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aurelianoに関するMeat_eating_orchidのブックマーク (2)

  • No one I think is in my tree - ハックルベリーに会いに行く

    時々ぼくの木には誰もいないんじゃないかと思うことがある。それはブログを書く前もそうだったし、ブログを書いてからもそうだ。例えばぼくは時々「その人が何を考えていたかなんて、人じゃなければ分かるはずないじゃないか」という言葉にぶつかる。これはいつでもどこでも突き当たる。こう考えている人は当に多い。しかしぼくの考えでは、それは全く逆なのである。 人の「考え」というのは、ぼくはその人の「目」のようなものだと思っている。目は、他の人からは見ることができるけれども、人には一生見ることができない。わずかに鏡越しに見ることができるくらいである。考えもそうだ。その人の考えていることは、他人からは見ることができるけれども、自分では見ることができない。自分を一番知らないのは自分自身である。自分以外は、みんなその人のことをよく知っているのだ。その人が何を考えているかなんていうことは、人以上に周囲がよく分か

    Meat_eating_orchid
    Meat_eating_orchid 2009/01/06
    はっはははははははww 自らをあっさりと「天才」ジョン・レノンになぞらえてしまう無邪気な傲慢さw とてもじゃないが敵わないw
  • 他人の気持ちを慮れないことが蔑まれた原因だ - ハックルベリーに会いに行く

    「勉強ができる」というのは別に蔑称でもなんでもない。蔑まれたと感じるのは、そう思い込んでいるだけだ。被害者意識をこじらせた結果である。 こういう記事があった。「勉強ができる」という蔑称 - 理系兼業主婦日記それ以来、私には「頭のいい子」という称号がついて回った。賞賛の意味でそう呼ばれることが多かったが、「変わってる」「すかしてる」という意味での蔑称として呼ばれることもあった。だから、私は「頭がいい」と言われることが、どうしても好きにはなれなかった。「まじめ」「いい子」という呼び名も、同じ意味で嫌いだった。 そう言って、この人は「頭がいい子」というのが蔑称であったと主張する。そうしてそれは、勉強ができる子に特有の問題だとする。日には、勉強ができる子を蔑むような風土があって、それで自分は苦しい思いをさせられてきたし、また他にもさせられている「勉強のできる」人々がいると。 確かに、そういう場合

    Meat_eating_orchid
    Meat_eating_orchid 2008/12/26
    「理系で国語を勉強してなかったから人の気持ちが慮れないに違いない」ww なにこのペラッペラに薄い世界観www 頭悪すぎwww
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