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ブックマーク / mzsms.hatenadiary.org (7)

  • 疑似科学批判・批判の一部撤回と謝罪 - mzsmsの雑記

    まず、二つ撤回し、それらを含めて三つお詫びします。 一つ目。レッテルの帰属を争っているという主張は撤回しませんが、それを「セクショナリズム」と評した、その「セクショナリズム」という表現は撤回します。正直、もちろん揶揄ですから否定的なニュアンスがあることは分かった上で使ったものの、それがその争いは正当性のないものだとか、間違ったものだとかというまでの判断を込めたつもりはなかったのですが、そういった判断を読み取る人が多いということは、結果的にそこまでの判断・評価を込めたことになり、私の言葉の表現が間違っていたのでしょう。 ですから、「セクショナリズム」という表現は撤回し、これが正当性のないものだとか、間違ったものだとかといった強い非難の意味を込めることになってしまったことをお詫びします。ただ、これは以前のエントリに打ち消し線を引くと文章があまりに変わってしまうので、ここに撤回するというにとどめ

    疑似科学批判・批判の一部撤回と謝罪 - mzsmsの雑記
    T-3don
    T-3don 2009/04/15
    最近、SSFS氏は実は優秀なニセ科学批判者なのではと思い始めている。結果的に批判偶数組の印象をこの上なく悪くしているし、連動してマイナスイオンがニセ科学である事を強く印象づけているし。
  • 疑似科学批判・批判について - mzsmsの雑記

    まず、「擬似科学批判」への一連のエントリが、疑似科学批判ないしはニセ科学批判に対する非難を、十分な配慮なく書いたものであったことをお詫びいたします。 まことに、申し訳ありませんでした。 なお、撤回の意思を明確にすることを重視して、エントリに打ち消し線を引かせていただきました。打ち消し線を引いた部分に書いてあった内容について、質問をいただいても結構ですし、撤回した部分について引き続き批判・非難を受けてもやむをえないとは考えています。 お詫びの内容をもう一度アップしますが、取り急ぎ。 (7:30ごろ修正)

    疑似科学批判・批判について - mzsmsの雑記
    T-3don
    T-3don 2009/04/14
    撤回はともかく。謝罪は相手のいる事なので、対象と理由を明記した方が良いかと。個人的には謝罪の必要はないと思いますが/ほっといてくれ、と言う事でしたらTBしちゃってゴメンなさい。一報頂ければ「考慮」します。
  • 疑似科学批判・批判の補足(たぶん最後) - mzsmsの雑記

    次に、すでに書いた点を、もう一度繰り返します。 「臆面もなく、科学のみが真理であり、検証可能な事実のみが事実なのであると主張して、宗教や道徳を罵倒するような疑似科学批判」という立場がありえないという意見が、圧倒的多数であることには、いまだに戸惑っています。 第一に、疑似科学批判をされている方の多くが、そういう立場を取っていないこと、そういう立場に興味もなく、実際に立たないだろうということには同意します。第二に、このような立場が、科学の領分、ないしは科学者としての領分を踏み越えたものであることにも同意します。この二点についていうならば、その意味では、たしかにありえない、ないしは、ほぼありそうにないことです。ブクマコメントなどでこの点についてコメントを下さっている方が、そのことだけをおっしゃっているのであれば、それはご指摘のとおりです。 ただ、ある科学者が科学者としての領分の問題ではなく、その

    疑似科学批判・批判の補足(たぶん最後) - mzsmsの雑記
    T-3don
    T-3don 2009/04/12
    繰り返しですが非科学批判の理路はニセ科学に通用しません。両方やるにしても、手法は異ならざるを得ないでしょうね。/所で。答えが恣意的に選択される、と言う事と、答えがない、の間には大きな隔たりがあるかと。
  • 疑似科学批判・批判のまとめっぽい何か - mzsmsの雑記

    まず、僕が一番初めに書いたエントリは、基的に次の三点で構成されている: ウェブで見かける疑似科学批判がやっていることは「科学」というレッテルの帰属争いだとして、それはセクショナリズムだと評した。 論理実証主義者に比べて、その志は低いと評した。 「臆面もなく、科学のみが真理であり、検証可能な事実のみが事実なのであると主張して、宗教や道徳を罵倒するような疑似科学批判をいちど読んでみたい」という願望を述べた。 1.についてだけど、少なくとも前段、疑似科学批判がやっていることは「科学」というレッテルの帰属争いであるというのは、多くの疑似科学批判者が意識的に選んだことではないの? これが問題になるようには思えない。後段は、私の揶揄的な評価だけど、少なくとも後に続く論理実証主義をふまえた上で、これをセクショナリズムだと評するのが、そんなに奇妙なものとは思えない。 2.についてだけど、そりゃそうでしょ

    疑似科学批判・批判のまとめっぽい何か - mzsmsの雑記
    T-3don
    T-3don 2009/04/11
    恐らく。ニセ科学批判を限定された非科学批判だと勘違いしている、のじゃないかと。実証の価値はニセ科学側も共有していて、だからこそ「装う」んです。つまり、実証の価値を全面に押し出してもニセ科学は撃てない。
  • 疑似科学批判・批判の補足(3) - mzsmsの雑記

    なんか、誤解があるかもしれないので、はっきりと書いておきますが、私はべつに疑似科学批判に価値がないとか、やめろとかは書いていません。 科学を支持し、疑似科学を批判する側には、たんに方法論、「科学の作法」以上の科学へのコミットメントがあるはずです。それは、科学こそが自然を探求するおそらく唯一の信頼できる方法であって、さらに何か信頼できる方法がでてくればそれを取り込むという信頼や自負があるからでしょう。私は、疑似科学の批判者が、そのコミットメントを自覚していないなどとも言っていません。 私は、そのコミットメントをもっとはっきり出したほうが良いのではないかという考えを持って、一連のエントリを書いているのです。

    疑似科学批判・批判の補足(3) - mzsmsの雑記
    T-3don
    T-3don 2009/04/10
    科学の特権性を説明しろ、と言うお話?でもニセ科学批判でやっても意味がないような。/信仰や芸術をわざわざ批判せねばならないどんな理由があるのか。結局はここに落ち着きそう。
  • 疑似科学批判・批判の補足 - mzsmsの雑記

    こういう状況を想像してみてください。 ある疑似科学的な主張が社会に流布し、信じこむ人がいて、効果のない医療方針によって疾病を悪化させる人が大勢でたとか、何か不都合なことが起きた。科学者が「疑似科学だ」と批判したところ、その主張者は「私たちは『科学的だ』と主張しているわけではない。これは非科学的ではあるけども、真理だ」と反駁した。そして、その主張を信じ込む人は減らず、やはり疾病を悪化させる人が減らないなど、不都合なことは継続したままである。 このとき、疑似科学批判は、何ができるのでしょうか? 主張者が非科学的であることを認めたから、それで満足なのでしょうか? もし、そうであるならば、疑似科学批判は社会の人々の不利益についてよりも、「科学」という名称の使い方、「科学」という縄張りについて関心があったのだといわれてもしかたないでしょう。 そうではなく、「彼らは、自ら『非科学的』だといっているが、

    疑似科学批判・批判の補足 - mzsmsの雑記
    T-3don
    T-3don 2009/04/09
    科学の価値、ひいては何故科学を装うのか、その点がお解りになられていないよう。/科学かどうかに関わらず、嘘は嘘と、問題は問題と指摘すればいい。別にニセ科学批判と同時に平行してそれをやったって構わない。
  • 疑似科学批判・批判 - mzsmsの雑記

    僕は、ウェブで見かける疑似科学批判に、不満を持つことが多い。一言でいえば、「科学」というレッテルの帰属を争うだけでは、たんなるセクショナリズムに過ぎない、という不満だ。 少なくとも論理実証主義者は、科学と非科学のセクショナリズムセクト主義のために、検証主義を唱えたのではない。あえて乱暴な言い方をすれば、彼らは、知識と非知識、事実と非事実、命題と非命題を区別する基準として、検証主義を唱えたのだ。だから、彼らにとっては「非科学的な知識」や「非科学的な事実」や「非科学的な命題」というのは一切存在せず、「科学的な知識」「科学的な事実」「科学的な命題」というのは過剰修飾である。彼らにとっては、信仰告白宗教告白も、道徳的主張も、詩も、まったく無意味(「無価値」ということではないが)。 彼らの志の高さを、いまの一般的な疑似科学批判はどれだけ受け継いでいるだろうか。それを受け継がないのに、検証主義を持ち出

    疑似科学批判・批判 - mzsmsの雑記
    T-3don
    T-3don 2009/04/09
    セクショナリズム、かぁ。ニセ科学が、何のメリットがあって科学を装うのか、そこを考えて頂きたい、かな。詩や信仰が科学を装わない(でもやっていける)のは何故か、も。
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