大阪桜宮高校バスケ部の体罰自殺を巡る問題についての内藤朝雄さんらのコメントをまとめました。 ※関連まとめ 【「学校の体質の連続性を断ち切るために入試を中止」という橋下氏の方針は圧倒的に正しい、が危険】― 社会学者・内藤朝雄さんの警告 http://togetter.com/li/440628 【学校が人を怪物にさせる】大津いじめ自殺事件についての内藤朝雄さんのコメント http://togetter.com/li/333849 続きを読む
20〜30代の6割以上が「ゆっくり、のんびりする」の意味で「まったりする」を使い、7割の人が「にやける」(なよなよしている)の意味を取り違えていたことが20日、文化庁の国語に関する世論調査で分かった。 言葉遣いに気を使っている人は、10〜50代の各年代で8割を超えるなど、過去2回の調査と比べ最多だった。 一方、話し言葉として新語を普段使うか尋ねると、「まったり」や、「しっかり、たくさん」という意味で「がっつり」を使うと答えた人は10代でほぼ半数、20代で6割を超えた。 「中途半端でない」という意味での「半端ない」、「正反対」を表す「真逆」を使う人も10代で6割を超え、10〜30代を中心に新語を使う人の割合が高かった。 一方、「にやける」や「割愛」(惜しいものを手放す)の意味を正しく理解していた人は1割台にとどまり、それぞれ「薄笑いを浮かべる」、「不要なものを捨てる」と間違えている人
意味 にやけるとは、男が女のように色っぽい様子をしたり、なよなよしたりする様子。俗に、ニヤニヤする。薄笑いを浮かべる。 語源・由来 にやけるは「若気(にやけ)」を動詞化した言葉で、漢字では「若気る」と書く。 「若気」とは、鎌倉・室町時代に男色を売る若衆を呼んだ言葉で、「男色を売る」の意味から「尻(特に肛門)」も意味するようになった語である。 それが動詞化され、男が色っぽい様子をすることを「にやける」と言うようになった。 「若気」を古くは「にゃけ」と発音し、「にやける」は明治頃まで「にゃける」と言った。 明治時代以降、「にゃける」は「ニヤニヤする」という意味でも使われ始めていることから、声を出さず薄笑いを浮かべる様子を表した「ニヤニヤ」や「にやつく」などとの類推から、「にゃける」が「にやける」になったと思われる。 現代では多くの人が「にやける」を「薄笑いを浮かべる」の意味で用いるようになった
自民党の総裁選に立候補した石原伸晃議員の、報道ステーション出演時の発言が問題視されてるとのこと。当該発言を文字起こしされてる方もいらっしゃるようで、ありがたいことです。 私自身、安楽死や尊厳死の議論については不勉強で、それ自体の是非について論じることはできないですけど、これらを推進する立場って、個人の権利としてそれらが選択できるべきだという主張なんじゃないかと推測するところ。そういう立場からすれば、安楽死や尊厳死が制度的に確立した結果として医療費等の財政支出が減るとしても、それはあくまでも副次的なものにすぎず、それを目的に含めたりはしていないはず。それどころか、むしろ反対に財政支出が増えるような結果になろうとも、安楽死や尊厳死を制度として確立すべきだ、という推進論さえありえるのではないかと。いずれにせよ、このテーマにおける財政支出の増減はあくまで政策の実現性・継続性の問題に留まり、その政策
@ublftbo @kamezonia 思い切り別の所への反応ですが(^^; 「偽相関」のとこで、「当然ながら両者には相関関係も因果関係もない。」ってありますけど、これって多分、「相関関係はあるが因果関係はない」ですよね? 2010-08-18 19:58:16 亀@渋研X(リハビリ中) @kamezonia ありゃ。そうなの? 勉強し直します。RT @ublftbo: @kamezonia 思い切り別の所への反応ですが(^^; 「偽相関」のとこで、「当然ながら両者には相関関係も因果関係もない。」ってありますけど、これって多分、「相関関係はあるが因果関係はない」ですよね? 2010-08-18 19:59:20
わたしは「アメリカではこうで日本はそうではない。日本は異常だ」「ヨーロッパはこうなのに日本はおかしい」「おフランスはこんなにすごい」とかそういう考え方は基本的に大っ嫌いな人間であります。生理的に受け付けない。 でも、そうではなくて国際的に客観的に違いを見るのは有意義だと思っております。 なんの話をしたいかというと「理系」と「文系」のはなし。この辺りを読ませていただいたので。 http://d.hatena.ne.jp/dlit/20110323/1300908667 「理系と文系をわけるのはおかしい」っていう話は基本的にはアメリカ的視点ではないかと僕は感じるんですよね。あの国ないよね。別にこのご紹介した記事が、アメリカかぶれであると言いたいわけではありませんよ、念のため。 ここであたくしおフランス在住でございますので披露いたしましょう。フランスには三つあるのでございます。「理系」「文系」そ
d.hatena.ne.jp 上記の記事タイトルのような言い方も,「法律は《技巧》の上に成り立っているので」,「法律に不慣れな人は,下手に法律を持ち出して議論しない方がいい。」ということを例証するためのキャッチーなコピーとしては間違っていないのであろう。 しかし,これが単なるトリビアを超えて,一般的な意味で流通してしまうのも困るので,念のため注釈を加えておくと,法解釈学の正統によれば,刑法には「人を殺してはいけない。」と書かれていることになっている。 刑法の殺人罪の規定(刑199条)は,「人を殺してはならない」という,殺人を禁止する規範を内容とするものである。刑法は,この規範により,殺人行為がやってはならない行為であるとする(法の立場からの)評価を明らかにし,国民(すなわち規範の名宛人)に対し殺人行為を行わないよう呼びかけている。もっとも,刑法199条に「人を殺してはならない」とはっきり書
最近、「東大話法」という言葉があることを知りました。 Wikipediaによると、 東大の学生・教員・卒業生たちが往々にして使う「欺瞞的で傍観者的」な話法のこと。東大教授の安冨歩が、著書『原発危機と「東大話法」』(2012年1月出版)で提唱した。 だそうです。 で、その詳細はというと、 • 規則1 自分の信念ではなく、自分の立場に合わせた思考を採用する。 • 規則2 自分の立場の都合のよいように相手の話を解釈する。 • 規則3 都合の悪いことは無視し、都合のよいことだけ返事をする。 • 規則4 都合のよいことがない場合には、関係のない話をしてお茶を濁す。 • 規則5 どんなにいい加減でつじつまの合わないことでも自信満々で話す。 • 規則6 自分の問題を隠すために、同種の問題を持つ人を、力いっぱい批判する。 • 規則7 その場で自分が立派な人だと思われることを言う。 • 規則8 自分を傍観者
1 私はしばしば陰謀論の人だと評される。 陰謀論というのは、ヒトはそれ程バカ揃いなわけがない、という前提で考えて社会の不条理に解答を求めようとするとき生まれる。 いや、人間はバカ揃いであり愚か者ばっかりなのだ、という前提で理屈が通るときには陰謀論を唱えるべきではない、とされる。 私は日本人の知能程度は底抜けのバカ揃いではないはずだ、と、長く思っていたんだが、知能程度がパーなわけでなくとも底抜けのバカな行為をしつっこく行うのは、日本人の「民族性」に由来するかも、と、思いを変えた。 「民族性」とか「国民文化」とかいう言葉もよくよくのことがないと使っちゃいけない言葉なのだが。 「日本人は、『定型文』をバカの証明だとは思わず、むしろ賢さの証明だと錯覚する民族性がある」 と気づいた。 「定型文」については内田樹の以下リンク先参照されたし。 http://blog.tatsuru.com/2010/0
経済学の「合成の誤謬」などで知られる「誤謬」(ごびゅう)。 日常生活や話し言葉ではほとんど使わないこの「誤謬」(ごびゅう)だが、ウィキペディアの解説が実にすばらしい。 ウィキペディア - 誤謬 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%A4%E8%AC%AC <誤謬(ごびゅう、英: Fallacy)とは、論証の過程に論理的または形式的な明らかな瑕疵があり、その論証が全体として妥当でないこと。論証において、誤謬には「形式的」なものと「非形式的」なものがある>。 面白いのは、このページの「非形式的誤謬」のところにある例だ。「非形式的誤謬」とは、大雑把にいえば自然言語(日本語や英語などの、いわゆる言語)による誤謬のこと。ここには、そのいろいろなパターンが集められている。以下、いくつか抜粋。 ・例外の撲滅 - 例外を無視した一般化を元に論旨を展開すること。「ナイフで人
Google翻訳が面白すぎる件 市販ソフトである「コリャ英和!…」を中心に翻訳性能を分析しようと思ってたのですが、Google翻訳が面白すぎるので少し脱線です。前のエントリ(http://d.hatena.ne.jp/Ozy/20080915#p2)をご覧頂いただけでると思いますが、進めていけばいくほどかわいそうになってきたので、もうちょっと文章が複雑になったところで評価対象から外そうと思います(;´д`) Mary has a guitar. コリャ英和 2009 メアリーはギターを持っています。 Google メアリーには、ギターです。 Yahoo メアリーは、ギターを持っています。 Excite メアリはギターを持っています。 ですよねー。 We played baseball. コリャ英和 2009 我々は野球をしました。 Google 私たちの野球です。 Yahoo 我々は、野球
言語の「起源と進化」を探る研究:「人間は言語の宿主にすぎない」 2008年8月 7日 サイエンス・テクノロジー コメント: トラックバック (0) Brandon Keim Photo: Alpha 遺伝子のようなふるまいを見せるミームや、有機体のように進化する文化に関する議論はにぎやかだ。[ミームは動物行動学者リチャード・ドーキンス氏が唱えた概念で、「文化の複製遺伝子」。文化内の「情報」が非遺伝的に承継され「自然選択」される様子を、ダーウィン進化論を基盤とした遺伝子の進化の過程になぞらえたとき、遺伝子に相当する仮想の主体] しかし今のところ、生物学的なものではない進化に関する学問的な理論は存在していない。だが、こうした状況も、変化する可能性が出てきた。 7月28日(米国時間)付の『米国科学アカデミー紀要』(PNAS)に掲載された研究論文の中で、言語学者たちは、実験環境で人工的に作成された
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