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ブックマーク / sumita-m.hatenadiary.com (25)

  • 広田弘毅の孫 - Living, Loving, Thinking, Again

    最近再度注目が集まっているようだ。2006年にTV朝日の『報道ステーション』で放映された内容; 「責任ある地位にいた者であるのは確かで、その地位にあった者としての責任を取るという覚悟は当然あったと思うし、私もそれが当然かなと思う」。 戦前戦中の激動期に外務官僚から外務大臣、総理大臣を歴任した第32代内閣総理大臣・広田弘毅は、外務大臣時代に起きた、いわゆる「南京大虐殺」や、総理在任中の「日独防共協定」の締結などを理由にA級戦犯とされ、絞首刑に処せられた。絞首刑となった7人のうち、ただ一人軍人ではなかった広田元総理は「黙して語らず」という姿勢を貫き通し、裁判中、ほとんど弁解をしなかったという。 その広田元総理の孫、広田弘太郎氏が音声のみのインタビューで靖国神社に合祀された遺族の複雑な想いを語った。 A級戦犯が「軍神」として崇めたてられることを懸念したGHQは、遺骨を遺族に渡さなかったが遺族の弁

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    D_Amon
    D_Amon 2013/12/31
  • Wikileaks and 911(Memo) - Living, Loving, Thinking, Again

    http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101208/1291778596で、 話は変わって、ウィキリークスの創始者が英国でぱくられたということなのだが、ウィキリークスでいちばん狼狽しているのは、もしかして911陰謀理論の人たちなのではないか。だって、あれだけ色々なことがばらされてしまったのに、911がやらせだったとかいった内容のことは全然暴露されていないのだ。と書いたのだが、実は、Julian Assangeは、昨年7月に出た北アイルランドのBelfast Telegraph紙によるインタヴュー*1の中で、911陰謀論を明確に否定し、うざがっているのだった――”I'm constantly annoyed that people are distracted by false conspiracies such as 9/11, when all around

    Wikileaks and 911(Memo) - Living, Loving, Thinking, Again
    D_Amon
    D_Amon 2011/01/05
  • 「民族」か「国民」か(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again

    承前*1 http://d.hatena.ne.jp/D_Amon/20101023/p1 これに対しては、ブクマ・コメントに tari-G 『民族社会主義と訳すのが正しい』賛成できない。NationStateを基的には民族国家と訳さないように、実体的な民族性が強調されると近代における特別の幻想的共同体概念としてのNationの意味を失念させる恐れが高まる 2010/10/23 http://b.hatena.ne.jp/tari-G/20101023#bookmark-25896805 wackunnpapa 歴史, 政治 「民族」というならNationalではなく,やはり頻繁にNSDAPが使っていたVolkという言葉/概念もあったわけで,この場合“民族社会主義”という訳を当てることは,「国民化」という問題をそぎ落とすことにならないか。 2010/10/23 http://b.hate

    D_Amon
    D_Amon 2010/10/25
    外語の単語の概念差に対する感度や精通に思想の左右は無関係。それは教養や学習機会の問題。ゆえに原語で通じない人のために経緯や文脈を踏まえていかに訳すかで議論が生じる。id:tari-Gさんは概念差を説明してみれば?
  • みんなナイーヴ! - Living, Loving, Thinking, Again

    金明秀「差別する傾向のある人は差別の存在を認めない傾向がある」http://han.org/blog/2010/02/post-119.html 曰く、 「朝鮮学校がサッカーの地域代表になったとき、それを応援しなかったのは差別だという話がある。でも、朝鮮学校に知り合いはいないし、別に応援したいと思わなかったから応援しなかっただけ。それを差別だといわれるのはおかしい。最近、差別差別だといいすぎじゃないか。」 なるほど、一理あるように聞こえます。「コーラは好きだけどオレンジジュースは好きじゃない。おなじリクツで、東海大仰星なら応援し、大阪朝鮮高なら応援しない。それは単なる好みの問題であって、差別じゃない。それを差別というなら、ご飯よりパンがすきだというのも差別になるじゃないか」というところでしょうか? 一般に、或る特定の変数が或る特定の結果に対して決定的な影響力を持っていると判断するためには、

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  • 幾つかの思想の収斂点とか - Living, Loving, Thinking, Again

    伊藤剛「もうだめかもしらんね 」http://d.hatena.ne.jp/goito-mineral/20091118/1258497943 所謂「事業仕分け」について、仙谷由人行政刷新担当相 が「政治文化大革命が始まった」と言ったとか。曰く、 この政権のコンセプトをつきつめると、知的な達成に向けてがんばることや、人生の向上心みたいなものが排除され、ただ生きているだけの人が賞揚される社会が待っているような気がします。 先端研究はいらない、文化的な啓蒙もいらない、ただただまんべんなく均等に子供手当てを支給することが求められている、というわけですから。 科学も、文化も、芸術も、よく考えられたもの、洗練されたもの、先端的なもの、つまり受容できる人の人数が必然的に少なくなるものはいらない、という社会です。 だって「文化大革命」ですよ。 比喩として言っているとして、ではこちらも比喩で返せば、この

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  • はるきたれば、なはつくか - Living, Loving, Thinking, Again

    『読売』の記事; 無戸籍1年:玻南ちゃん…名古屋市不受理 最高裁抗告へ 名古屋市東区に住む夫婦が、昨年11月23日に生まれた次女に「玻南(はな)」と命名して出生届を出したところ、「玻」が人名に使える常用漢字などにないとして、区役所が不受理にした。夫婦は戸籍法に基づき名古屋家裁に不服を申し立てたが却下。名古屋高裁への抗告も10月27日付で棄却されたため、4日にも最高裁へ特別抗告する。玻南ちゃんは間もなく1歳になるが、今も戸籍も住民票もない。 夫婦は、矢藤仁さん(40)と清恵さん(38)。長女には旧約聖書の女性から瑠都(るつ)さんと名付けた。次女は同様にハンナにちなんで「玻南」と名付けることを誕生前から決めていた。ことわざには、優れた者はどこにいても目立つことを表す「瑠璃も玻璃も照らせば光る」がある。姉の「瑠」との対をなす字として、妹には「玻」を使いたかったという。 しかし、「瑠」は人名に使

    D_Amon
    D_Amon 2009/11/05
    人名用漢字問題。
  • 韓国とレイシズム - Living, Loving, Thinking, Again

    CHOE SANG-HUN “South Koreans Struggle With Race” http://www.nytimes.com/2009/11/02/world/asia/02race.html 現在韓国の議会では人種差別を法的に定義し、犯罪化する法案の審議が開始されている。その背景には、外国人労働者の増加などの急激な多民族化とそれに伴う排外主義の高まりがある。 South Korea, a country where until recently people were taught to take pride in their nation’s “ethnic homogeneity” and where the words “skin color” and “peach” are synonymous, is struggling to embrace a new r

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  • 1256930849#20091031f1

    「社会主義」が大流行らしい。谷垣禎一も安倍晋三*1も城内実*2も*3。また、鳩山邦夫*4は兄弟喧嘩のネタに「社会主義」を使っているらしい*5。蘇聯風邪? 蘇聯風邪にはカチューシャ。 さて、「社会主義」といえば、田中良紹「日の「保守」は社会主義」という文章*6がけっこう評判になっており、少し遅いかもしれないが、読んでみた。前半部では「政権交代」について語られている。「社会主義」が登場するのは中盤以降。 野党に転落した自民党は政権奪還のための議論を始めた。大いに議論して確かな再生を図って欲しいと思う。期待もしていた。ところが議論を聞いているうちに首を傾げたくなった。鳩山政権の政策を「社会主義的だ」と批判し、自民党再生のために「保守の旗」を立てると言うのである。自民党を「保守政党」、民主党を「社会主義的政党」と規定して国民の支持を得ようと考えているようだが、それは大きな「勘違い」である。 日

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  • 「低賃金」など - Living, Loving, Thinking, Again

    における中国人「研修生」(実は低賃金労働者)という話はhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060817/1155831465やhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20071105/1194258899で言及したのだが。 さて、『毎日』の記事; 中国人研修:時給350円、トイレ分は休憩減 5女性申告 2009年10月27日 14時30分 更新:10月27日 14時45分 長崎県・島原半島内の女性下着縫製会社で働く中国人女性5人が、時給350〜400円で残業させられているなどとして、島原労働基準監督署に労働基準法違反の申告をした。「トイレに行くと休憩時間から引かれた」などとも訴えている。申告を受け、同労基署は労働実態調査に乗り出した。同社の社長(62)は「労基署が調べているのでコメントできない」としている。 外国人研修・技能実習制度に

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  • 合理的な馬鹿? - Living, Loving, Thinking, Again

    でも、ネオリベな方々ってのは、日に住む価値、をどこに見出しているんでしょう?ネオリベの流儀に従えば、経済的利益を最大限にする事がインセンティブであり、そのための合理的な行動が、利己的に見えようとも推奨されるはずです。そのスタイルに従えば「日」という国の「土着性・固有性」には思い入れはなさそうです。むしろ、それら「土着性・固有性」を取り除いた「普遍性」こそが大事なんじゃないですか?グローバリゼーション、として我々が批判するのはそういったところなんですから。 であれば、日に拘る必要性自体が無いはずじゃないですか。「規制ばかり」で「成功者をやっかんで」「税を高くしようとする」「大きな政府」の日国など見捨てて、もっと規制のない、市場原理主義の徹底したところへ移り住んだらいいのですよ。長い時間を日社会の変革や一般人の啓蒙に費やしたりせず、とっとと経済的成功を収める事の出来るところへ移り住む

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  • 加点主義ではなく - Living, Loving, Thinking, Again

    http://d.hatena.ne.jp/kmiura/20060924#p1 *1 日国内で日人であること、には矛盾がある。だれもが日人であるならば、それはとりたてて主張すべきことではないのだ。すなわち、あたりまえのことなのである。したがって、一人一人が「日人である」ことを日人に囲まれた状況で確認するには、いわば「日人度」のような基準が必要になる。日人同士の間でいかに自分があるいは他人が日人であるか、を評価しあう必要が生じるからである。点数制にするとすれば例えば10段階評価。「空気が読める」でプラス0.5。「国旗に最敬礼し、ことあるごとに門前に日の丸を掲げる」でプラス1。「君が代を公衆の面前で堂々と歌うことができる」で、プラス1。こうしてそれぞれの日人には、点数が決定される。殿堂入りの特別扱いは最近の国会議員も主張しているように「国のために血を流し命を捨てることができ

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  • たしかに反体制的な日の丸というのは聞いたことはない - Living, Loving, Thinking, Again

    http://hatesa.g.hatena.ne.jp/hokusyu/20090622/1245657361 明治維新の性格については諸説あって、中には(陰謀論者御用達の)副島隆彦的な怪しい解釈まであるわけだが*1、それが「革命」かどうかはともかくとして、「自然発生的な進化」ではないだろう*2。革命であろうがなかろうが、明治維新というのは〈錦の御旗〉を掲げて遂行されたのであって、日の丸を掲げてではない。その意味でも、「日の丸は革命を経た旗ではありません」。 ところで、イランについての記述を読むと、この人がシーア派の世界観或いはその神学的伝統に対する関心を全く有していないということはわかる。 シーア派の伝統的な政治観・国家観を、以前引用したことがある*3 上岡弘二「「私は、何者か」――イラン人の帰属意識と国家意識――」(in 飯島茂編『せめぎあう「民族」と国家 人類学的視座から』)から再

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  • 古事記には - Living, Loving, Thinking, Again

    『読売』の記事; 外交の舞台に適さず?平山画伯の絵に自民会議で批判の声 平山郁夫氏の描いた「日列島誕生図」が東京・麻布台の外務省飯倉公館に飾られていることに対し、18日の自民党の外交関連合同会議で批判が出た。 「日列島誕生図」は、古事記などにある「国生み」の神話をモチーフに描いたとされる日画。17日に中曽根外相とクリントン米国務長官の会談が行われた同館のレセプションホールに飾られていて、しばしば写真撮影の背景に映る。 ◇ 合同会議で問題とされたのは、北海道や沖縄などが描かれていない点で、「外交の舞台に掲げる絵としてふさわしくない」という声が上がり、柴山昌彦外務政務官が展示を取りやめる意向を示した。 外務省は「経緯はわからないが、昔から飾られている、すばらしい絵だ」と思わぬ批判に戸惑っている。 (2009年2月19日05時03分 読売新聞) http://www.yomiuri.co.

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  • パフォーマティヴな効果 - Living, Loving, Thinking, Again

    承前*1 http://d.hatena.ne.jp/noharra/20081213/p1 先ず「複数性」を巡って。 ハンナおばさんは、”Truth and Politics”の最後を”Conceptually, we may call truth what we cannot change; metaphorically, it is the ground on which we stand and the sky that stretches above us.”(p.259)と結んでいる。複数性はそのような意味における真実であるといえる。 Between Past and Future (Penguin Classics) 作者: Hannah Arendt,Jerome Kohn出版社/メーカー: Penguin Classics発売日: 2006/09/26メディア: ペーパー

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  • この「独裁者」を殺すことはできないが - Living, Loving, Thinking, Again

    http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20081012/1223753840へのコメントに「「日の独裁者である「世間様」は」と言ってますが、日は民主主義国家なので、世間こそが独裁者なのは当然です」というのがあった。こういうのは正確には「民主主義」というよりも、暴民支配(ochlocracy/mob rule)というべきなのかも知れない。また、選挙などの制度としての「民主主義」が不足している体制の方が政治(国策)が「世間様」に影響される可能性は高いということも指摘しておかなければならないだろう。しかし、多数者支配としての「民主主義」にはそもそもこうした問題を孕んでいるというべきだろう。ポピュリズムの危険*1というのはその極限なのだろう。「民主主義」がベタで貫徹されてしまえば、多数ならざるマイノリティはひとたまりもない。さらに、文字通りの「独裁者」はサ

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  • 「理不尽」に決まっている - Living, Loving, Thinking, Again

    承前*1 「『労働しない(と思われている)人嫌い』ってそんなに理不尽なのかな?」http://d.hatena.ne.jp/inumash/20080911/p1 YES, of course! さらに、私が「?を10個くらいつけておく」としたhttp://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_48ae.htmlに対して、「重要な問題として掘り下げて考える必要があると思います」とまでいっている。たんに「現代社会において「労働」にある種の社会性を生む役割を与える」こと*2を肯定するだけでなく、「働いて社会に参加しているという共通性」以外に「連帯の核となるものはない」と言い切っちゃっているわけですが。この連帯において、「働いて社会に参加して」いない人、例えば専業主婦(主夫)や障碍者や老人などは、論理的な帰結として、「連帯の核」の外、参加

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  • 常に/既に選択している(不選択を選択している) - Living, Loving, Thinking, Again

    http://d.hatena.ne.jp/fuku33/20080522/1211444127 「トリアージ」が大流行? 「トリアージ」という言葉が一般的に使われるようになったのは2005年の福知山線脱線事故を契機にしてか。「トリアージ」という実践が要請されるのはたしかに大災害のような例外的な緊急事態においてであろう。しかし、そういうことというのは、それ以前から意識的かどうかを問わず行なわれていたのだろうと思う。さらに、これは(世界内存在としての)私たちの在り方の根幹に関わっているともいえよう。例えば、私たちの行為が自由であるとしたら、私たちは常に行為に際して選択を行なっていることになる。私がAという行為をするとき、私は常に/既にAをしない、A以外のBやCをするという選択肢からそれらを切り捨てて、Aをしているわけだ。また、「世界時間(world time)」の超越性ということもある*1。

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  • 古代ユダヤ王国の首都は日本の四国にあったのか、とか - Living, Loving, Thinking, Again

    承前*1 拙blogには、ハンナ・アレント、エドムント・フッサール、アルフレート・シュッツ、ジャック・デリダという名前がかなりの頻度で登場するわけで、それだけで或る人々からすると、〈ユダヤの手先〉認定ということになってしまうのだろうか。 さて、http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-558.htmlで、「世に言う地球温暖化問題は、原発産業をも独占する、ユダヤ権力によるただのプロパガンダである可能性が極めて高い」という「陰謀理論」が紹介されている。たしかに、「地球温暖化問題」を原発を推進したい人が利用しているという面はあるのだろう。「ユダヤ権力」という用語それ自体が問題なのだが、では〈京都議定書〉問題にしても、「ユダヤ権力」に忠実であるとされている米国のブッシュ政権が「地球温暖化問題」に不熱心なのは何故なのか。そのサンプルとして引用されている人は、

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    D_Amon
    D_Amon 2008/01/31
    世界を裏から牛耳る「ユダヤ権力」。それなのに何故か社会的地位から疎外されるユダヤ人。世界を裏から牛耳るコミンテルン。それなのに何故か政権を取れないサヨク。陰謀論って本当にご都合主義ですね。とかなんとか
  • 陰謀理論批判(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again

    承前*1 http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-532.html http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-533.html http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-544.html 所謂「リベラル」系や左派系のblogに蔓延る「疑似科学」や「陰謀理論」への批判。反戦や反ネオリベラリズム、反グローバリズムを唱える左派系のblogに「陰謀理論」が蔓延っていることについては、誰かががつんというべきだろうと思っていた。上に挙げたような批判が共感をもって迎えられれば喜ばしいのだが、コメント欄を見る限り、そうともいえないようだ。さらに、このようなblogに感じ取れるのは、ネオリベラリズムへの反発や批判を名目にしたナショナリズムやレイシズムとの野合である。「陰謀理論」がしばしば

    陰謀理論批判(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again
    D_Amon
    D_Amon 2008/01/14
    陰謀論に引っかかりやすい思考形態と思想の左右は関係なく、そこに陰謀論に引っかかりやすい人同士が思想の差を越えて共闘するという構図が生まれる余地が有るのでしょうね。
  • 「随意的雇用」(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again

    http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20071027/1193510497 の続きかも知れない。 赤木智弘氏を「ネット右翼」と断ずる意見あり*1。その根拠とされているのはマイノリティ(被差別者)に対する彼の尋常ではない反撥である。そのレイベリングに加担するわけではないが、そこでマークされている彼の 我々弱者が最も憎むのは「不公平さ」です。 弱者は「世の中が不公平だから、我々は弱者なのだ」と感じています。 そして、その不公平がどこから来るのかといえば、政府の不公平な弱者救済策であると感じています。 「我々がこれだけ苦しんでいるのに、我々の手には援助がまったく得られない。にもかかわらず、我々以外には援助を得ている人間がいる」と思っているわけです。 ですから、我々が憎むものは「不公平な弱者救済を掲げる人間」と「不公平な弱者救済を受ける人間」です。 「不平等な弱者救済を掲

    「随意的雇用」(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again
    D_Amon
    D_Amon 2007/11/02
    「赤木のマイノリティに対する反撥は、日本においても雇用の流動化とマイノリティのノーマライゼーションが或る程度同時進行的に進めば、たんなるフリーターの正社員に対する妬みを超えて、さらに一般化するだろう」