承前 id:kusamisusa:20070501:p1 そもそも想定したシチュエーションのずれという気がしないでもなくなってきたので、ちょっと言語化してみますね 無名人の集まり そこそこ身近 「私デパス飲んでるんですよ」とか「前の彼氏に暴力ふるわれたのがトラウマで」とか嬉々として言っちゃうタイプ(「痛い」メンヘラ系) か、本人は特に何も言い出さない(が、ある日突然手首に包帯巻いて来たり、精神科に通っていると噂されてたり)とか。 周囲の勘違い・詐病含む 好き─┬─ ヤンデレは大好物です派(二次元) │ │ │ (略) │ ├─ 三次元ヤンデレ派 │ │ │ ├─ でもフィクションだけだよ派 │ │ │ └─ ボダマンセー共依存カップル派 │ ├─ 好きです(ファンです)派 │ │ │ ├─ 出来ればお付き合いしたいけど彼女の為を思うと(略)だ
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
想定外の批判をされた時に、それを回避するために「弱者である自分」をアピールする人がいます。代表的な例としてはこんな感じでしょうか。 初心者なんです。 子供なんです。 メンヘラーなんです。 ……だから攻撃しないで下さい、いじめないで下さい、ということなのでしょうか? そのケースにもよるけれど、こういうイイワケを見るたびにイラツキを感じる事が多いのです。 中には批判されている本人ではなく、彼を擁護する為に「相手は○○なんだぞ、少しは大目に見てやれ」という場合もあるのですが、これについても思うことは同じです。 初心者であること・子供であること・メンヘラーであることそのものを批判する気は毛頭ありませんが、彼らのブログのエントリ内容に批判すべき事が書かれていれば、その立場とは無関係に批判されてしかるべきです。 初心者なんです。 これについては以前むだづかいにっき♂:NGワード:初心者なんです!で書い
【はじめに】 1995年に放送された新世紀エヴァンゲリオン。幅広い層を巻き込んで社会現象となったエヴァの特徴は色々あるが、「心を病んだ登場人物ばかり」というのも、しばしば挙げられる特徴ひとつである。碇ゲンドウにしても葛城ミサトにしても綾波レイにしても、いびつな心的傾向をもって描写されており、当時の社会病理と照らし合わせて考え込んだ人も多かったことだろう。もちろん、主要人物たる碇シンジと惣流アスカにおいてもこの傾向は顕著で、劇中、彼らの心象を巡る残酷物語がこれでもかと展開されている。 今回、ある人から「シンジとアスカはどちらが境界性人格障害に似ているのか?」という質問を頂いたのをきっかけに、久しぶりにシンジとアスカについて真面目に考えてみた。果たしてシンジとアスカはメンヘルチックなのか?特に、現代社会病理の一析出傾向として語られがちな境界性人格障害に似通っているのはどちらなんだろうか? 【境
シンジは、なぜアスカの首を絞めたのか シンジがアスカの首を絞める必然性を理解するには、まず、シンジの内面を明確にする必要があります。 1.シンジの事情 シンジは、自分が親から捨てられたということがコンプレックスになっています。 16話 「父さん、僕はいらない子供なの?」 20話 「父さんは僕がいらないんだ。」 「父さんが僕を捨てたんだ」 そして、シンジは、自分が捨てられたのは、自分には価値がないからだという気持ちがあります。 1話 「父さんは僕がいらないんじゃなかったの」 「やっぱり僕は、いらない人間なんだ」 テレビ版26話 シンジ 「僕には、何もない。何もないんだ」 テロップ「生きる価値が」 シンジ 「僕にはない。」 テロップ「だから」 シンジ 「僕は僕が嫌いなんだ」 シンジ 「父さんに所へ行かないの?」 シンジ 「行きたくない」 レイ 「どうして?」 テロップ「恐いから
かつて、X氏という人と出会った事があった。彼は万事に対してネガティブで、自分が何をやってもまずい事にしかならないと信じていた。事実、彼は大学受験の終盤に入って摂食障害を煩い、受験に失敗、こうなったのは家族のせいだと家庭内暴力を連日繰り返し、リストカットや自殺未遂も一再ではなかった。高校中退後はずっとニートで、何をやっても自分は駄目で苦しいともがきつつも、様々な消費財は人並みに、否、人並み以上に消費し続けていた。その有様は、傍目にみてもあまり格好良いものではなかったと思う。 初めてX氏に私が出会ったのは、彼が23歳の時だった。最初は笑顔で話し始めた彼だったが、数分後には顔を歪ませて家族の不理解や自分の境遇の惨めさについて滔々と語り始めた。その語りに自傷の快楽が潜んでいる事を私は勿論気づいていたが、黙って聞いていることにした。以後も月に2〜3回程度、彼の話を聞く機会があったが、数十分に渡って「
精神科医が警告! ウソがつけないと鬱になる (日経ビジネスAssocie編集) オフィス街でストレス診療をしていて思うのは、「鬱な人はウソがつけない」ということです。 酒井 和夫(さかい・かずお)氏 ストレスケア日比谷クリニック院長。1951年、東京都生まれ。東京大学文学部卒。筑波大学医学部卒、同医学研究科博士課程修了、医学博士、精神科医。著書に『精神科って、どんなとこ?』、『ウソの研究−上手なウソのつき方教えます!』など。http://www.s-hibiyacl.com/ 東京・日比谷のオフィス街でストレス診療をしていて思うのは、「鬱な人はウソがつけない」ということです。自分にウソをついてだますことができないんですね。 考えれば考えるほど深みにはまっていくような悩み・問題を抱えてしまっても、自分をだまして精神的に追い込まれる状態を避けられる人なら、鬱にならずに済みます。例えば
「愛」も「萌え」も定義は広い:「リストカットする勇気があるなら」という勘違い こういうときは(情報元:まなめはうす様)と書けばよいのでしょうか。 私は2年くらい前まで、リストカットをしていました。 はてブのコメントでkanimasterさんが「自傷行為と自殺衝動がいっしょくたに語られている気がする」というのは、私も同じように感じました。 リストカットは自殺目的で、するものではないと思います。本当に希死念慮があるときは別の方法をとると思います。少なくとも「死んで楽になりたい」という考えは、私にはありませんでした。 実際に自分がリストカットをするようになるまでは、それは「してはいけないこと」だと思っていたし、まさか自分がするようになるとは思っていませんでした。 私の場合、リストカットをするのはイライラして落ち着かない時。それも普通の落ち着きのなさではなく、病的な焦燥感がひどかったときでした。焦
Filed under medicine Posted on 2006/02/04 土曜日 - 04:28:54 by admin Responses are currently closed, but you can trackback from your own site. http://macska.org/article/130/trackback/ 46 Responses - “リストカットなどの自傷行為を「防ぐ」ことは望ましいのか” しゅう Says: 2006/02/04 - 06:26:23 - さすがMacskaさん! 俺たちに出来ない事を平然とやってのけるッ そこにシビれる!憧れるゥ! いやはや、何時に無く過激ですね(^^; 確か以前、芥屋さんとこの掲示板で、リストカットが話題になってまして、 リストカットを下手にやめると、逆に自殺の可能性が上がると聞いて随分ショック
皆さんの中に、肌がかゆくも何ともないのに、わざわざ体のあちこちを思いっきり爪で引っ掻いたり、痕がつくほどつねったりする人がいるだろうか。そういう人はほとんどいないと思う。 ところが、そんな人でも、腕や脚が蚊に刺されると、そこを思いっきり掻きむしったり、つねったりして、刺されたかゆみを紛らわそうと必死になる人も多いだろう。 このように、「別の痛みで、他の痛みを紛らわす」という方法がある。頭が痛い時にコメカミを押してみるのも、同じように苦しい気持ちを紛らわせるための手段である。 「リストカットする勇気があるくらいなら、何だってできる。その勇気を積極的な方向に向けて、ちゃんと現実に立ち向かうべきだ」などと偉そうに講釈を垂れる人がいる。人の気持ちを知ったかぶりして偉そうな事を言いやがって、こういうのを「小さな親切、大きなお世話」というものだ。 私自身はリストカットした事は一度もないとは言え、島倉千
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