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ブックマーク / mojimoji.hatenablog.com (27)

  • 「天皇のお言葉」について - モジモジ君のブログ。みたいな。

    いやー、アキヒトさん、いいこと言ってますね。でも、いいことなら詐欺師でも言うのであって、むしろ大事なことは「言わなかったこと」「なかったことにしてること」「無視したいと思っていること」の方にありますよね。感動してしまった皆さんにおかれましては、その点に留意してよくよく会見の全文を読み直すことをお勧めします。僕などは、今回の会見があまりによく演出されてるので、その底知れない悪意の深さに寒気しましたよ。今年最大級の気持ち悪さ。 1.アキヒト発言に書かれていないこと 以下、アキヒト発言にコメントを付してみたいと思います。 ◆自然災害への強い関心、人災への並外れた無関心 冒頭、今年の災害を振り返る言葉について。僕などは、「想像を絶する自然の力」と共に「(赤坂自民亭をはじめとする)政権を担う権力者たちの鈍感さ、無責任さ」がとてもとても強く印象に残っています。なんなんでしょうね、この「なかったことにす

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    NOV1975
    NOV1975 2018/12/26
    内心とは、発話とは、修辞とは、という感じだな。
  • 広域処理に賛成することは科学的態度と言えるか? - モジモジ君のブログ。みたいな。

    実は、震災がれき問題に関わっている間、「震災がれきを燃やすことは危険ですか?」という質問に対して、「危険です」と答えたことは一度もない。この直截な質問に対しては、原則として「わからない」と答えてきた。それでは、僕は何を問題にしてきたのか。安全性と必要性を問題にしてきたとは言えるが、正確に言えば、「政府の言う『安全です』『必要です』との主張の根拠には合理的な疑いの余地がある」ということだ。そして、政府が示している論理と証拠に対して、一つずつ丁寧に疑問を投げかけていった。環境省はおよそ何一つ答えなかったし、答える意志もなかった。 言うまでもないが、「危険です」と答えることと「(安全か危険か、危険だとしてどの程度危険か)わからない」と答えることの間には大きな違いがある。もちろん、「安全です」と答えることの間にも大きな違いがある。僕の立場は、実際に何が起こるかはわからないし、この点で確信的に言える

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    NOV1975
    NOV1975 2014/09/15
    わからない、で思考停止したことを元に行動をするのは科学的態度と到底言えまい。
  • 「判断の正しさ」について - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「判断を誤った」ことを制裁の対象にしていくと、頑として誤りを認めない、誤ったことを隠す、そういう体質にどんどんなっていくと思っています。つまり、判断の結果に注目することは、問題を大きくしてしまう。そうだとするならば、代わりに、どのように考えればよいのでしょうか。 そもそも、判断とは、判断の「正しさ」とは何でしょうか。 ニュートンはまちがってましたけど、それでも、彼の理論が土台となってアインシュタインやその後の理論が生まれてきたとは言えると思います。間違っても「正しいと信じられること」を言葉に、形にすること、それが私たちの世界に対する認識を進歩させてきました。逆に、あてずっぽうで結論だけ言い当てることができたとしても、そのことに何か意味があるでしょうか。少なくとも、次なる判断に生かしうる知見を何ももたらしていないという意味で、まぐれ当たりの正解には何の価値もありません。 正しいか間違いかで言

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    NOV1975
    NOV1975 2014/09/12
    なんか違和感あるので書いた。http://d.hatena.ne.jp/NOV1975/20140912/p2
  • 普天間基地県内移設に合理性は皆無 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    なぜ普天間基地移設先は沖縄県内でなければならないのか この人、軍事に詳しい人、とされてる人ですよね、一応。なーんなんだろ、この妄説は。 米海兵隊の戦略と沖縄 マジレスすると、海兵隊にとって重要なことはヘリや支援戦闘機、揚陸艦、上陸部隊が一体となって行動できること。その意味で言えば、佐世保の揚陸艦艇、岩国の支援戦闘機などと一体運用するためには、民間の飛行機がほとんど使ってない佐賀空港あたりにでもヘリ部隊を移し、付近に上陸する地上部隊の駐屯地を作るのが一番いい。九州には自衛隊の演習場も多くあり(大分など)、米軍にとっては願ってもないロケーションだ。ついでに言うと、北朝鮮までの距離も半分になる。文句のつけようがない。戦略戦術をいうなら、断然九州。 地政学的に沖縄にあることが重要といえそうなのは、嘉手納基地(空軍)くらいでしょう。海兵隊については、沖縄にある必然性はまったくないどころか、分散配置の

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    NOV1975
    NOV1975 2010/01/02
    「戦略戦術」的と二つ並べられることにすごい違和感と、九州である理由が大して語られないまま「理由は政治」であることばかりなのがさて。政治を語らない人に届くことやら。
  • 簡単に言っていいんだよ。 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    選挙おもしろい@sociologbookについて。 以前、県内某所でボランティアの平和ガイドやってる教員崩れの腐れナイチャー(笑)が、「わずかな補助金と引き換えに青い海を売り飛ばしてしまう愚かな沖縄人には目を覚ましてほしい」(原文ママ)と発言したときにぶち切れた俺だが(笑)、「カネがない」ということをあまり甘くみないほうがよい。地位を保証されてのうのうと暮らしている教員や公務員ならなおさらである。 わかるんだけど、やっぱり違う、というか。ここできしさんが「腐れナイチャー」と言う文脈は、想像できなくはないんだけど、とりあえず、「わずかな補助金と引き換えに青い海を売り飛ばしてしまう愚かな沖縄人には目を覚ましてほしい」という文言自体がまちがっているかというと、それは違う、と思うんだよな。モヤモヤするので、整理する。 きしさんが紹介しているような「無駄な公共事業」は、もうどうしようもなく無駄であっ

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    NOV1975
    NOV1975 2009/09/18
    もっと高く売るべきだよな(違うか
  • 行為への欲望を擁護する - モジモジ君のブログ。みたいな。

    まぁ、無理だ無理だと言いなさんな。こここそ、擁護しておかねばならんことのはず。 陵辱表現であっても、必ずしも陵辱する側に感情移入してるわけではないとか、性に対する罪悪感と性的欲望の一つの結合のあり方であるとか、陵辱表現に対する欲望は(確かに)さまざまにありうる。その意味で、陵辱表現への欲望と陵辱行為への欲望は、必ずしも重ならず、表現を欲望する人たちの姿はずっと多様。それはそう。 ただし、陵辱行為への欲望とほとんど区別つかない形で陵辱表現を欲望している人というのは、ホントにいる。そういう人はいて、じゃあ、そういう人は救いようがないのか。死んでもらうべきか。そんなことでもない。 こういう人にとって陵辱表現はどのような意味を持つか。ガス抜きになるか。なる面もあるかもしれないが、むしろ、こういう欲望を強化するような面もあるかもしれず、私見では、後者の方が強い気がする。じゃあ、表現自体にアクセスでき

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    NOV1975
    NOV1975 2009/06/16
    敗北宣言ならわかるように書いたほうがよいと思うよ/言うことが変わるのはいいけど一貫しているみたいに書くのはどうかな。
  • いしけりさんへのコメント - モジモジ君のブログ。みたいな。

    http://d.hatena.ne.jp/barcarola/20090613/1244917026 度々言及ありがとうございます。 あまり長くならないようにしたいですが、いくつか。 第一に。国家権力の怖さは、直接介入だけでなく、私的権力行使の黙認という形でも実現されます。強制退去だけでなく外国人排斥デモの容認によって。女性に対する権利制限・教育によってだけでなく、私的表現の流通によって。格差問題や公害問題などで、国家による資管理によってではなく、私企業に対する国家介入の制限によって。ですから、憲法でさえ、「個人を国家から守る」というにとどまらない側面を持っています。 かつて、マッキノンの主張をいろいろ読んだことがありますが(そして、とても賛同はしませんが)、それでもマッキノンへの反論には首をかしげざるをえない、と結論しました。直接介入の危険性が語られるときに、私的権力を通じて実現され

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    NOV1975
    NOV1975 2009/06/14
    「私的権力行使の黙認」って自主規制はよくないって事か?www/こういうのは両側に適用できちゃうんだよ。
  • コドモを藁う大阪──大阪芋畑闘争 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    結構いろいろと大事な論点が詰まってますね。 今回の行政代執行の法的な問題 「異議申し立て」する権利の形骸化、ということ。そういうことを狙ってやったという意味で、大阪府の狙いは脱法そのものである、ということ。次の二つの記事を参考に。 保育園代執行で大阪府が当に鬼畜な理由: BattleRock Blog http://blogs.yahoo.co.jp/isikeriasobi/55431836.html 道路計画そのものへの疑問 今年2月の報道で、次のようなものがあります。YouTubeより。「渋滞緩和にはならない」は、「でもやるんだよ」というのもわからないではないけれど、「環境対策が甘い」、「大阪府の追加負担が大きい」は、結構大問題。最後のなんて、財政再建しようとしてるんだから、橋下ならマジメに考えるべき論点のはず。元々の計画はかなりデカイ道路なので、見直して縮小する余地はある、という

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    NOV1975
    NOV1975 2008/10/19
    まとめすぎてそれぞれに対する否定のレベル感まで揃っちゃった感じ。
  • 学力調査で「自分の位置」を知る必要はあるのか? - モジモジ君のブログ。みたいな。

    受験する学校を選ぶとか、そのために知る必要性があるケースはある。ただ、今回の学力調査の問題って、「解けなかったら、先々苦労するんじゃない?」と思われるような、かなり基的な内容が問われていたんじゃなかったっけ? そうだとするならば、「全体における自分の位置」なんて知る必要がない。100点ではないすべての子について、まちがった問題について、なぜ、まちがったのか、なにが理解できていないのだろうか、ということが考えられるべき*1。逆に、まちがった問題があるにも関わらず、「平均点よりは上だ」みたいな安心の仕方をする方が遥かによくない。 点数を公表して比べれば比べるほど、子どもの関心は仕事の質そのもの(=絶対評価)ではなく、周囲との位置関係(=相対評価)のみに焦点化していく。わざわざ教育して子どもをダメにしてるわけだ。バカバカしいにも程がある。「自分の位置」を知ることにもほとんど意味なんかないのに、

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    NOV1975
    NOV1975 2008/09/21
    差がつきやすい頃は常に100点を目指してたものだけど。/高校では相対位置を気にし始めたけど、それわからんと受験に無駄金つかうことになるからね。/子供の代弁になっているのか、架空の子供なのかわからない。
  • 学力調査結果を公表すべきでない理由 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    橋下知事「学力調査の市町村結果、公表すべし」 学力調査非公表なら「私の責任で公表も」 秋田県知事、いずれもasahi.comより。*1 上記記事に関連して。 調査というのは、何を、どういう方法で測り、それにどういう意味があるのかをきちんと考えられる人にとってのみ、意味がある。公表が問題になっているその学力調査というのは、何をどういう方法で測ったのか。そして、測った時点での測定値にはどういう意味があるのか、そういうことも含めて丁寧に検討するのでないならば、結果だけ公表しても意味がない。そして、「結果だけ公表しても意味がない」ということがわからない人に対して公表することは、明白に害がある。 たとえば、ある地域の学校の教育力を測定したいのであれば、ある時点での学力を測り、なんらかの教育手法を試した後、もう一度学力を測定し、どのくらい変化があったか、ということを問題にしなければならない。また、その

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    NOV1975
    NOV1975 2008/09/09
    そこまでいったら公表したらパニックみたいな理由で色々公表せずにすみそうだなあ。隠されたくないなら公表のリスクは甘受すべきなのでは?あるいは「全てを」有識者に委ねるか。原則の問題として。ならするな、に
  • 愚行権とか、啓蒙の暴力とか - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「問題は疑似科学ですらない」@地下生活者の手遊び 「愚行権」にせよ、「啓蒙の暴力」にせよ、実に粗雑な使われ方をしてるのをよく見かける。あまりに酷いので、当面、自分で使うのは自粛しているくらいなんだけど、またか、という感じではある。 「愚行」を支えるもの とりあえず、愚行権とはどういうものか、tikani_nemuru_M氏の記事もあるわけだが、そのまた元ネタであるところのミル『自由論』に遡って引用してみる。 ……社会が個人として強制と管理という形で干渉するとき、そのために用いる手段が法律による刑罰という物理的な力であっても、世論による社会的な強制であっても、その干渉が正当かどうかを決める絶対的な原則を主張することにあるのだ。その原則はこうだ。人間が個人としてであれ、集団としてであれ、誰かの行動の自由に干渉するのが正当だと言えるのは、自衛を目的とする場合だけである。文明社会で個人に対して力を

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    NOV1975
    NOV1975 2008/06/02
    これって自分が医者だったら主張どおり輸血を行うの?それとも愚行を禁止しないために輸血しないの?そこんところがよくわからない。
  • トリアージについて二つ - モジモジ君のブログ。みたいな。

    いろんなことが言い尽くされたように思うので黙ってましたけど、わざわざ尋ねてくれた人があったので、簡単に。発端の福耳さんもいろいろ考え直されているようだし、福耳さんを批判しなくちゃ、ということではないですが。基的スタンスとして大事なのは、この記事、かな。>「救ったこととか見殺しにしたこととかあるのかな」@こどものおいしゃさん日記 あと、二点ほど、付け加える。 トリアージって、別に問題の解決でもなんでもなくて、てゆーか、そもそも問題の解決ができないからトリアージが出てくるわけで。だから、トリアージが必要な場面で、トリアージを実行するだけの人たちがPTSDになったりする。人は、問題の解決が可能なのに助けられなかったことが辛いのではなく(そういう辛さもあるときにはあるだろうけど)、問題の解決が可能であろうと不可能であろうとただ助けられないというときに、そのことを直接に、辛く思う。だから、問題の解

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    NOV1975
    NOV1975 2008/05/25
    もちろんこの通りだし、トリアージを(例にしたのではなく)引き合いに出したのは良くなかった。けど、かわいそうの話はまた別の問題で、そっちまで肯定されていることに対する抗弁が多いんじゃないかな。
  • 励ましが自己責任論に似てくる理由 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「逃げ場所はあるよ」@reponの日記 ないわ〜 404 NotFound(暫定) 「逃げる場所が無いときも確かにある」@オレドコBlog 一ヶ月近く前に見かけた、興味深いやり取りについて。 reponさんの「僕は「自己責任論」なんていう、人と人とのつながりを断ち切る冷たい在り方はだいきらい」は心だろう。でも、それが、オレドコさんには「自己責任論」に聞こえてしまう。こういうことは、しばしばある。reponさんが真実「自己責任論なんて嫌い」と思っていることをreponさん自身は知っているのだし、だから、これはオレドコさんの誤解、誤読に決まっている。──しかし、reponさんは、少なくとも一つ、嘘、とは言わないまでも、根拠のないことを言っている。それは次の部分である。 「ともに生きていこう」とさしのべる手は、今は見えないのかも知れないけれど、きっとあるよ。絶対にあるよ。間違いなくあるよ。 r

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    NOV1975
    NOV1975 2008/05/11
    この辺を上手く使うとネットワークビジネスができそうだなあ。
  • 死刑は社会正義ではありえない - モジモジ君のブログ。みたいな。

    死刑についていくつかの記事を書いてきたけれども、「社会正義の臨界――光市母子殺害事件高裁判決」など参照しつつ。 sk-44氏の死刑存置論(1) 快楽殺人者の反省不可能性 まず、sk-44氏の記事の、前半について。 私が極刑としての死刑存置論者であるのは、ある個人的な問題意識とかかわる。他人と共有しうるものであるかわからない。以下に端的に記す。お断りすると気分のよい話ではない。 所謂快楽殺人者は、被害者の殺害を前提とする性犯罪者は、死刑台に送られて然るべき、あるいは、死刑台に送らないことには仕方がない。そうした認識と見解に私は同意せざるをえない。 「気分のよい話ではない」とあらかじめお断りされているので、この先については引用しない。代わりに、以下の議論に必要な限りにおいて、簡単に要約する。<快楽殺人者において、その人を殺したその場面の記憶は快楽そのものであり、生きている限りその快楽を繰り返し

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    NOV1975
    NOV1975 2008/05/09
    うーん、見方を変えれば精神的見せしめ論にもとれる。/だんだん死刑がコストの問題に見えてきた。社会的にコストが許容されるコンセンサスがとれたら廃止。メディアが阻止中/革命時の反動も凄そう。
  • 選挙を勝ち負けで語る人たち - モジモジ君のブログ。みたいな。

    去年の参院選の後の安倍・自民シンパの反応とまったく同じなんですよねこれ。自分たちの望まない結果を他人のせいにするという悪手は左右関係ないということでしょうか。 http://d.hatena.ne.jp/y-yoshihide/20080202/p2 そういうロジックが成り立つことには基的に同意するが、それが具体的な誰に当てはまるかは別問題だ。少なくとも僕に関して、参院選後に書いた記事から引用しておく。 ともかく、暴走列車が一度は止まった。今は、嬉しい、というより、ほっとした気分だ。あれだけひどい政権が選挙で負けることさえなく暴走しつづけていたら、と思うと背筋がぞっとする。 しかし、別に状況が好転したわけではない。選んだ人たちは、2005年総選挙のときと、ほとんど何も変わっていない。投票したときの頭にあったのは、年金記録管理の杜撰さであり、政治活動資金の領収書のことである。法で道徳を定義

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    NOV1975
    NOV1975 2008/02/04
    候補だしの時点で破綻している気が。
  • 混合診療を解禁してはならない、ショートコメント - モジモジ君のブログ。みたいな。

    承前。 まだ、ゆれてる人がいるみたいだから、ごくごく短いコメント。 混合診療解禁→混合診療部分をカバーする民間保険会社登場→混合診療部分の保険診療化に抵抗。 つまり、混合診療を解禁するとは、「保険診療化に恒常的に反対する強力な政治勢力を医療業界に招き入れること」を意味する。 これは、某宮内の個人的な性格の問題ではない(つまり、「経済黒幕的な話」ではない)。公共選択理論的必然*1。 その防波堤になっているのが厚生労働省であるが、それは許認可権限が省益に直結するからであって、別に国民の健康に対する責任を自覚しているからではない(そういう人もいるだろうけど、それだけではない)。混合診療に反対する勢力は、なんとも心細い限りだ。騙されちゃいけん。 *1:公共選択理論とは、政治過程をミクロ経済学と同じ合理的選択の枠組みで分析した議論。合理的選択の枠組みが妥当かどうかは、ここでは関係ない。なぜなら、「混

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    NOV1975
    NOV1975 2007/11/23
    →の部分が必然であるというのはちょっと飛躍してないかなあ。あと、混合診療をカバーする保険ってアメリカみたいに金持ちしか入れないパターンになるだろうけど、国民皆保険の枠組みまで崩さないと利益でない気も。
  • モジモジ君の日記。みたいな。 - 「対案を出せ」論法について

    何かについて批判的なことを言うと、すぐさま「だったら、どうするんだ、対案を出せ」などと恫喝される。これは不当だ。しかし、私たちは、ある瞬間を空白にしておくことはできないのであり、そこに何かがなければならないなら、やはり対案は必要なのである。とすれば、先の不当さは何に由来するのか。ここにあるズレをきちんと見ておかなければならない。*1 「対案を出せ」論法批判 批判は、あくまでも問題の所在を示す。その解決が可能かどうかは分からない。大抵、示せない。しかし、それが問題であるならば、明らかに問題なのだ。たとえば、必ずしも死ななければならない理由がないのに、人が死ななければならなくなっているとき、それは問題だ。そのような状況は、「あってはならない」こととして認識されなければならない。そのようなことが「現実に起こらない」ために、何かをしなければならない。私たちは現にある現実を、そのどこかを、変更しなけ

    モジモジ君の日記。みたいな。 - 「対案を出せ」論法について
    NOV1975
    NOV1975 2007/09/23
    具体案を詰めてる時なんかはともかく、そうじゃない時はねえ。でも対案がないと議論が止まってしまうことはあるかも。状況次第かな
  • 不毛さについて - モジモジ君のブログ。みたいな。

    ある種の議論を「不毛だ」とか、「ダメな議論」だとか、言いたがる人は多い。「そのやり取りは失敗だ」とか、ね。もちろん、やり取りをするからには、目標を定めるし、その目標に照らして、そのやり取りは失敗だった、ということは言える。というより、そういうことは考えておくべきだ。たとえば、学生に授業で話をするならば、何を理解させたいかを整理し、それがどのくらい理解されたかということを評価し、その基準に照らして成功だったか失敗だったかは、その都度反省された方がいい。そんな風に周到に準備されないイレギュラーなやり取りにおいても、相手を説得するとか、少しでも歩み寄るとか、一致点を一つでも見出すとか、そういう目標や基準はどこかで考えられるべきだし、その上での反省はあっていいし、あるべきだ。 しかし、そういう目標をどこかに固定したわけではないところでなされる「不毛だ」という断罪は、便宜的に定められた目標を「すべて

    不毛さについて - モジモジ君のブログ。みたいな。
    NOV1975
    NOV1975 2007/09/10
    不毛だって言われるのは平気だけど、無意味だって言われるのは嫌だな。そんな感じかな。
  • aozora21氏へ - モジモジ君のブログ。みたいな。

    http://d.hatena.ne.jp/aozora21/20070624/1182687859 前半については、こちらの書いた意図についていろいろと誤解されていることもあるけれど、それぞれのところで結論として述べられていることには特に反対しないので、特に訂正しない。最後の「このお気持ちは」以降については、僕とはハッキリと考え方が違うので、その点に触れておく。*1 踏み越えない一線があるのはお互い様 でも、私はあのような罵倒表現はしないしあのような揶揄の仕方はしないのです。全く同じことをしているのに批判しているのなら矛盾ですが、違う表現をしているのはそれなりに理由があり、気をつけていることでもあるのです。 第一。aozora21さんがつけたブクマ・コメントは、chazuke氏に対する罵倒であると、僕は思う。人が何かを言うなら、それがどれほど馬鹿げた言葉であろうとも、それはその人なりの必

    aozora21氏へ - モジモジ君のブログ。みたいな。
    NOV1975
    NOV1975 2007/06/29
    どうもその応答ってのにいくらかの疑問があるんだけれども、なんだかよくわからないので言及できない
  • Mr_Rancelot氏について - モジモジ君のブログ。みたいな。

    Mr_Rancelot氏との最近のやり取りについて、彼の応答がまったく意味不明なので(面倒だが&簡単にだが)一通りやり取りの周辺を整理してみた。もう、ホントにくだらないので、経緯を知らない人は無視してください。 発端 http://d.hatena.ne.jp/chazuke/20070618 に対して、僕が次のブクマコメントを残した。 いろいろと同感。普段だいたい通読してるからわざわざブクマしてなかったけど、ほとんどの全部の記事にブクマしたい気持ちをこめてここにブクマ。 chazuke氏の記事については、早とちりと思われる誤解もあるけれども(例のekken氏のブクマへの誤解など)、書かれている内容の中には共感できることも多い。だから「いろいろと」同感。他の記事についても、異論があったとしても一読した上で一服考えさせられるようなことは多い。だから「全部の」記事にブクマしたい、とも述べた。普

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    NOV1975
    NOV1975 2007/06/23
    噛み合ってないけど頓珍漢という話でもなく、それこそ考え方の違いでしかないような気がするけれど。