という教育神話(再掲) - 今日行く審議会@はてな 別に「成功」でも「失敗

    想像力はベッドルームと路上から - ようやく分かった。僕は「失敗作」だったんだ。
  • 「愛国心」とか「道徳」とか - kmizusawaの日記

    ■「愛国心」とか「道徳」とか って、それすらけっきょくのとこネタでしかなくて、ホントのところは、自分たちにとって見苦しいやつを排除したり文句言うやつを黙らせることに法的な根拠がほしいだけなんだろうなと思う。 いや当に「道徳」とか子どもの健全生育に心を砕いているなら「やらせ」をもっと恥じるって。「態度」こそが大事なんではなかったか?(改正法案にも「態度」のことは書かれている) 子どもは大人を見て育つとか「まず隗より始めよ」とかって「道徳」好きの人は好きそうなんだけどなー。どうもかの人たちが言う「道徳」というのは自分たちには適用されないようだ。それかそもそも「道徳」の意味が一般的なものと違うか。 「態度」ってのは怖い言葉だ。態度を要求するのは内心の自由と関係ないという人がいるが、まずは型からという考え方もある。お茶とか武道とか、最初はどうしてそうするのかわからなくても、やっているとわかってく

  • おとぎ話:もし教育基本法が「改正」されたら - kmizusawaの日記

    ■おとぎ話:もし教育法が「改正」されたら これって学校教育だけの話だと思ってる人もいるみたいだけど、教育法には「社会教育」も含まれるんだよね。社会教育ってのは具体的にはどこら辺かというと、公民館や市民会館、市民センターなどでの自治体主催もしくは共催、後援に自治体の名前が入っているような行事(講演会、市民講座、スポーツ大会など)、広く取れば公民館や市民センター、市民グラウンドなどの自治体の施設を使って行われる活動全般(そういう活動を自治体は支援してますとみなされる)、それに図書館、美術館、博物館等における資料提供や行事、活動なんかも立派な「社会教育」である。自分は市民センターの講演会なんか行かないし図書館も美術館も興味ないもんね、という人も多いと思うが、たぶんねー、出版とかテレビ放送のコンテンツなんかにもなんだかんだで影響は出てくるような気がするんだよな。今でも「青少年に有害」とやら

  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    ハリイカの焼売と中華炒め ハリイカをよく、見かけるようになりましたよ。生け簀で、泳いでいたものを一杯購入しました 立派な大きな墨袋や肝は冷凍保存して 柔らかな身は季節のお豆、お野菜と合わせて中華の炒めものに。新鮮なにんにくの茎は刻み、香り高く欲そそられますね 下足はミンチにし…

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  • 人間関係の「力」 - uumin3の日記

    「それほど問題にならないいじめもある」などと言えば、あるいは相当な反発があるかもしれませんが、私自身の経験の中では確かにあまり残らないタイプのいじめもありました。短期間で済み、その後関係が改善されたというものに限定されますが。 後に残るいじめとなりますと、誰それが死ななかったから結果オーライとはとても言えず、心の中にずっと痛みとして残ってしまう「目に見えない被害」があるものだと考えています。その解決まで望むのはおそらくできないことだろうとも。 「いじめという言葉に皆振り回されているんじゃないですか」というコメントをいただいて、確かにそうだと思いました。そして、だからこそ重い意味を持たないうちに手当てできるならそれがベストではないかと改めて思ったのでした。 ただ生徒個人の間での微妙なニュアンスを大人が拾い上げるのは相当の難事です。家族の格的な協力があったとしても漏れはあるかと思います。生徒

    人間関係の「力」 - uumin3の日記
  • これを責任回避だと言う理由 - 今日行く審議会

    いじめ自殺、緊急調査 全小中高対象に…文科省 こういうのを責任回避となぜ言うか。それは、調査を行うということで、自分たちはこの問題について取り組んでいるんだというアピールになり、文科省は何をやっているんだという批判を回避できること。 文科省は「教育委員会がすべてを把握していないか、文科省へ報告していないケースもありうる」と判断。今回の全国調査では、現時点で校内で起きているいじめについて、各教委に徹底した洗い出しを要請する。調査対象を国立や私立の学校にも広げ、全体状況の把握を目指す。 というのは、現場が報告を怠っているというようにすることで、現場にその責任を押しつけることができるからだ。 こういう時にいつも思うのは、文科省にしても教育委員会にしても現場をサポートする方に当は回るべきで、現場で教員や保護者が中心になって様々な取り組みが行えるようにすべきじゃないかということ。現場の教員を文科省

    これを責任回避だと言う理由 - 今日行く審議会
  • いじめの原因 / にじ魂

    一つの集団の中で立場の強い人間、会社なら上司、学校なら教師が高圧的な態度を取ると、その集団内で抑圧の委譲によってイジメが発生する。 教師が生徒に命令するだけでなく、自らが率先して生徒と一緒に作業をしていく様な「民主的教師」の場合はいじめは起こらない。 これが口で命令するだけで自分は何もしない「専制的教師」だとイジメが起こってしまう。 生徒は「上」から受けた抑圧を弱い者イジメをして発散しようとするのである。 抑圧は留まる事なくより弱い人間に向けて委譲され続ける。抑圧的な社会ほど苛めが多い。 コメント(41) 1:mine:2006年08月26日 18:00 所詮、理論に過ぎない。実際そんな簡単な問題ではない。 2:てきとう:2006年08月26日 22:45 小室直樹も社会学は大変実験しにくい学問だといってる blog主に問題をより深く把握してもらいたい ひきこもりが増えたら、困

  • 無責任な学校と社会と - 今日行く審議会

    問題行動:児童、出席停止も…厳格化へ報告書 文科省など 生徒指導厳格化:「信頼関係損ないかねぬ」…校長ら懐疑的 「ゼロトレランス」を導入したアメリカ、義務教育でも子どもを退学させることができるイギリスの双方で起こったことは何か。それは、教員の子どもへの無関心と無責任、退学などによる子どもの社会的排除だ。 問題を起こす子どもを排除することで学校や教室の秩序は回復できるかもしれない。しかし、それは問題の質的な解決にはならない。このような取り組みは教育による格差の固定や拡大の大きな要因となる。この取り組みの対象となった子どもたちにとって、非常にリスクの高いものになる。 社会が寛容性を失いかけている状況で、学校から排除されることは社会的排除へとつながり、排除された者が社会に戻ることは非常に困難になる。そういうリスクを個人だけに押しつけるようなものには賛同できない。

    無責任な学校と社会と - 今日行く審議会
  • NaokiTakahashiの日記 - 当たり前の「極めて画期的な判決」

  • 事態の矮小化?一般化が常に正しいとは限らない。 - lawの日記

    「都」が「公務員」に業務命令を出したのに従わなかった。その行動は生徒たちに悪影響を与える。 という意見が散見されます。この論の人たちはあえて、事態を矮小化しすぎているんじゃないかなと思います。確かに一般的には組織の命令に従わない場合処分されても仕方のないことですが、今回のケースはちょっと違う扱いをしなくてはならないと思います。 「行政機関」が「教育者」に(憲法違反にあたる)業務命令を出したのに従わなかった。それをみて生徒がどう思うかはその生徒の考え方次第。 なのだと思います。 ではまずなぜ「教育者」は特殊なのかといえば、これは戦前に教育者が「不当な支配」によって軍国主義者生産マシーンと化してしまった歴史があるからです。なので今の教育法は「不当な支配の排除」が明文化されているわけです。その他の一般的な組織とは分けて考える必要があると思われます。 次に「行政機関」について。憲法は公権力行使

    事態の矮小化?一般化が常に正しいとは限らない。 - lawの日記
  • 自由を大事にしない人の多さに驚く - good2nd

    国旗・国歌を拒否した教員に対する処分を違法とした判決を批判する声の多さが、ちょっと意外でした。ここまでとはね。もちろん評価する声も多いので、かなり意見の分かれる問題だってことはよくわかります。それにしても、学校の先生も嫌われてるんだなぁ…。 国旗・国歌と「日」の同一視 「国旗・国歌を拒否するのは日を拒否しているのと同じ」「なぜ自分の国を愛せないのか」から、「自分の国の国旗・国歌を敬うのは当り前」までバリエーションがありますが。象徴をその実体と同一視してしまう、という。あるいはそれは自然なことなのかもしれませんけど、「日が嫌いだから拒否する」という主張ではないはずです。にもかかわらず「いや、当は日が嫌いだからだろう」と決めつけてしまう。 こういう人達が、何かあったときに自由を求める人を「非国民!」と呼ぶんだろうなぁ。 自主と強制の区別がつかない 「スポーツの国際試合などでは、歌うの

    自由を大事にしない人の多さに驚く - good2nd