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死に関するHukusuiのブックマーク (10)

  • 家の中に特別な楽しい逃げ場所(例えばミニシアター)があるということ - orangestarの雑記

    801chan.hateblo.jp こちらの記事に書かなかったこと。 今から三週間前に、10年間、一緒に暮らしているが、亡くなりました。おしおという名前の女のでした。 4歳(もうすぐ5歳)の長男と2歳(もうすぐ3歳)にとっては、生まれてから一緒に住んでいた家族で、お葬式の時に長男は号泣していました。 おしおのこと - orangestarの雑記 おしおというのこと - orangestarの雑記 おとといと昨日の話 - orangestarの雑記 日常に戻る - orangestarの雑記 それからなんですが、やはり二人とも、すごい不安定になりました。長男は、それまで毎日ものすごく楽しみにしていた幼稚園に行きたがらなくて、また、昼のお昼寝の時にも寝れなかったり、泣いたりぐずったりしていたそうです。 おしおがいなくなってから一週間は、無理に元気にふるまっていたんですが、それが過ぎたあ

    家の中に特別な楽しい逃げ場所(例えばミニシアター)があるということ - orangestarの雑記
  • livedoor ニュース - 合理主義のオランダと建前の日本・・・自殺において際立つ違い

    合理主義のオランダと建前の日・・・自殺において際立つ違い 2008年05月02日15時24分 / 提供:PJ 写真拡大 オランダ国旗 (記者作成) 【PJ 2008年05月02日】− オランダでは4月30日がベアトリクス女王の誕生を祝う日です。現ベアトリクス女王の誕生日は1月31日ですが、国民が祝うのに1月31日では寒いので、前女王であるユリアナ女王の誕生日である4月30日を使っているそうなのです。その合理性、柔軟さに驚きます。日の、とりわけ頭の硬い連中なら筋違い、とんでもない話と一蹴されることでしょう。  またオランダはスイス、ベルギーと共に安楽死が合法化されている国でもあります。同国では精神的な理由だけでもいくつかの要件を満たせば、安楽死が認められているそうです。これはほとんど自殺容認です。認められない場合も社会はさまざまなサポートを提供することが可能です。またこれは自分の命を自

  • ひいばあちゃんが死んだ

    去年の年末の話だ。 ひいばあちゃんが死んだと、実家から連絡が入った。 すぐ実家へとび、すぐに通夜、お葬式が開かれた。 つっても、あんまり親戚は集まってなかったし、集まった親戚も葬式特有の暗さは全く無かった。ていうか、久しぶりにあった親戚同士談笑していた。 それもまぁ有る意味当たり前で、ひいばあちゃんは結構前からもう、老人ホーム的なところで、「ただ生かされてる」状態だったから。言い方悪いが、ぶっちゃけほとんど死んでたも同然だったのだ。もうここ1年ほどは、誰に会っても何の反応もできない状態。ときどきスタッフの人が寝返りうたせて、点滴うたせて、痰とって……当にただ生かされているという状態だった。それが、ある時熱を出して、ころりとそのまま逝っちまったらしかった。 「まあそろそろかと思ったよ」皆そんな感じの雰囲気だった。不思議な雰囲気だった。皆別に、ひいばあちゃんが嫌いだったわけじゃない。つーか寧

    ひいばあちゃんが死んだ
    Hukusui
    Hukusui 2008/01/19
    去年、祖父母が相次いでなくなったけど、似たようなことを思ったよ。。
  • お葬式

    祖父が亡くなったので、急遽日に行ってました。 死というのは究極の不連続点。なんといっても、昨日まで生きてた人が、その時点で命を失う訳です。しかも、絶対に元に戻ることはない不可逆な断絶点。 そして葬式というのは、残された人間が喪失を受け入れるために、よく考えられたしきたりなんだなぁとしみじみ感じました。通夜、告別式、荼毘、納骨、と段階を踏んで別れを納得できるようになっているんですね。さらにまた、それは自分の死を受け入れる準備だったりもする訳です。 これまでは、「自分が死んだら葬式も特にせず、粉になるまで圧倒的に燃して、その辺にばらまいてくれればいいや」と思ったものですが、それって、残される人の気持ちを考えてないよな、と思い直しました。やっぱり少しずつ時間をかけて儀式をして、自分の気持ちに整理をつけていくというのが、後に残る人にとっては大事なことではないかと。 しかし、火葬の時間が短いのは驚

    お葬式
    Hukusui
    Hukusui 2007/11/28
  • 自殺は防ぐことのできる社会問題だ / SAFETY JAPAN [書評] / 日経BP社

    「STOP!自殺」 橋豊、他著 海鳴社 2006年4月発行 2520円(税込み) 仕事関係の打ち合わせが終わると、多くの場合、後は雑談となる。ある時、ハードワークでうつ病を患うビジネスマンが多いという話題から、たまたま自殺の話になった。すると打ち合わせの相手の言うことには「多いんですよ、自殺。私の知人でもいますし。たいていの場合、誰か一人は知った人が自殺していますよ」。 あなたには、自殺した知人がいるだろうか。私にはいる。中学からの親友が32歳で自ら命を絶った。長くうつを病み、少し回復したと思ったら、踏切から列車に飛び込んでしまったのだ。 こういう死に方は、後に残された者に傷を残す。私は10年以上が経った今も、心のどこかでは彼が死んだとは信じられないでいる。囲碁を好んだ彼が、まだどこかでいつもの物静かな笑いを浮かべながら、ぱちんぱちんと碁石を置いているような気がす

  • 子どもに死を教える4冊目

    テレビからは、注意深く「死」が除かれている。 高速道路で居眠り運転した結果の映像には、車の残骸(よくて黒染み)しか残らない。ボウケンジャーは不死身だし、ツインストリームスプラッシュの直撃を受けても浄化(還元?)されるだけ。 おかげでわが子が見かける「死」は昆虫の死骸か、道端のペチャンコな轢死体ぐらい。こないだ家族みんなで参列した葬式ぐらいかね、ちゃんとした死体を見たのは。今も昔も同じ密度で存在するにもかかわらず、「死」が見当たらない。子どもに死を教える最高の現場は葬式だな、などと言ったら不謹慎だが、そうめったにあるものでもなし。 ガッコのベンキョも大事かもしれんが、誰もが必ず死ぬことを、そして自分も例外ではないことを受け止め、その上で「よく」生きていくことを考えてほしーなー、などと企む馬鹿親は、子どもに死を教えるなどを探しては読み聞かせる。 その選りすぐりが、「子どもに死を教える三冊」。

    子どもに死を教える4冊目
  • 吹風日記 - 明日どうやって死ぬか、死にたくなければ表出ろ、死ぬ理由はいらない

    平均的日人が、病気以外で明日死ぬとしたら、どのような死に方の可能性が高いか? これ、かなり意外な結果になります。なぜ我々の死についての思考パターンはこんなに狂ってるんでしょうか。今日は、死ぬのに理由なんてないほうがいいよね、ということについて考えます。 竜夫は家に帰ると井戸水を腹一杯飲んだ。そして押し入れの中に潜り込んだ。なぜそうしているか、自分でも判らなかった。襖を閉ざして、狭い押し入れの中に身を屈め、隙間からこぼれてくる光を睨んでいた。 おとなになっても、ほんとの友だちでおるちゃ。 関根の声が暗闇の中から聞こえてくるような気がした。自分も一緒に釣りに行っていれば、関根は死ななかったろうかと思った。体を左右にくねらせながら、古びた自転車を懸命にこいで道の向こうに消えていった関根のうしろ姿が竜夫の胸に浮かび上がってきた。竜夫は自分以外には誰もいない家の押し入れに身を隠していつまでも座り込

    吹風日記 - 明日どうやって死ぬか、死にたくなければ表出ろ、死ぬ理由はいらない
  • 死の大切さ - 狂童日報

    子供をめぐる殺人事件の報道で「命の大切さを・・・」を云々する人が依然として多い。 しかしこれが間違いであることは、皆はもうわかっているはずである。このことは、かつてオウム事件でわれわれは既に学習したはずではなかっただろうか。サリンの実行犯は「命の大切さ」をこれ以上ないくらい真面目に考えていた医者だったという深刻な事実を、どうして誰も忘却してしまったのだろうか。長崎で同級生を殺したという事件や、マンションから子供を突き落としたという事件の犯人も、真摯に「命の大切さ」を語っていたことがわかっている。最近も少年が自分の家族を放火で殺すという事件が起きたが、これも医者の息子だったというのが示唆的である。 むしろ常識的に言っても、「命を大切に」という観念が強まると、「命」を脅かすと思われるような相手に対する寛容さがなくなり、「そういう奴は殺しちまえ!」という感情が正当化されやすい。またある者が社会へ

    死の大切さ - 狂童日報
  • Canon in D(an) : 404 Blog Not Found

    2006年04月09日20:38 カテゴリPsychoengineering Canon in D(an) これに同意する人でも.... パッヘルベルのカノン Pachelbel 内田樹の研究室: 反復の快毎日同じ時間に起きて、同じものをべて、同じような服を着て、同じような場所に行って、同じような仕事をして、同じようなことをしゃべって、同じような映画を見て、同じようなを読んで、同じような酒を飲んで、同じような夢を見る・・・というのが私の至福の一日である。これに同意出来るだろうか? 毎日同じ時間に同じ内容の電話を受け、同じ人からの同じ内容のメールに同じ内容の返事をし、同じ同僚と同じ愚痴を交わし、同じ上司から同じ注意を受け、同じ満員電車に揺られて帰宅し、同じ配偶者から同じ小言を聞かされる こうなると、だいぶ赴きが違うのではないか。 反復とは、音楽のようなものかも知れない。万人受けする反復も

    Canon in D(an) : 404 Blog Not Found
    Hukusui
    Hukusui 2006/04/10
    反復・・・。確かに気持ちがいいのもあるな。たんなる苦痛も多いけれど。
  • 諦観の森 十三回忌

    こんにちは、何故かHaru.netが見れないゆうき様です。 Safariだと見れるのにFirefoxだと見れない、何故だ? Operaも使ってみたいけどMac版にはバグが多いんだとか、ショボーン。 今日は曾祖母と祖父の十三回忌でした。 同じ年に死んだのでまとめてやってしまおうという適当気質。 まぁ、死について強制的に考えさせられる機会だったのです。 よく人生をマラソンとか川とかに例えますけど、 マラソンの場合、序盤は「何キロ進んだな」と考えます。 ところが中盤以降は、「後何キロだな」と考えますよね。 人生も同じで、若い頃は「何歳になったな」だけど、 ある時期を境に「後何年生きられるかな?」に変わると思います。 ていうか僕は「後何年生きられるかな?」に変わりました。 去年一年間は当に短く感じました。 今年はもっと短く感じるであろう予感があります。 明日死んでも諦めがつくような生き方がしたい

    Hukusui
    Hukusui 2006/03/25
    葬式って生きている人のためにあるんだよな。。
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