言説の抗争(Dryzek)における争点のフレーミングを、コミュニケーションの促進という点において「効果的」かどうかという観点から類型化する、というアイデア。 なお、僕のオリジナルではなくて、博士候補生のSelenのアイデアですので。
『東洋経済』最新号は、左の表紙のように「崩れる既得権 膨張する利権」で、これはこれで大変興味深いものですが、ここでは、湯浅誠氏と城繁幸氏の対談がいろんな意味で大変面白く、取り上げたいと思います。 世間的には、湯浅誠氏と言えば、左翼の活動家というイメージで、城繁幸氏と言えば、大企業人事部出身の人事コンサルで、保守的とお考えかも知れませんが、そういう表面的なレベルではなく、人間性のレベルで見ると、なかなか面白い対比が浮かび上がってきます。 >横断的な労働市場を作ることは同感です。それを妨げるものとして、中途採用に消極的な企業や企業別組合、人材育成能力のない派遣業者などの問題があることも理解できます。ただ移るには環境を整えないと無理。第2のセーフティネットもうまくいきません。 >城さんの考えでは諸悪の根源は解雇規制ということになるわけだ。私もフレクシキュリティ政策は評価しますが、それは失業しても
司法制度改革審議会は 21世紀の我が国社会において司法が果たすべき役割を明らかにし,国民がより利用しやすい司法制度の実現,国民の司法制度への関与,法曹の在り方とその機能の充実強化その他の司法制度の改革と基盤の整備に関し必要な基本的施策について調査審議すること を目的として内閣に設けられた審議会ですが、 同審議会は平成13年7月26日をもって2年の設置期限が満了いたしました。 司法制度改革については、こちらを御覧ください。
「三国人発言」をはじめ、石原慎太郎都知事はどうしてこんなにも差別発言を繰り返すのか……。あきれて憤る辛淑玉氏は、対談の相手である野中広務氏もまた疑いなく、自分に同調するものだと思い込んでいた。しかし、 「昨夜石原と飯を食ったんですよ」 と、返され、 「え? なんで石原さんと御飯食べられるんですか。なんで!?」 辛氏が思わず問い質す場面は、ある意味この本のクライマックス部分にあたる。 野中氏に対して、辛氏は差別の痛みを分かち合うことのできる人間との認識があるからこその、「え?」だ。 あの石原都知事となごやかに食卓を囲む場面が想像つかず、「どうして?」を連発、激しく詰め寄る辛氏に、野中氏は、 「あんなのボンボンですよ」「あれはまたいい男だから」「彼にも、僕のように忠告をできる人間がおらんといかんでしょ」 メシを食ったぐらいのことでなんで大騒ぎするのか。不思議だというふうに、野中氏が首を傾げる様
ディベートを教えるときによく聞かれるのが資料の集め方。オレみたいな10年選手は、何の気なしにパッパカパッパカ集めてしまっているし、何事もなくやっているのだけれど、慣れてない人にとっては、この手順とか段取りが謎のように見えてしょうがないらしい。別に大したことしてないんだけどね。特別な力持ってるわけじゃないし、誰でもできる手順なんだけども。 つい最近も聞かれたばかりなので、ここで詳しく回答しときますか。意外と単純で普通なのよ、S。こういうものに複雑な種明かしなどないのだよ。今回は今話題の「ガソリン税の暫定税率」を例にしてみますか。このテーマでディベートをすることになった場合、タケルンバはどうするかということで書いてみたいと。 基礎1 言葉を学ぶ 何事も基礎が大事なんですよ。基礎があるから、上に色々積み上げることができる。意外と地味なところが大事なんです。ここをおろそかにすると、結局は何も身につ
以前から教育心理学の領域では,主張を組み立てる際の規範的モデルとして,トゥールミンのモデルが利用されてきました。このような主張の組み立てを図示してきた人々の研究をレビューした論文をたまたま見つけたので紹介いたします。 Chris Reed and Glenn Rowe(2007)A pluralist approach to argument diagramming. Law, Probability and Risk http://lpr.oxfordjournals.org/cgi/content/abstract/mgm030v1 この論文によると,最初に図示をしたのはWhatelyという人だそうで,1850年のことだそうだ。ただし,鵜呑みにするのはたぶん危険でしょうね。だって,だれでも図示ぐらいできるでしょう。主張とそれを支える理由付けを線で結ぶとか。 この本を読んでみて確かめてみ
日時: 2007 年10 月3 日(水) 18:30〜20:30 場所: CSCDオレンジショップ(豊中キャンパス 基礎工学部J棟1階) 下記キャンパスマップの17番と27番の間の建物です。 http://www.osaka-u.ac.jp/jp/about/map/toyonaka.html 主催:大阪大学コミュニケーションデザイン・センター お問い合わせ先: 春日匠(大阪大学コミュニケーションデザイン・センター) メール stc[at]cscd.osaka-u.ac.jp (※[at] を@ に変えてください) 電話 06-6816-9494 ファクス 06-6875-9800 申し込み方法: どなたでも参加いただけ、参加費は無料です。当日、直接会場におこしください。 【内容】 科学や技術の話題について、専門家と一緒にお茶やお菓子を片手に気軽に語りあう場。それがサイエンスカフェです。話
会議中にメモが追いつかない人、後でメモを読んでも意味が分からない人。そんな人にこそ、会議マインドマップが必要かもしれない。(Lifehacker) 発言者の話す速さにメモが追いつかず、会議についていくのに苦労したことはないだろうか? メモしたアイデアを読み返したときに、メモの意味が分からなくなっていたことはないだろうか? 自分に当てはまると思ったそこのあなた、会議マインドマップこそあなたに必要なものかもしれない。ここでは、マインドマップをうまく始められる指針と印刷できるテンプレートを提供するクイックスタートガイドをお届けする。 まず、マインドマップのコンセプトを幾つか挙げる。この記事を読んでいけば、このコンセプトの多くが明確になるだろう。 マインドマップはフリーフローツールだ。そのプロセスには正解も不正解もない。多くの人は、色違いのペンをたくさん使って図を描くことを勧めている。それが向いて
レジデント初期研修用資料 引っ越し前の旧blogです。新しいアドレスは http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/ になります ジャーナリストの 有田 芳生 氏が、北村弁護士の演説を、コラムで批判的に紹介していた。 「声が裏返り、口汚く語っている。どこの議員だろうかと冷ややかに見ていたらキタムラとかいうタレント弁護士だった」 有田 氏の言論は、一見見たままの事実を語ったようでいて、「口汚く」であったり、 「キタムラとかいうタレント弁護士」であったり、事実と事実とをつなぐ言葉に 自らの意思を忍び込ませる、伝統的な言論技法。 冷ややかに見たのは誰なのか。キタムラをしょせんタレントだと見下したのは誰なのか。 もちろんそれは文章を書いた有田氏自身なんだけれど、文章が上手な人は、 それを「読者一般」の視点から見たように描く。 「ジャーナリストである有田氏個人はこう思った」という
大学や大学院で論文の書き方を鍛え上げた人たちには遠く遠く及ばないが、僕の様なはぐれもの1でも最近は Amazon 社内で文書の質が高いと評価してもらえるまでにはなった。Software Engineer として、コードでのアウトプットはもちろん大事だけど、文書のアウトプット(およびそれによって得られた実際のアウトプット)は同じだけ重要である2。今回は自分が最近どういうところに気をつけて技術文書を書いているのか、ということについて数年後の自分が忘れてないことを確かめられる様にまとめておく。 そもそも文書とは? 英語だと document。ここで指す(技術)文書とは、人間が読む文体で書かれた技術に関連する情報、といったものだ。具体的に言うと以下の様なものを想定している: 新しいプロジェクトの骨子を説明する資料 会議の叩き台となる 1 枚ペラ 本番環境に変更を加えるにあたっての包括的な情報や具体
シカゴ大学法学部ブログではじまったグレン・レイノルズ(テネシー大学法学教授、保守系ブロガーInstapunditとして有名)との対論において、キャス・サンスティーンが政治学者ダイアナ・マッツの『Hearing the Other Side: Deliberative Versus Participatory Democracy』を引いて集団分極化について面白い指摘をしている。 サンスティーンの『Republic.com』(『インターネットは民主主義の敵か?』)では、集団分極化のメカニズムが人々を分断し、先鋭化を起こすことが懸念されている。しかしそうした先鋭化は、同時に人々の政治参加の動機を著しく強めることにもなる。もし自分たちに何が正しいか分かっており、敵対者はとんでもない悪人かバカのどちらかであるなら、自分たちの主張を通すためにより深く政治活動に関わろうと思うようになる。 逆に、閉鎖的な
何かについて批判的なことを言うと、すぐさま「だったら、どうするんだ、対案を出せ」などと恫喝される。これは不当だ。しかし、私たちは、ある瞬間を空白にしておくことはできないのであり、そこに何かがなければならないなら、やはり対案は必要なのである。とすれば、先の不当さは何に由来するのか。ここにあるズレをきちんと見ておかなければならない。*1 「対案を出せ」論法批判 批判は、あくまでも問題の所在を示す。その解決が可能かどうかは分からない。大抵、示せない。しかし、それが問題であるならば、明らかに問題なのだ。たとえば、必ずしも死ななければならない理由がないのに、人が死ななければならなくなっているとき、それは問題だ。そのような状況は、「あってはならない」こととして認識されなければならない。そのようなことが「現実に起こらない」ために、何かをしなければならない。私たちは現にある現実を、そのどこかを、変更しなけ
id:macskaさんの「館長雇い止め」を「バックラッシュ裁判」として闘ったことの帰結とか読んだり、「安部内閣を振り返る」系の動画を見ながら、ふとこの動画のことを思い出した。 http://video.google.com/videoplay?docid=1736033721345027499 「館長雇い止め」の件同様、このケースもまたフェミニズム系のML等でかなりヒートアップしていたもの。「敵失をいかに利用するか」という議論が熱く交わされ、結果として出てきたのがこの替え歌。これは、誰に向けて、何をしたかったのか、さっぱり分からなかった。「街行く国民よ、覚醒せよ!」系の右翼街宣車とか、労働組合によるデモとかなら、選択されている方法が見合ったものかどうかはともかく、一応「何がしたいのか」は分かるんだけれど。一部の“運動体”のモチベーションアップと、社会的効果を天秤にかけても、他の例に比べてあ
ふと思いついたので書き留めておきます。「論理的かどうか」ということはいろいろな状況で論じられます。そのとき,論理的であったとしても,その論理をどのように利用するかは頭の良い人たちの間でも分かれるのではないかと,ユニクロでブラブラしているときに思いつきました。 まず「論理」というのは,何らかの前提条件やデータから結論を出すときに用いる推論のルールや道具といったものです。簡単なレベルではA→B,B→CならばA→Cとか,AならばAとかそういうものです。もっと複雑なレベルでは,多くの場面でみられる個々の事実から一般的な法則を見いだしたり,一般的に当てはまることを個別のことに当てはめたりといったことがあります。すなわち,ここで論理と言っているのは,ルールによって支配された推論するときにその背後にあると考えられる「理(ことわり)」です。 さて,論理的に結論を出すというときの2つの論理の使い方とは,非常
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