海法 紀光 @nk12 人類補完系のSFとして、「幼年期の終わり」の物悲しさは、いいよなぁ。ラノベ化するとどうなるじゃろ。後半の島が巨大学園で……とすると、そのまま「とある~」になりそうだな。 2010-04-12 15:44:05
わしね、アプリ実装を担当するプログラマはいつまで必要かで書いたけど、300年後にはアプリケーションプログラマは存在しとらんと思う。その頃には「こういうプログラムを作ってーや」とコンピュータに音声で頼みゃあ、プログラムを吐き出してくれる時代になっとるじゃろう。 IT翻訳者が注意すべきテクノロジー このエントリを書くキッカケは、「あれ? IT 翻訳者が家内製糸工業的なやり方でメシを食える時代ももうすぐ終わるんじゃない」と漠然と思ったことでした。もし下の妄想が現実になった場合、こういった事項を理解しなければならない人はドキュメントのオーサー、翻訳者や翻訳会社の経営者はもちろん、技術系企業に務める会社員など広範囲に及ぶことでしょう。それまでに自分がどのような道を歩めるのか、いやこれ結構すぐ、本気で取り組まないと仕事なくなりかねないです。マジで。 アプリの実装も簡単な翻訳も、300年後には機械化され
これからの時代、ゲームの現場にはより優れたツールとエンジンが投入されていく。今後、スクリプト言語は、ゲームプレイコード執筆の核となる時期を経て、やがてそれすらも自動化やツールの改善の中で相対的に重要度を失っていくだろう。 アプリケーションを開発するプログラマは徐々にその役割をスクリプタに引き継ぎ、ゲームアプリケーションの実装ではない、より下層の、ツールや自動化を提供する箇所を担当することになる。もしくはプログラマの定義が変わり、スクリプティングもプログラマの仕事の範疇になるかもしれない。ただ、長い目でみれば、間違いなくそこにはもう技術者の仕事はない。 転換期には、「ゲームを創るために上層へ配置転換を希望する」人と「ゲームを創る技術の下支えをするために下層へ突撃する」人に分かれていくことになるだろう。僕はどっちなのかなぁ…… そういえば昔ある先輩が、「おれたちはイノベーションを仕掛ける側じゃ
鹿児島に行った話を書き忘れていた。 鹿児島大学におつとめの旧友ヤナガワ先生に呼ばれて、鹿児島大学が採択された教育GPの一環として、キャリア教育について一席おうかがいしたのである。 キャリア教育については、もし「労働のモチベーション」をほんとうに上げようと望むなら、「自己利益の追求」という動機を強化しても得るところはない、と私は考えている。 その話をする。 これについては、『潮』と『新潮45』の近刊にも書いているので、繰り返しになるが、私はこう考えている。 「仕事」には「私の仕事」と「あなたの仕事」のほかに「誰の仕事でもない仕事」というものがある。そして、「誰の仕事でもない仕事は私の仕事である」という考え方をする人のことを「働くモチベーションがある人」と呼ぶのである。 道ばたに空き缶が落ちている。 誰が捨てたかしらないけれど、これを拾って、自前のゴミ袋に入れて、「缶・びんのゴミの日」に出すの
Appleが買収すべきは任天堂? その独特の企業風土 2008年10月28日 コメント: トラックバック (0) 昨日の記事「Apple社の買収対象は?」の原文には読者投票が付いていますが、その中で2位になっていた「アイスランドを買おう」というのは次のような提案でした。 30万人にのぼる教育程度の高い英語を話す人々がいて、地熱、水力、風力エネルギーも豊富だ。大西洋を横断する大規模な光ケーブルにより、米国と欧州を結ぶ理想的な位置にある。金融危機によりIMFに20億ドルの支援を要請したが、Apple社はこの国を数十億ドルで購入できるだろう。これで、すべてのギークたちの夢がかなう——美しくデザインされたアップル・ランドのパスポートを持つことができるのだ。 IMFからは60億ドルの融資を受ける模様ですが、アイスランドはたしかにIT企業には良い所であるようです。 CouriierJaponの今年5月
TGSが終わって一服感があって忘備録のためのメモですが、今年はGDCからこっち、サードパーティの偉い人による「足下の見つめ直し」的な発言が続きました。CEDECの稲船さんとか、TGSの和田さんとか。OGCの松原さんの講演も、広い意味ではそれに含められるかもしれない。新世代機が出そろって約2年で、いよいよ今までの方法論が通用しなくなってきたのがわかってきて、もっかい出直そうという感じでしょうか。CEDECも体制が刷新されて、もろもろ業界的に危機意識が高まってきたのも良いことだと思います。ただ、その一方で今年は何度か「ゲーム業界は任天堂と任天堂以外に分けて考えた方がいいんじゃないか」的な発言を耳にしました。いや、まったくその通りだと思います。そしてこれが、数年後にどんな影響を及ぼすのか、これから注目していきたいなと。TGSの基調講演では各社のトップが欧米市場に注力していく姿勢を示しましたが、こ
いろんなジャンルのゲームが各国にあり、それぞれにいろんなタイプのゲーマーが住み分けているので、ゲーマー気質を国別で分けて考えるとへんな話になる。「日本のゲーマーはこういう気質」とか言ったところで、それは「日本のうちの、そのひと周辺のクラスタがそういう気質」というだけのことで、その偏った視点から見れば外国人ゲーマーと区別がつかないような気質の日本人ゲーマーだってゴロゴロ居るわけだ。そして逆に、海外にも彼らと同じようなゲーマーが多く居ることが認識されない。とはいっても、まあ、確かに、似てるとはいえそれなりに細かい違いはあるんだろうから、「おれとあいつは同じじゃねーよ」と言いたくなったりはするのかもしれない。というあたりが素朴に郷土愛的な感情として処理されてるぶんにはいいんだけど、へんにこじれるとゲームナショナリズムに燃料供給したりしちゃうんだろうなーと思ったりもする。 360 は西欧のカジュア
意味不明。卑劣?別に畑がなくなっちゃって泣くのは自然。橋下知事はきっとスト�Uですぐハメ禁止とか言い出すタイプ。ハメの状況をいかに回避するかというゲームなのに。 「スト2ですぐハメ禁止とか言い出すタイプ」というのは、狭義では「カジュアルゲーマー」という事になるはずだ。だがしかし……。 むかし、ファミコンでスト�Uが流行ったが、あのゲームは画面の端に追い詰められるとかなり不利になる。行動範囲が相対的に半分になるからだ。であるから、あのゲームで勝つには1.相手をいかに画面端に追い詰めて、2.追い詰めた相手をいかに詰むかというプロセスを繰り返すことになる。にもかかわらず当時実在したのが、「追い詰め攻撃はハメ行為だ。ハメ禁止。」とか言い出す奴だ。追い詰められてからの攻防は極端に一方が不利なのでフェアじゃないのだそうだ。これがもしゲームの開始時点で一方のプレイヤーだけ画面端から始まったのであれば、そ
おもしろい記事を見つけた。やまなしなひび−Diary SIDE− 日本人は「ゲームが上手くなりたい」と思っていないのでは?「日本のゲーム市場では、オンライン対戦がキラーコンテンツにはならない」という仮説を出し、その理由を「日本人は「ゲームが上手くなりたい」とは思わないからではないか」とおいて、色々考察されている。たぶん、経験による推測なのでアレだが、前者に関してはその通りだろう。ただ、後者がその理由ではないだろうし、そもそも後者の意見には同意できない、日本でオンライン対戦がキラーたり得ない原因は単に「『見えない他者』とのコミュニケーションに対する心理的障壁」「家庭内インフラの問題」、さらに「ゲームの楽しみ方の違い」にあるんじゃないだろうか。以下、テキトーに思うことをつらつらと。「ゲームが上手くなりたいとは思わない」についての考えも。 『見えない他者』とのコミュニケーションに対する心理的障壁
10月になったということで、期が変わったクラブニンテンドーのポイントを貯めようと余っていたポイントシートをせっせと入力していました。と言っても、2枚(『どき魔女2』と『クイズマジックアカデミーDS』)だけだったので90ポイント。今年はプラチナ会員(400ポイント)まで行けるかなぁ…… さて、そんなクラブニンテンドーのアンケートには気になる項目があるのです。 「あなたはゲーム初心者ですか?中級者ですか?熟練者ですか?」 一言一句覚えているワケではないので、ニュアンスとしてこういう質問だったくらいに思ってもらえると助かります。「ゲーム人口の拡大」を謳って新規ユーザー獲得に注力し、その一方で「昔ながらのユーザーを軽視するワケではない」と主張している任天堂としては、その商品を買っている人のゲーム歴というのが大事な情報なんでしょうね さて、この三択の質問―――アナタならどれを選びますか? 日本のゲー
昨日久々に渋谷で飲んでいて、おもしろかった話題。 日本ではファミコンが出て10数年くらいはアーケードがゲームの王道で、これが逆転するのがPS2あたりからなんですが、当然アーケードとコンソールでは求められるゲームデザインが違うと。んでもって「どんなにおもしろい」と開発者が自負するゲームを作っても、アーケードではロケテストの結果が悪ければ意味がないと(コンソールだと続編とか営業とか宣伝とかで、より要因が複雑)。この「ロケテストの結果が全て」というアーケードの文化は、今だとネットゲームのアイテム課金と似ていると。確かに、どんなに「おもしろい」ゲームを作ったり、仕様やアイテムを実装したつもりでも、課金ユーザーの客単価が低ければ、まったく意味がないわけで・・・。でも若手の開発者は子供のころからコンソールゲームの文化に慣れ親しんでいるので、ついつい発想がコンソールベースになりがち・・・なんだとか。確か
僕の個人的な生活サイクルで言うと、たぶん2004年から2005年のどこかの時点で、僕の生活の中から『暇』がなくなりました。 正確には、暇と言うより『何もやる事がない時間』がなくなったと言った方がいいかもしれません。ネットと携帯とiPodのおかげで、どんな小さな『何もやる事がない時間』に対しても、何かしらの適当な暇つぶしをあてがう事ができて、結果的にただぼーっとしてしまう時間がなくなったという事です。 こんなに幸せな時代はない、と思いつつ、面白いと分かっているのにやる時間のないゲーム、観る時間のない映画、読む時間のない本が積み上がっていく事はものすごいストレスになります。 消費者ではなく、コンテンツの制作者の目からみても、こんなにたくさんのコンテンツがあっても読者、視聴者は消費しきれないだろうな、と感じる事があります。 まあ、作り手としては、いいものを作ればちゃんと見てもらえる、と信じて作る
【10月12日】 KONAMI、ダンジョン探索MMO「Chaotic Eden」開発者インタビュー ダンジョン探索とコミュニティを融合した新しいオンラインゲームを目指す コードマスターズ、「RACE DRIVER GRID」体験会レポート いよいよ完成間近!! 2008年を代表するレースゲームが日本にも登場 バンダイナムコブースレポートその1 「ゲームセンターCX2」はアドベンチャーやパズルが登場 オンラインFPS「Battlefield Heroes」の全貌を解き明かす! 「Battlefield」シリーズプロデューサーBen Cousins氏インタビュー 「CoFesta 2008 クリエイターズトークショウ」開催 小島秀夫氏、辻本良三氏が様々な疑問に答える SCEJブースレポート PSP編 新サービス「アドホック・パーティ」、「PS Store for PSP
「直リンク」(直リン)という言葉の意味はここ数年で大きく変わりつつありますが、 その変化を知らないがゆえの誤解、トラブルがしばしば見受けられます。 その誤解を大まかに解くのが本稿の趣旨です。 目次 第一章 - 初めに 第二章 - 結論 第三章 - 変遷の記録 2000年~2003年頃 2003年~2004年頃 2005年頃~ 第四章 - 個人的見解 補遺 第一章 - 初めに 「直リンク」という言葉は、ここ数年で以前とは異なる意味で使われることが多くなりました。 しかし、そのことを全く認識してない「直リンクという言葉は云々」と言った解説が少なくありません。 例えば、2008年4月現在、Wikipediaの「直リンク」の項目にはこうあります。 直リンク(じかリンク、ちょくリンク)とは、インターネットのWWWで公開されている画像などのメディアファイルのURLを参照し、インラインで表示する形態で別
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