三木鉄道の清算会社は十五日、市役所で株主総会を開き、本年度から三年間で、資産をできる限り売却する方針などが承認された。清算の収支見通しでは、収入のうち土地売却代を五億六千五百万円、車両三台の売却代を四千七百四十九万円と見積もり、支出との差額二億二千七百三十八万円を株主に分配する。同鉄道の資本金は二億五千万円のため、計画通りなら約九割を返還する計算になる。(佐伯竜一) 株主総会には、委任状出席を含む十四人が参加した。 清算会社は、清算事業の収支として、土地六万千三百四十九平方メートルと客車三両の売却代などで、七億三千三百三十七万円の収入を予想。一方、借入金の処理などに五億五百九十九万円の支出を織り込んだ。 資産売却の具体的方法は、土地は本社、駅舎、倉庫、踏切、ホームなどと一緒に売り、清算会社では撤去しない。車両は原則、現状のまま引き渡す。一部の機械類も、入札で売る。 一方、総会では同鉄道の二
ノコギリなど金物の全国有数の生産地として知られる兵庫県三木市の三木駅と加古川市の厄神駅間(約6・6キロ)を約13分で結ぶ第三セクターの三木鉄道が31日夜、92年の歴史に幕を下ろす。最後の雄姿を見ようと、沿線にはカメラを持った多くの鉄道ファンらが連日訪れている。「時代遅れ」と言われながらも地元の人々に愛されてきたローカル線の「廃線前夜」を追った。 人気急上昇 3月最後の土曜日となった29日、三木鉄道は普段の10倍ほどの約3300人の乗客でにぎわった。 三木駅のホームには「ありがとう三木鉄道」と書かれた特製のヘッドマークをつけた車両にカメラのフラッシュが光る。往復500円の記念切符は1日で400枚以上を売り上げた。 「もっと前からいっぱいの人が来れば廃止にならなかったのに」。沿線に住む小学3年、田村心愛(ここあ)ちゃん(9)は、訪れる鉄道ファンを前にそう漏らした。 92年の歴史 三木鉄道は大正
最終便到着後、ホームで乗務員に花束を贈る高校生ら=31日午後11時5分、三木市福井、三木鉄道駅三木駅(撮影・峰大二郎) 第三セクターの三木鉄道(三木-加古川・厄神間、約六・六キロ)が、三十一日の運行をもって廃止され、九十一年四カ月にわたる歴史に幕を下ろした。近畿運輸局によると、三セク鉄道の廃止は二府四県で初めて。 一九一六(大正五)年、播州鉄道三木支線として開通し、特産品の金物や酒米を全国に運んだ。八五年に三セクとなったが、利用が落ち込み赤字が続いた。二〇〇六年、廃止を公約に掲げた薮本吉秀市長が当選し、〇七年、廃止が正式決定された。 最終日は午前六時台の始発から、廃止を惜しむ鉄道ファンらで車両内や三木駅前は混雑した。同駅発の最終となる午後十時四分発の便がホームを離れると、ファンらが手を振って別れを惜しんだ。 四月一日からは、神姫バスが代替バスを運行する。(長尾亮太)【三木鉄道の動画はこちら
三木鉄道の最後の勇姿を写真に収めようと、ホームに集まった鉄道ファンら=31日午前9時16分、いずれも三木市福井、三木鉄道三木駅(撮影・浦田晃之介) 乗客減で廃止される第三セクター、三木鉄道(三木-加古川・厄神間、約六・六キロ)で三十一日、運行の最終日を迎えた。乗り慣れた通勤客や乗務員がそれぞれの思いを胸に乗り込み、最後の勇姿を一目見ようと鉄道ファンも全国各地から駆け付けた。(長尾亮太) 播州鉄道三木支線として開通してから九十一年四カ月。時代とともに播丹鉄道、国鉄と経営母体を変えながら住民や特産品の金物、酒米などを運び続けてきたが、歴史に幕を下ろす。 午前六時五分、一両編成の始発がダイヤ通りに三木駅のホームを滑り出すと、鉄道ファン約三十人が最後の姿をカメラに収めた。 三木駅から通勤で長年利用してきた三木市福井の会社員山本勝美さん(60)は「きょうで私も定年退職。乗り慣れた鉄道もなくなってしま
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