不法行為を民族差別にすり替える朝鮮人らが「民族差別を許すな!京都朝鮮学校襲撃事件」と題する緊急集会を開こうと画策している。 http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/329332dcc2fbafb496ffce9641408b43 この会場となる東京しごとセンターの使用規則では、政治・宗教活動を目的とした施設の貸し出しは禁止されているが、同センターでは「イラク問題報告会」としてこの集会への使用許可を出している。 同センターは明らかな使用規則違反を認識していながらこの集会へ会場を提供するわけである。 これを糾すために当会は同センターを訪れ、経緯の説明を求めたが、到底納得のいくものではなかった。
米国産牛肉に反対するキャンドル文化祭が全国に広がり、政府と警察はこれを 静めようと全力をふりしぼっているが、全州徳津警察署情報課が授業を受けて いた高校生を呼び出して調査し、市民の抗議が続いている。 全州のウソク高校に通うシム・某君は5月6日、3時間目の授業を受けている時に 突然の担任の先生からの呼び出しで学生部室に行き、徳津警察署から来た情報 課の刑事から調査されなければならなかった。米国産牛肉に反対するキャンド ル文化祭を開くために集会申告をしに警察署に行った直後だった。イ刑事はシ ム君に『背後』が誰なのかを問い質したという。 この事実が伝えられると、徳津警察署のホームページ自由掲示板には数千件の 抗議文が載せられ、ホームページが一時的に麻痺したりもしたという。 ▲徳津警察署ホームページ自由発言台には市民らの抗議文が絶えず上がってきている。 去る7日にも学生の間で回っている携帯メールの
〈問い〉 戦後最初のころのメーデーは「皇居前広場」で行われたと聞いています。その後、使わなくなったのはなぜですか。(埼玉・一読者) 〈答え〉 皇居前広場は戦後、国が管轄する「国民公園」の一つとなり、厚生省が管理していました。1946年、50万人が参加した戦後初の中央メーデーで初めて使われて以来、50年まで毎年メーデー会場となりました。 また、皇居前広場は、生活擁護、平和と民主主義を求める国民的なたたかいの舞台として、各種の集会が約4年間で40回も開かれ、「人民広場」という名前で呼ばれるほどでした。 しかし、50年6月2日、米占領軍の要求により、警視庁が「当分の間」東京都内の一切の集会・デモを禁止、51年の第22回中央メーデーは、占領軍命令で皇居前広場の使用が禁止されました。 52年4月28日、サンフランシスコ平和条約が発効し、日本は形のうえで「独立」します。第23回中央メーデー主催者は、今
私が参加する集会は大丈夫か−右翼暴力から表現の自由をどう守るか 2008年4月7日 「裁判所の決定まで無視したプリンスホテルに対する要請」呼びかけ人賛同人一同502名 代 表 呼びかけ人 毛 利 正 道(弁護士)mouri-m@joy.ocn.ne.jp プリンスホテル、そして映画「靖国 YASUKUNI」 「グランドプリンスホテル新高輪」(東京都品川)が右翼街宣車による迷惑の恐れを理由として、契約も裁判所の仮処分決定も守らずに、日教組教育研究全国集会全体会(本年2月2日)などの会場と客室190室3泊分の使用を拒絶しこれを貫いたため、昨年まで56回続いてきた同全体会が開催できなくなった。高裁までの3回の司法判断を無視、「これでは裁判所の決定をだれも守らなくなるのでは」とのネットに流れた市民の声にブルッと来た私は、2月3日からメルマガ「非戦つうしん」の通信網を頼りにプリンスホテルへの態
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