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ブックマーク / www.h-yamaguchi.net (29)

  • 暴論:デマの「根絶」をめざしてはいけない7つの理由 - H-Yamaguchi.net

    このウェブサイトは山口 浩の個人的な考えを掲載したものであり、山口が所属ないし関係する機関、組織、グループ等の意見を反映したものではない。サイトは投資の勧誘ないし銘柄の推奨を目的とするものではなく、サイトに掲載された情報(リンク先ないしトラックバック先の情報を含む)をもとにして投資その他の活動を行い、その結果損失をこうむったとしても、山口は責任を負わない。サイトの記載内容は、予告なく追記、変更ないし削除することがある。サイトに寄せられたコメントおよびトラックバックは、いったん保留した上で公開の可否を判断する。判断の基準は公開しない。いったん公開した後でも、一存によりなんらの説明なく削除し、当該IPを投稿禁止に指定することがある。 このworkは、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下でライセンスされています(帰属 - 非営利 - 派生禁止 2.1 日)。 震災以降いろいろなデマ

    暴論:デマの「根絶」をめざしてはいけない7つの理由 - H-Yamaguchi.net
    Parsley
    Parsley 2011/04/20
    「デマは不安のあらわれ」というのに特に同意。デマに踊らされるひとも被害者。/ただ、デマの発生源や広がっていく過程などは、チェックする必要性はあるかと。
  • 「優秀な人材」と「優秀な企業」 - H-Yamaguchi.net

    **************************************************************************** 経済産業省の補助をもとに「中小企業採用力強化事業」を手掛ける 日商工会議所から、(株)リクルートが委託を受け運営している ドリームマッチプロジェクトとのタイアップ記事です。 **************************************************************************** 現職に就く前、20年ほどを会社員として過ごした。自分自身が就職活動をしたのはバブルの最初期にあたる。だいぶ前だし、当時の就職活動は今とは比較にならないほど楽だったので、就活生としての自分の経験は、今の人たちの参考にはほとんどならないだろう。ただ、その後OBリクルーターとして、あるいは一次、二次面接者として、応募学生

    「優秀な人材」と「優秀な企業」 - H-Yamaguchi.net
    Parsley
    Parsley 2010/12/16
    「優秀な人材」を求める企業と「優秀な企業」を求める学生は似ている、と。なるほど。
  • 「ネットの力、みんなのチカラ」プロジェクトの実施について - H-Yamaguchi.net

    いまお世話になっているGLOCOMでこんなことをやろうとしているのでこちらでも告知。GLOCOMからの正式な告知はこちら。一応ネット中継も予定しているが、会場においでいただける方はぜひ。「続き」以下に詳細と、申し込みフォームへのリンクがある。 講演会シリーズ「ネットの力、みんなのチカラ」プロジェクト 於:国際大学GLOCOM 講師とスケジュール 10/26(火) 18:00~19:30 山口浩(駒澤大学) 「趣旨説明・イントロダクション~プロとアマ、営利と非営利の新しい関係」 10/27(水) 18:00~19:30 楠正憲(マイクロソフト) 「ソーシャルメディア時代の政策渉外活動」 10/28(木) 18:00~19:30 藤代裕之(ジャーナリスト) 「ソーシャルジャーナリズムの可能性。私たちに何ができるのか」 11/04(木) 18:00~19:30 津田大介(ジャーナリスト・MIAU

    「ネットの力、みんなのチカラ」プロジェクトの実施について - H-Yamaguchi.net
    Parsley
    Parsley 2010/10/21
    えー来週忙しいのに、ぜんぶ気になる~!
  • なぜ「紙か電子か」なんだろうか - H-Yamaguchi.net

    電子書籍に関する話題が盛り上がっている。アマゾンのKindleやアップルのiPadに遅れじと、国内各社も相次いで端末を発売するとぶちあげたり、事業参入(とか再参入とか)を発表したり。とはいえ業界人の皆さんの中には、編集者の役割はどうなる、街の書店はどうなる、みたいに戦々恐々だったりするようにみえる。紙のは滅ぶのか、いいや紙には電子書籍にないよさが、文化を守るのだ、とか鼻息荒く主張する方もたくさんいて、賑やかといえば賑やか。 まあここまでは枕。個人的に違和感が、っていう話を以下ひとくさり。 違和感の理由はいろいろあるにはあるが、つきつめると、ユーザーの姿があんまり見えてこないように感じられるからじゃないかと思う。もちろんこれはある意味それほど不思議でもなくて、メディアで話題に上るKindleiPadも、現時点では日語のが出回っているわけではないし、国内メーカーの新端末もまだ発売されて

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  • にもかかわらず「ネット世論」に注目すべき3つの理由 - H-Yamaguchi.net

    2010年9月17日付の朝日新聞の「耕論」欄が「ネットと民意」という特集をしていて、人事コンサルタントの城繁幸さん、東京大学特任准教授の菅原琢さん、評論家の宇野常寛さんが意見を書かれていた。ちょうどSYNODOS Journalに書いた「世論調査をめぐる3つの「幻想」」という文章が公開された直後だったのだが、そういえばネット世論そのものについては書かなかったなあと思ったので、こちらで少しだけ書いてみる。最近は「ネット世論だめじゃん」みたいな議論が多いので、あえてというか何というか、「でもやっぱり注目はしとくべきなんじゃないか」という方向で。例によって「3つある原則」にしたがい3点で。 ちなみに、以前にネット世論について何書いたっけと思って自分でぐぐったらこんなことを書いてるのよろしければご参照。一応、おおまかにはこれらと矛盾してないつもりだが、矛盾してたらご容赦。 「ボットはネット世論の夢

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  • ネット選挙運動の「事実上」 - H-Yamaguchi.net

    期待されたネット選挙運動解禁はいろいろあって成立しなかったわけだが、ここ数回の国勢選挙において、ネットが一定の役割を果たしてきていることは否定できまい。実際、今回もいろいろなことが行われている。何が合法で何がだめなのかについては、最終的には裁判になってみないとわからない部分があったりするので確たることはいえないのだが、いろいろな人がいろいろなことをやってる中で、これは割と平気っぽいのかなと思われるようなものがいくつかあるようなので、もちろん保証はまったくないが、メモしておこうと思う。 以下、いくつか類型を挙げて、例になるかとおぼしきものをつけてみた。マスメディアの場合は一応法的に許されてる部分があるので、ここでは取り扱わない。Togetterによるまとめがブログ貼り付けに便利なので、まあ今回はツイッター中心ということで。一応、自分のTLやハッシュタグでの検索でひっかかったものをピックアップ

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  • もうそろそろ「ネット文化」みたいな区分けはやめてもいいんじゃないか - H-Yamaguchi.net

    この記事の後半にこんなくだりがある。 ネットを駆使し、若者票の取り込みをねらう議員ら。しかし、ネットの気分はそう簡単に動かせないようだ。ネット文化に詳しい武蔵大学社会学部助教、稲増一憲(29)は言う。 「ネットの双方向性を生かし、候補と有権者が政策論議を交わすなどの使い方が理想だが、残念ながら、現在はそこまでネット文化は熟成していない」 普天間問題でもネットでは政策論議より、鳩山の「ルーピー」ぶりに関心が集まった。ほかにも感情論やからかい半分の書き込みが横行し、思わぬ結論に至る例は少なくない。 国家戦略担当相の荒井聡(64)は政治団体でキャミソールの領収書が見つかり、ネット上で「キャミソール荒井」と呼ばれるように。社民党党首の福島瑞穂(54)は民主、国民新との連立時、合意文書の署名が丸文字だったため「みずほたん、かわいすぎ」とネットで騒がれた。 来の政治とはかけ離れたからかいや嘲(ちよう

    もうそろそろ「ネット文化」みたいな区分けはやめてもいいんじゃないか - H-Yamaguchi.net
    Parsley
    Parsley 2010/06/23
    まったくもって同意。
  • 皆さん「ダダ漏れ」についてちょっと思い違いをしてはいないか? - H-Yamaguchi.net

    「ダダ漏れ」という言葉があちこちで見られるようになった。いうまでもなく、「ケツダンポトフ」の「そらの」さんの活躍によるものだ。事業仕分けやウェブ学会など、名だたるイベントに乗り込んで起きていることをノーカットで中継するスタイルは、マスメディアによる編集された情報に慣れた目には新鮮に映る。「あれはジャーナリズムじゃない」という批判も、もはや無視できない影響力を持っていることの裏返しだ。 とはいえ、もちろん全員とはいわないが、どうも世間の少なからぬ人々の間に、「ダダ漏れ」に関連してある種の誤解があるように思われるのでひとことだけ。ちょっと釣りっぽいタイトルだが、実際若干挑発的でもあり、でも一応割とまじめで、かつ前向きのつもりだったりもする。ちょっと長文。 知ってる人は多いだろうが、そもそも「ダダ漏れ」とは何か?たとえば地域情報サイト「品川経済新聞」の記事「大井町のすし店が「ツイッター割引」-「

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  • 教育機関として生き残るという方法はないだろうか - H-Yamaguchi.net

    マスメディアのビジネスモデルが成り立ちにくくなってることをもってジャーナリズムの危機と唱えてる人が多くいる。いいたいことはもちろんわかるんだが、ジャーナリズムはマスメディアでしか成り立たないのかというある意味質的な問いも一方であるわけで。そういうわけで、じゃあどんなモデルが考えられるのか、というあたりはいろいろな人がいろいろ提唱していらっしゃって参考になる。ならば私も1つ案を出してみよう、という思いつき。といってもおおざっぱな、ちょっとした思考実験程度の話なので、そこんとこよろしく。 ビジネスとして成り立たせたければ、成り立つようなしくみが必要なのは当然。広告収入にせよ販売収入にせよ、要するに収益の減少によって現在のコスト構造を大幅に変えなければならなくなるのではないかという危惧があると。つまり、今のように多数の高給のプロフェッショナルを雇い続けることは難しいのではないかと。 対策はいろ

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  • 新党結成をめざす皆さんに党名のご提案を10ほど - H-Yamaguchi.net

    やや出遅れ気味だが賞味期限切れとも思えないので書いとく。「みんなの党」結成はまさに衝撃だった。いや政治的な意味合いとかもいろいろあるんだろうが、なんといってもこの党名だ。党名というと主義主張を党名につけるのが「常道」かと思っていたところに、この党は「みんな」ときた。結党宣言を見ると、 我々は、特定の業界や労働組合に依存することなく、一人ひとりの国民に根ざした政党、「みんなの党」を結成することとした。この、しがらみのない立場から国民位の政治、改革を断行し、真の「国民政党」たらんと決意している。 とあって、これ自体はまあわかる。とはいえ、ひらがなでしかも「みんな」という柔らかいことばを使ったことは実に新鮮だ。親しみやすいし、呼びやすい。しかし、この党名でさらに注目すべきは「の」だろう。ええと文法はよく覚えていないのだが、「の」は助詞、にあたるのだろうか。助詞の入った党名というのは、寡聞にして

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  • 選挙公示後のブログ更新についてお役所に聞いてたらい回しにされた件 - H-Yamaguchi.net

    先日、twitterでのつぶやきが選挙運動にあたるかどうか、みたいな話題で一部が盛り上がっていたが、twitterもウェブサービスの1つなわけで、特殊な扱いになるわけがない。とはいえ、そもそも何がいけないんだっけ?というあたりを確かめたかったので、ちょっと聞いてみたら、見事にたらい回しにされたうえにうやむやにされた。ま、こうなるだろうとわかった上でのことなんだが、見事な官僚的対応が面白かったので書いておく。 もちろんこれは個人的に照会して個人的に受けた回答を自分側の記憶をもとに再現したものなので、これが絶対に正しいとか主張するものではない。これを信じて何かやって摘発されても私は関知しないので念のため。関心のある方は自分で聞いてみるといい。たくさんの人がいっぺんに電話してきたら大変だろうけどねえ。 Twitterと選挙について、民主党の逢坂誠二前衆議院議員が総務省に聞いた結果というのをブログ

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    Parsley
    Parsley 2009/08/17
    山口先生が電凸。
  • 私がバブル崩壊から学んだこと - H-Yamaguchi.net

    あちこちで「不況対策に日の教訓を」みたいな話があるんだが、「日の教訓」が何かについて、必ずしも社会的合意があるようには見受けられない。極論するとこっち方向とこっち方向があるように思うが、どちらかというと今はどうも後者のほうが「優勢」なんだろうか(参考)。もちろん個人的な意見はあるんだが、専門外なのであまり自信はないうえに、特にネット界隈で繰り広げられてるこの分野の口汚い舌戦に参加する気もないので、ここでは元企業人としての経験と実感を書いてみることにする。当時を知る人なら、共感いただける方が少なからずいるのではないかと思う。 私が元職場である保険会社に就職したのは1986年だった。折りしも「バブル」と後に呼ばれることになる資産価格の上昇が都内で始まろうとしていたころだが、まだ世間は「円高不況」で騒いでいたかと思う。私が配属されたのは不動産管理の部門。いわばバブルの膨張をかぶりつきで見られ

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  • 「新聞は生き残れるか」みたいなのもうやめないか - H-Yamaguchi.net

    ごく手短に。朝日新聞に、有識者100人に意見を聞いて集計する「100アンサーズ」というコーナーがあったのだが、それが2009年3月22日掲載分をもって終わった。最終回のテーマは「新聞の未来」。「現在の新聞は生き残れると思いますか。」「生き残るためには何が必要だと思いますか。」という2つの質問をしてる。回答にある内容は、まあだいたい予想の範囲内。「生き残れるか」に対して「生き残れる」62人、「生き残れない」8人、「その他」27人、「無回答」3人。 こういうのってほんとに「なにをいまさら」だと思うんだが、もうそろそろこの段階は終わりにして、次の段階に進んでいったほうがいいんじゃないかな。 このシリーズ、多くの人に意見を聞くという意味で集合知ものではあるが、いわゆる「有識者」の皆さんに聞いてるのが新聞らしい点といえようか。 とはいえ、ただ聞くだけではなく集約して使おうというときに注意しなければな

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  • なぜ「リアリティ」に餓えるのか - H-Yamaguchi.net

    2008年12月31日付朝日新聞に、社会学者の見田宗介・東大名誉教授のエッセイが出ていた。「リアリティーに餓える人々」というタイトル。2008年6月に秋葉原で起きた無差別殺傷事件について、「この事件が、日社会のどのような変化を表しているのだろうか」というのがテーマ。まあ年末恒例の世相読み解きものというわけだ。読んでいて「ん?」とひっかかっるものがあったのだが、いろいろ考えてみると触発されるものがあって面白かった。たぶん素人考えなんだろうけど。 このエッセイでは2008年の秋葉原の事件と、1968年に起きた連続射殺事件を並べて、時代の変化を説明する。同じように犯人が若者で、犯行が無差別で、動機がわかりにくく、その背景にアイデンティティの問題があることでも共通。でも決定的にちがうことが2つ。ひとつは「未来」。1968年の事件は「明るい未来」を信じられた時代であったのに対し、2008年は「明る

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  • 立場ちがえば意見もちがう、らしい話 - H-Yamaguchi.net

    小ネタ。猪瀬直樹という人については、個人的に、なんだかとても鼻息の荒い人(レトリックね。念のため)という印象がある。理屈が通ってるんだか通ってないんだかよくわからないけど納得させられてしまう、という感じの。 そういうわけで、日経BPのサイトに連載してる「猪瀬直樹の「眼からウロコ」」の第21回「参議院の議員宿舎~あらためて民主党にははっきりしていただきたい」でも、また鼻息荒く怒っている。で、それを読んでて、立場がちがえば意見もちがうんだなぁ、と思ったのでその話を手短に。 そもそも議員宿舎建替問題そのものについての私の意見は、ちょっと前に書いたことがあるので、繰り返さない。「立場がちがえば」というのは猪瀬氏のことではなくて、民主党のこと。この文章の中で猪瀬氏は、もともと参議院議員宿舎建替問題について反対の立場であった民主党がなぜ今になって態度を変えるのか、と批判している。曰く、2007年6月2

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  • 「識者」のコメントなんてそんなもんだ - H-Yamaguchi.net

    事件を報じた2007年12月15日朝日新聞の朝刊に、「識者」のコメントが載っている。このうち、帝塚山学院大学人間文化学部教授の小田晋氏(犯罪精神医学)のコメントを全文引用する。短いし、誤解を招くといけないので全文。 まさに「ゲーム犯罪」 小田晋・手塚山学院大学人間文化学部教授(犯罪精神医学)の話 スポーツクラブに侵入した犯人は、狩猟をする感覚で銃撃したように感じる。銃は自分の力強さを誇示するものであり、無防備な水着姿の子供や大人に向けて乱射することで、自らの優越感と征服欲を満たそうとしたとも受け取れる。犯人と被害者はまったく関係がない可能性が高く、典型的な無差別殺人だ。迷彩服を着ていたとの情報もあるが、米国では大人が迷彩服姿で「戦争ごっこ」を楽しむ遊びが流行している。今回の事件は、まさに「ゲーム犯罪」と言えるかもしれない。 たぶん、言えない。同じ朝日新聞の同日の夕刊にはこう書いてある(人の

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  • マスコミと格差に関する質問を受けた話 - H-Yamaguchi.net

    アメリカでジャーナリズムを研究している大学院生の方から、メールでコメントを求められた。なんでも、「日の格差社会に対するメディアの姿勢を課題にメディア論」の論文を書いているのだそうで、面識はないのだが、私のブログを見て意見を聞きたいとのこと。いわゆるマスメディア論だったら他に適任者がいくらもいるだろうと思うのだが、まあきっと他の人にも聞いてるだろうし、聞かれた以上なんかしら返しときたいし、というわけで、少しだけ考えてみることにした。 メールでまず返すのがスジかとは思うが、せっかくなので、いきなりブログで書いてみる。「ブログで書くことを期待」みたいに書いてあったので、まあいきなりブログでも文句はいわないだろうと思う。このテーマだと、たぶん、ご意見のある方がたくさんいるのではないかと思うので、コメント欄でもトラックバックでも寄せていただきたい。大学院生の方にも参考になるのではないかと思う。 質

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  • H-Yamaguchi.net: ボットはネット世論の夢を見るか?

    先日出た「検証:ポピュリズムか集合知か ネット選挙の行く末」というイベントの際に、「ネット世論オプティマイゼーション」ということばを使ったらなんだか一部で受けたらしい(参照:ガ島通信)。あの場で話を聞きながら思いついたことばだが、それまでもやもやしてたのがあのときふっとことばになった感じがする。 そもそも、ちょっと前からネット世論に関して気になることがあった。私よりずっと前から気づいてた人も多いと思うけど。 前からブログをやってる人は皆感じていると思うが、トラックバックという機能の「価値」は、最近大きく変化している。電子メールがスパムメールの氾濫で通信手段としての価値を低下させたのと同じ理由で、スパムトラックバックがとんでもなく増えている。私の場合でいえば、どう低く見てもトラックバックの9割以上がスパムだ。 特に最近は、例の「在宅ビジネス」のための自動化ツールがどんどん出てきて、いくつもい

    H-Yamaguchi.net: ボットはネット世論の夢を見るか?
  • FACTAトークイベント「政権交代は起きるか」に出てみた - H-Yamaguchi.net

  • 「ウィキノミクス:マスコラボレーションによる開発・生産の世紀へ」 - H-Yamaguchi.net

    実はこの、原著しか持っていないので、訳書は読んでいない。なのに訳書のほうをとりあげているのは、2007年6月24日付の朝日新聞に出ていた、柄谷行人氏の書評が面白かったからだ。といっても、書評のほとんどはごくふつうの、の内容紹介。ただ、最後の段落に、なんだかいろいろ思い入れみたいなものがかいま見えちゃってるのが興味深い。こう書いてる。 著者は、「ウィキノミクス」は資主義において活用される原理であって、社会主義ではないことを幾度も強調する。しかし、われわれはここに、資主義的発展がそれ自体を否定するものを不可避的に生み出す、という「弁証法」の例を見出すことができる。 なんつうか、江戸の仇を長崎でというか、敵の敵は味方というか、ふられた相手にまだ未練たっぷりというか、そんな印象。著者にはっきり否定されてもやっぱり、ご執心だった「あっち」方面のあれこれの面影をここに見出したいのだろうか。 い

    「ウィキノミクス:マスコラボレーションによる開発・生産の世紀へ」 - H-Yamaguchi.net