若月俊一が二十二日に死んだ。九十六歳だった。死因は肺炎とのことだが、このお歳での肺炎は寿命に近いかもしれない。すでに伝説の人というべきか。ウィキペディアには簡潔な説明がある(参照)。二十世紀医学そのものの人生といってもよいだろう。医学的にはどう評価されているのかわからないが、長野県の長寿の一端は彼が開始した巡回診療の影響もあるのではないか。 私の祖父は佐久病院で死んだ。単に地域医療というだけのことだが、見舞いに行ったおり、なんとなくだがこれはよい病院だなという印象を持った。彼が入院するころはもう佐久病院への信頼は揺るぎないものになっていた。もちろん、大衆は警戒的な噂をときおりしたがどうというものでもない。このあたりの大衆と医療の歴史の機微というのはなかなか言葉にならないものがある。 佐久病院といえば、司馬遼太郎の「ひとびとの跫音(参照〈上〉・〈下〉)では、正岡子規の養子忠三郎の友人西沢隆二