哲学に関するYOWのブックマーク (260)

  • デリダ『歓待について』 その2 - Arisanのノート

    歓待について―パリのゼミナールの記録 作者: ジャックデリダ,Jacques Derrida,広瀬浩司出版社/メーカー: 産業図書発売日: 1999/12メディア: 単行購入: 2人 クリック: 36回この商品を含むブログ (11件) を見る 前回も書いたように、このに収められたデリダの議論で、ぼくがもっとも注目するのは、彼が「歓待」を「欲望」の問題として、家族的な共同体における権力というテーマと重ねて考えている点だ。 「家族的な」という言葉の意味は、後で出てくる「父的でファロス=ロゴス中心主義的な婚姻のモデル」というデリダの表現に重なり、オイディプスとヘーゲルの思想が、とりあえずそれを代表するだろう。それはどこかの地域の歴史や現在の社会のなかというより、われわれの内部にあって今われわれを呪縛している共同性のモデル、ということだろうと思う。 ぼくにはこれは、非常に今日的な問題に思える。

    デリダ『歓待について』 その2 - Arisanのノート
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    YOW 2008/06/07
    >主人が客の到来を欲望し、客を歓待することを欲望する。自己の権力のために。それが、歓待の秘められたもうひとつの本質であり、ヨーロッパの伝統でもある「古典的な歓待」/クロソウスキー小説『歓待の掟』
  • モナリザ+髭−髭=? - short hope

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    YOW 2008/06/05
    L.W.のプラス/クワスの問題について>プラスの正当性とクワスの正当性はまったく等しく両立してしまうかぎり、私が普段行っている計算がクワスである可能性が、常につきまとう。有限回の行為しか不可能だからゆえ
  • 一般人無双S » 算数ってなあに?

    さやかです。最近パンヤにはまってます! 一日少しずつでも遊べるのっていいですよね! これがROとかだと、NEETにならんがごとき勢いで時間を捧げなければいけないのですが・・・。パンヤはさやかみたいなゲームに全てを捧げられない人のためのゲームなんじゃないかなって思います。 ちなみに、ニックネームは昔主催していたROサイトの人の名前と同じです。いまさら蒸し返そうってのじゃないですよ?とろうと思った名前が全滅だったので・・・orz というわけで、もし見かけたら遊んでくださ~い>< 今回は、脈絡も無く算数の話をしてみたいと思います。 どういうべきかー、このサイトに影響されたのです。定義論って大好きなんですよねw プラスとクワス さっき挙げたサイトの白夜さん。 コンピュータのための算数のおさらいをしています。 特に、加算(+)のお話。ここでは、加算の定義を、数直線を使ってあらわしていま

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    YOW 2008/06/05
    ヴィトゲンシュタインの『探求』での「クワスとプラスのパラドクス」について>同じ事柄について語っている筈なのに、別々の事について思い込みで言い合いをしてしまう。<そう、有り体に言えばこういうお話。
  • レヴィナス『全体性と無限』レジュメ

    以下は、レヴィナスの主著『全体性と無限』の勉強会のために作成したレジュメである。用いたテクストは以下のとおり。 E.Levinas, "Totalite et Infini," La Haye: Nijihoff, 1961 レヴィナス著、熊野純彦訳、『全体性と無限』、岩波書店、2006 『全体性と無限』レジュメ 上巻p126〜151 第1部B後半における中心的なテーゼは、無限なる他者との関係はまっすぐに顔を向かい合わせる対面の関係であり、これが全体性への統合に抵抗し、人と人との社会的倫理的な関係の多元性を拓くのだということである。だがp135〜p142では、顔の裸形についての議論と、悲惨を訴える異邦的なる他者の視線に対する贈与が普遍性を創立するのだという主張が挿入されており、異彩を放っている。 p126〜130 レトリックと不正 「レトリックは、正面からではなく斜めから〈他者〉

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    YOW 2008/05/21
    >ことばの贈与こそが、一般性、共通性、普遍性を創設する契機だ。実定的で聖なるものの暴力を振りかざす宗教は、他者を飛び越してしまっており、ことばを欠いている。形而上学は倫理的な関係のうちでいとなまれる。
  • 「啓蒙の運命」共同研究班

    京大人文研共同研究「啓蒙の運命―系譜学の試み」 「啓蒙 Lumieres, Aufklaerung, Enlightenment, illuminismo」という言葉は、一般にまず、十八世紀ヨーロッパの思想的な潮流を指示するために用いられます。その時代と思想潮流の歴史的な再検討は、前世紀を通じて、カッシーラー、アザール、ゲイ、スタロバンスキ―、ヴェントゥーリ、ポーコックらによって試みられ、汎ヨーロッパ的な規模に広がる思想的潮流を織りなす多様性については、今も世界各地で地道な実証的研究が続けられています。日においても、京都大学人文科学研究所は、桑原武夫の指揮下に行なわれた『ルソー研究』以来、樋口謹一の編になる『空間の世紀』まで、フランスを中心とする十八世紀の啓蒙主義を共同研究の対象として繰り返し取り上げてきました。 しかし、「啓蒙」は、単にある特定の地域の、過去の一時代の思想潮流を指示する

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    YOW 2008/05/19
    メンバーに浅田彰の名も。福田歓一がルソーに傾倒してたんだけど、ルソーにはなんかピンとこない。また見ておこ>来年度からの京都大学人文科学研究所の共同研究の研究テーマとして「啓蒙の運命」を選択しました。
  • http://www.sakamura-lab.org/tachibana/first/reports/reports417ts.html

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    YOW 2008/05/10
    >哲学と人生論はどう違うのか:人生論の本質的な間違いは「存在」を出発点とした処にある←生きるべき主体の存在や「存在」の存在すら間違ったものかもしれないという哲学は、全ての信念と決別して真理を探求する。
  • 愛と苦悩の日記: 『波状言論S改』の高橋哲哉批判

    70年代生まれの人々のためのWebサイト think or die の「愛と苦悩の日記」をブログ化 1997/12/13から現在まで、日常生活をテツガクするエッセー集 中国の歌やドラマ関係も。ジェイド・イン(Jade Yin)、alan「懐かしい未来」、『地下鉄の恋』など。 東浩紀著『波状言論S改』を読み終えたが、第三章「再び『自由を考える』(現象学的身体と環境管理動物は自由か)」での、東浩紀、鈴木謙介、社会学者・大澤真幸による鼎談がなかなか面白かった。(敬称略) ひとつは大澤真幸と東浩紀の、宮台真司批判だ。最近の宮台真司が確信犯的に、一つの戦術として「天皇制」などの言葉をもちだす右寄りの言論を展開していることについて、その言論が宮台氏の「あえてやっているのだ」という意図に反して、単なる反動として機能してしまっているのではないかと、強く批判している。 もうひとつは東浩紀の指導教官で

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    YOW 2008/02/22
    >東浩紀は高橋のデリダ解釈について、デリダと言語学者サール論争「有限責任会社ABC」を例に、あまりに文字通り・真面目にとりすぎと批判>高橋が「真面目に」取り組む従軍慰安婦問題はどのように論じるべきか。
  • 文芸空間 東浩紀「想像界と動物的回路」

    ◎「想像界と動物的回路――形式化のデリダ的諸問題」(2000年初出)は、『文学環境論集 東浩紀コレクションL』の「essays」所収 ◎感想 ・ハイデガー、ラカン、デリダをセカイ系的に読解している感じ。デリダ『郵便葉書』『グラマトロジーについて』、ハイデガー『存在と時間』、ラカンを短い文章で簡潔にまとめたお得感あふれる論文 ・東にとっての「動物」概念を理解するためにとても重要である ・この論の文脈でいうと、「動物」は必ずしも否定的な言葉ではない。東の思想全体にとって「動物化」っていいことなの? 「人間」であることはファシズムを招くことなのか? ・デリダがダジャレ魔である理由がよくわかる ・ジジェクのラカン理解が輸入されているのだろうけれども、東のラカン論は正しいの? ・第二期デリダのなした韜晦は、冷戦下でこそ意味をもちえたのではないか? 冷戦終了後に第二期デリダのポストモダン的な身振りを利

    YOW
    YOW 2008/02/22
    デリダのラカン批判>主体の統一性を脱構築(欲動=シニフィアンの自律的運動)しながらも他方で絶対的欠如代理の大シニフィアン「ファルス」の導入<導入はせず空のままで論じてる筈だが。大Sは遡及的幻想として。
  • 2007-12-18

    昼&夕。 「行為の志向性」in 黒田亘『行為と規範』 ウィトゲンシュタインは偉かった 『哲学的文法』isbn:4469110132 における「志向作用」(Intention)の考察: 願望、期待、探求、希望、恐れ、といったような、まだ現実になっていない事態を目指す体験 すなわち志向とその充足(Erfüllung)の際立った対照をもって基性格とする諸体験について彼が得た洞察はこういうものだった。 たとえば私が友人N君の来訪を心待ちにしている場合、この期待を満足させる事実は、N君の来訪というその事実のほかにはない。 期待とその満足、という二つの事実を結び付けているのは「N君の来訪」という同一の記述である。 すなわち 志向作用とその対象の間の関係は記述の同一性という概念的、文法的な性格の関係であって、 これは原因と結果の外的、偶然的な結合関係とは根的に異なる 、という。それまではもっぱら現

    2007-12-18
    YOW
    YOW 2008/01/21
    >それまではもっぱら現象学的意識記述の主題とみなされていた志向性ないし志向的関係に対し、あらたに言語論的な解明の道筋を示したものとして、ヴィトゲンシュタインのこの洞察は貴重/デイヴィッドソンの因果言明
  • 趣味のよさと芸術家の努力 - o xein', angellein…

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    YOW 2008/01/21
    >「趣味が良い/悪い」言明には場所と状況が関係:「持ち主の印象」という処にまで落としこむ事ができるので、マナーを巡る議論と共通の構造が見えてくる 。<こうなるともう「ゴシップ」、志しの低い方へと向かう
  • ダニエル・デネット『自由は進化する』 - logical cypher scape2

    非常に面白かった。 基的な方向性としては、僕はデネットとそれほど違わないので「マジかよ」みたいな衝撃というか新しい発見はないけれど、勉強になった部分はかなりあった。 何か長くなったので、目次。 内容と関係ない感想 前提 このは哲学のか科学のか 進化論について 内容 決定論と因果律は異なる(両立主義) 視点位置の変更ないし志向システムとして捉えること 延長のない実体を想定しないこと ゲーム理論と感情 スキナー型生物、ポパー型生物、グレゴリー型生物とミーム 自己認識 政治とか社会設計とか で、結局自由とは何か、山形浩生が一言で答える 哲学者のはまりがちな罠 内容と関係ない感想 勉強になった部分は、後で書くので、最初に内容とは関係のない感想を。 まず文体。このことに関しては、瀬名秀明に同意 翻訳は山形浩生。この訳者は(小説だとふつうなのに)なぜかノンフィクションだとタメ口で訳すクセがあり

    ダニエル・デネット『自由は進化する』 - logical cypher scape2
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    YOW 2007/11/30
    進化論-自由意志問題>決定論と因果律を別問題として考えよ。決定論と自由意志論は両立する。<「道徳から社会へ」:いわゆる自由主義思想思い出すが、「自由とはシミュレーションのツールである」か。少し違うの?
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    YOW 2007/11/26
    あとでよむ。今、論理学の本読みずっと停まってて。また壱から本しばきます。
  • シュミセンス -「ラッセン(笑)」の合わせ鏡と死神- - 十三乙女漂流記 蠅の女王

    これは『殺せ/殺さなくてもよい/殺しても殺さなくてもよい』の続編なのだ。以下の記事への批判・コメント補足・回答として書いてます。 id:good2ndさん:『趣味の悪さというもの』、『趣味が悪くてもいいんですってば』という「ラッセン(笑)」なエントリ ↑対して、id:trivialさんの言及『好みと人気と優劣』 trivialさんの、「趣味に対し趣味で応じる」よな「モード」の無限ループからは一歩ひいた姿勢を、わたしは支持します。 id:mimipannさんからわたしへ質問と往復意見:グループダイアリー『ブックマークの先にある何か』2007.11/14 序のツンツン id:good2ndさんの記事は、中島義道著『カントの人間学 (講談社現代新書)』へのリスペクトで書かれていると。(の受けうり自体は、まじで決して、悪いことではない。わたしもやる。) そこで、ざっくりですがわたしも図書館で目を

    シュミセンス -「ラッセン(笑)」の合わせ鏡と死神- - 十三乙女漂流記 蠅の女王
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    YOW 2007/11/25
    id:good2ndさんの『趣味悪いラッセン』記事を批判、ラッセン笑う者はラッセンに泣く。あの便器に向かって競争だ!フォローミー。/象徴としてのラッセン:http://twitter.com/YOW_iroha/statuses/441094412
  • 億劫2.0 - short hope

    ぼくは宙空に表示されたインターフェイスをひとつひとつ消してゆき、最後のひとつを思念で消そうとしていた。そのむかし、人口の大半がまだ物理世界で生活していた時代、インターフェイス上に矢印を形象化した道具が使われていたという。ポインタと呼ばれたそれは、いまで言う思念のことであり、想像も及ばないことだが、たかだか現在時制しか持たず、しかも同時にひとつのタスクしかこなさないものだったらしい。エイドス世代のぼくにとっては、にわかに信じられない世界だ。エイドスとは、もともと、富裕層の帯域幅向けに開発された思念マネージャを、汎用にスピンオフしたものだ。いまではこの世界のおよそ三分の一の人間に実装されている。この思念マネージャに、データの自我界面を破断させるバグが発見されたらしいのを知ったのは、三週間前のことだった。周辺視野から引き出したアングラ・ニュース・ティッカーでたまたまその事実を知ったとき、ぼくには

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    YOW 2007/10/09
    ウフフ。私にとり「プーさん」って何だか不吉だった。>ぼくがこのところ熱狂している道教コミュニティの合言葉でいえば、「プーさんのように何もしない」ってことじゃないか。…そして、ある仏教語を検出…。
  • 2004-11-01

    周藤論文の立ち読みページをリリース: 周藤真也、「精神障害と「人間」からの解放─精神分裂病1の呼称変更にみる─」 in 『年報社会科学基礎論研究』 第3号、2004/05、社会科学基礎論研究会 フーコーをすごい(ゆっくりとした)勢いで再読するスレ。 知の考古学 (河出・現代の名著) 作者: ミシェル・フーコー,中村雄二郎,Michel Foucault出版社/メーカー: 河出書房新社発売日: 1995/08メディア: 単行 クリック: 3回この商品を含むブログ (22件) を見る Acheologie du savoir, 1969 III 言表と集蔵体 1 言表を定義づける 2 言表の機能 3 言表の記述 4 希薄性、外在性、累合 5 歴史的<先験性>と集蔵体 IV 考古学的記述 1 考古学と諸観念の歴史 2 原のものと規則的なもの 3 さまざまな矛盾 4 比較に基づく事実 5 変化と

    2004-11-01
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    YOW 2007/10/02
    >ここでの規則、規則性という言葉:言表が特定のルールに基づき産出されるかのような表象に読者を誘う限りで、非常にまずい >内在/外在という言葉:区別のどちらを指し示してるか明示でないラベル(やめた方が
  • Column:「情報自由論」連載を終えて -東浩紀

    YOW
    YOW 2007/10/01
    >2002年より連載。その1年半の間、監視カメラや個人情報保護法など状況は大変化し、出版される半年後にはもう陳腐化するかという虚しさの中で、直面せざるをえなくなったのが『そもそも「自由」とは何か』の問い
  • 「第2回 精神医学は「狂気」排除のシステム形成に加担してきた——芹沢一也インタビュー 其の二」 日刊!ニュースな本棚|Excite エキサイト : ブックス(文学・書評・本のニュー

    芹沢一也(せりざわ・かずや) 1968年東京生まれ。慶應義塾大学大学院社会学研究科博士課程を修了。研究分野は大正期を中心とする近代日思想史。著書に『〈法〉から解放される権力』(新曜社)、『狂気と犯罪』(講談社+α新書)など。知る人ぞ知るイケメン学者でもある。 公式サイト ――『狂気と犯罪』では、精神医学が治安維持の主力プレーヤーになる歴史、精神障害者が特別な存在として処遇されるに至った歴史、そしてそれを支えてきた「思想」を見事に摘出されていますね。 明治初期から中期にかけては「狂気」の処遇に対してまったく力をもっていなかった精神医学が、明治40年前後を転機として司法に強力に介入していく。そして、当時数の少なかった精神病院の設立を正当化するために、「人道主義」と「治安意識」はいびつな形で結びついてしまった。その結果、精神医学は、精神障害者を「犯罪予備軍」に仕立て、ありもしない「狂気」

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    YOW 2007/09/25
    >明治時代の史料から見る「犯罪者の誕生」:日本の刑法で裁判官が「犯罪者の人格」を考慮した上で量刑。法定刑の幅が異様に広い>僕は100%フーコー派の人間。ツールとしてフーコーを使ってる
  • 芹沢一也「第2回 精神医学は「狂気」排除のシステム形成に加担してきた——芹沢一也インタビュー 其の二」 日刊!ニュースな本棚|Excite エキサイト : ブックス(文学・書評・本

    芹沢一也(せりざわ・かずや) 1968年東京生まれ。慶應義塾大学大学院社会学研究科博士課程を修了。研究分野は大正期を中心とする近代日思想史。著書に『〈法〉から解放される権力』(新曜社)、『狂気と犯罪』(講談社+α新書)など。知る人ぞ知るイケメン学者でもある。 公式サイト ――おっしゃるように、フーコーを使いこなしているって意外と少ないような。なぜなんでしょう。 芹沢 まず、単純に時間がかかる(笑)。たとえば、医学雑誌を明治時代のものからめくるだけで、膨大な時間がかかりますよね。史料はあちこちに散っているし。一方では方法論の問題で、言説分析、ディスクール分析というのは…… ――ちょっとお待ちを。まず「言説分析」「ディスクール分析」の説明からお願いします。 芹沢 ものすごく単純化していうと、「言葉」がありますよね。誰かが書いたの中の言葉、あるいは誰かがしゃべっている言葉とか。

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    YOW 2007/09/25
    >精神医学と刑法学・刑事政策の領域が交錯するところに、危険な「狂気」という概念が生まれたから、精神医学と刑法学・刑事政策の歴史を同時に扱える絵柄(:領域を横断)しなければと。
  • nagaitosiya.com

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    YOW 2007/09/18
    >「xはフランス国王である」は本当に分解不可能な原子命題?現代の論理学者の大半は、分子命題と原子命題の区別は相対的と考えてる
  • 日本ポパー哲学研究会機関誌 - Popper Letters

    ポパー哲学研究会機関誌 Popper Letters (2009年よりStudies in Critical Raitonalism) 総目次 Vol. 2 No. 1 (2010) 第21回年次研究大会(慶應義塾大学) Vol. 1 No. 2 (2009) 第20回年次研究大会(慶應義塾大学)報告 Vol. 1 No. 1 (2009) 第20回年次研究大会(号より『批判的合理主義研究』と改題) Vol. 20 No. 2 (2009) 第19回年次研究大会(日大学)報告 Vol. 20 No. 1 (2008) 第19回年次研究大会「可謬主義の潮流」に向けて Vol. 19 No. 2 (2008) 第18回年次研究大会(北里大学)報告 Vol. 19 No. 1 (2007) 第18回年次研究大会 Vol. 18 No. 2 (2007) 第17回年次研究大会(慶応義塾大学