ミクロ経済学の定番、無差別曲線。経済学を学ぶ人がまずお目にかかる曲線なのに、一部の学者からは「役に立たないミクロ経済学の象徴」なんて不名誉なレッテルも頂戴している。肩身の狭いこの曲線に「名誉挽回せよ」と言わんばかりに 「無差別曲線を有益にするには、どのような解釈が必要か」 とお助け船の課題が、こともあろうに経済学が大の苦手な私に振られてしまった。 とはいえ放棄することもできず、まず定義。無差別曲線とは効用水準を一定とした財の消費量の組み合わせの集合である(図1)。そこで自分の興味の対象を軸にして取り得る行動を無差別曲線上に表せる、とする。無差別曲線を構成する点は、自分の主観的満足度(utility)を表すものなのだから、自分で描いた無差別曲線上の点を選択するかぎり、どんな組み合わせであれ人々はハッピー(happy!)だ、と考えられる。が、そもそも無差別曲線の選択を誤るとどうなるか。 昨今、