荻野昌弘(関西学院大学) 社会学冬の時代 第2次世界大戦を挟んだ1920年代から50年代(政治的には第3共和政から第4共和政にかけて)にかけてのフランス。それは社会学にとって「冬の時代」だった。その理由のひとつとして、この間、社会学が大学制度のなかで、ほとんど居場所をみつけることができなかった点が挙げられる(社会学が制度的に陽の目を見るようになるのは、第5共和政(1958年)に入ってからのことである)。社会学は、単に制度的に不遇であっただけでない。当時の知識人の多くは、社会学という学問に対して高い評価を与えてはいなかった。デュルケーム亡きあと(デュルケームは1917年没)、特に1930年代に入ると、社会学の外部からデュルケームに対する批判が寄せられ(たとえば、『番犬』におけるポール・ニサン)、それに伴うように、デュルケーム学派は分裂し、学派の勢力も衰えていった。このような状況は、大戦直後も
2006年12月10日放映のNHKスペシャル「ワーキングプアII 努力すれば抜け出せますか」は、前作「ワーキングプア 働いても働いても豊かになれない」の第2弾。 非常に戦闘的な、言い換えると論争的な中身だった。 前作はワーキングプア(働く貧困層。生活保護水準以下ととりあえず規定されている)の実態とそれを生み出す構造を描いた。これにたいして、「II」はもちろん引き続きワーキングプアの実態を描くのだが(前作に1400通もの反響があり、キャスターの鎌田自身も未曾有の経験だという)、サブタイトルにあるように「努力すれば抜け出せる」という議論に、ルポを通して反論している。 「努力すれば抜け出せますか」という疑問、そして反語として。 「ワーキングプアといっても、努力すれば抜け出せるではないか」――これは自己責任論にもとづく最も有力な議論である。実際にインターネット上でも前作への反響としてこのような議論
「第一回民間教育再生会議」発言要旨(その1) 以前、ここで引用したものを再掲載しておく。 教育には何ができないか―教育神話の解体と再生の試み 作者: 広田照幸出版社/メーカー: 春秋社発売日: 2003/01メディア: 単行本購入: 2人 クリック: 11回この商品を含むブログ (19件) を見るの冒頭で広田氏は苅谷剛彦氏の ISBN:4121012496:detail の 教育をめぐる議論には、共通する特有のスタイルがある。あるべき理想の教育を想定し、そこから現状を批判する。批判そのものには誰も異論はない。前提となるあるべき教育の理想には、誰も正面からは反対できない崇高な‐抽象的な‐価値が含まれている。一方、そうした教育の理想を掲げていれば、現実的な問題をどう解決するか。その過程でいかなる副作用が生じるかについての構造的把握を欠いたままでも、私たちは教育について語ることができる。ここに教
いろいろなところで「管理」への要請が強くなってきているのが感じられます。しかし一方で「管理」という言葉には、自由を阻害するものとしての否定的な意味合いがあるのも確かです。様々な角度から「管理」をとらえたときに何が見えてくるのか――各界気鋭の研究者の方々にご寄稿いただきます。 鈴木謙介 すずき・けんすけ − 1976年生まれ。東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程単位取得退学。国際大学グローバルコミュニケーションセンター客員研究員。専攻は理論社会学。ネット文化や若者の内面について社会学的な立場から積極的に発言し、注目を集める若手研究者。 著書に『暴走するインターネット ネット社会に何が起きているか』(イーストプレス)、『カーニヴァル化する社会』(講談社)がある。現在、TBSラジオ(954KHz)にて「文化系トークラジオ Life」(土曜日20:00〜21:00、関東のみ)にてパーソナリ
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教育基本法特別委員会の審議に9日ぶりに立った。この間、社民党議員の仲間に順番に登壇してもらい、私は地方公聴会でのやりとりのみだったので、質問したいことがたくさんたまっていた。まずは、「いじめ自殺の真相の再調査」について伊吹文明文部科学大臣に問い、①いじめの従前の分類項目を改める、②これまで他の理由とされていた自殺をした子といじめの関係を再調査するとの答弁をもらった。いじめを受けている側への励ましやメッセージだけではなく、いじめをしている側に「ストップ! やめよう!」と働きかけることの重要さも確認しようと訴えた。さて、今日の本題は、「内閣府・文科省の合作やらせ質問問題」である。驚愕のの答弁が飛び出したのは、2時から始まった私の質疑の中盤だった。 9月2日、青森県八戸で行われた『教育改革タウンミィーティング』の募集定員は、200名だったが現実には400人を超える人が参加した。ここで、一般の参加
【正論】京都大学経済研究所所長・西村和雄 「ゆとり教育」廃止こそ子供を救う 最近、必修科目を未履修のまま卒業させようとしていた高等学校が全国の国公私立校の約1割にあたる540校にのぼることが発覚し、文部科学省が例外規定で生徒救済策を打ち出すなど大きな社会問題となっている。 背景には、週5日制で授業時間が足りない▽大学入試の多様化で、受験科目数が少なくなっている▽社会科の必修科目が多く、縛りが不自然である−などがある。地理歴史では、世界史が必修であり、他に日本史と地理のうち1科目、合計2科目を選択しなければならない。加えて、公民の中からも1科目を選択する必要があるので、それも入れると、社会から合計3科目をとらなければいけないのである。ちなみに、理科は理科基礎か理科総合を含む2科目、数学は数学基礎と数学Iのどちらか1科目が必修である。 ゆとり教育による学力低下に加えて、工学部生が物理や数学II
ジャン・ジャック・ルソーの『社会契約論』第四篇第八章に“civil religion”というよく分からない概念が書かれている。長さにして2頁くらいで、本当に最後の最後に唐突に出てきて、それきりになっている。学部学生時代、ハンナ・アレントの文献を読むゼミに出席していた時、当時の政治思想史の教授がふっと、「あれ、よく分からないんだよね」と言っていた。なぜこの話が出てきたのかは、私はもう憶えていないが、たぶんギリシャの政治と宗教の問題をアレントが論じていた時に、教授が思い出したのだろう。 ニコロ・マキャベリは、領主としてのローマ教皇の存在がイタリアの統一を妨げていると考えていたのは有名なわけだが、彼の宗教としてのキリスト教に対する否定的な感情は、『ローマ史論』の中に出ていて、要するに「キリスト教は共同体への英雄的な献身を生み出さないが、異教(古典古代のギリシャ・ローマ)の宗教ではそれを讃える」と
ヨーロッパの言語教育 グループC : 原 拓充、川崎 緑、小藤紘稔 2001年12月7日(金) 題名の通り、Cグループは、言語教育についての発表を行いたいと思う。しかし、中世の言語教育についての資料は乏しく、その点について深く述べることが出来ない。従って、この発表では、少々切り口を変えて、ヨーロッパの言語教育の移り変わりについて大まかに説明したいと思う。 �@ 古代と中世 ローマ帝国の創業以前、ローマ人は第2言語としてギリシア語を学んだ。しかし、ローマ帝国の版図が拡大するにつれ、他の諸民族がラテン語の学習を始め、遂にはラテン語がヨーロッパ諸国の国際語、教会や政府の言語となり、また学問のための唯一の言語となった。その為に、ヨーロッパにおける言語教育の最初の関心事は、ラテン語教育に関するものであった。中世を通じてラテン語は教育のための言語であり、故に教育はラテン語文法にほぼ限定されていた。が、
萩原能久 ラビリンスワールドの政治学「ガイダンス」 萩原能久「<政治的なもの>の概念」、『国家の解剖学』(日本評論社) 川崎修・杉田敦編『現代政治理論』(有斐閣アルマ) S.ウォリン『政治学批判』、みすず書房 S.ウォリン『西欧政治思想史』、福村出版 アリストテレス『政治学』、『ニコマコス倫理学』、岩波文庫 N.マキアヴェリ『君主論』(中公バックス 世界の名著) T.ホッブズ『リヴァイアサン』(1)、(2)、岩波文庫 M.ウェーバー『職業としての政治』、岩波文庫 A.P.ダントレーヴ『国家とは何か』、みすず書房 岡野八代『シティズンシップの政治学』、白澤社 杉田敦『境界線の政治学』、岩波書店 上記の杉田書の概要については 杉田敦「主権・境界線・政治」(岩波書店、『思想』2004年第3号) 大学教育での政治学の位置 法学部型 ドイツの「国家学」がお手本 政治経済学部型 イギリスの polit
MIYADAI.com Blog (Archive) > 間もなくマル激本第四弾『天皇と日本のナショナリズム』が出ます。まえがきです。 « 東京カワイイ戦争に参戦? | 本日、僕が企画に関わった『ETVワイド』(「団塊の世代」特集)がオンエアです! » ■安倍晋三内閣の誕生直後に前書きをしたためている。2006年9月26日。安倍首相個人の資質について取り沙汰されているが、それよりも問題にするべきは、この「ナショナリズム」を賞揚する首相の内閣支持率が、発足当初ではあるものの、七割前後に及ぶことだ。 ■前小泉内閣の支持率も一貫して五割前後だったが、結論から言えば、「この種のナショナリズム」が大々的に通用することの背後に、戦後史に関わる「健忘症」を見出さざるを得ない。そしてこの「健忘症」は何よりも「象徴天皇制」を巡って際立っていると感じる。 ■最初に断っておけば、私(宮台真司)は旧東側や戦前日本
こういう記事やそれにつけられているコメントを読むと、憲法の話に飛躍する以前に教育基本法第十条についてどう考えているの?と聞きたくなる。 教員の服務規程違反がこの問題の中心であるならば、「義務教育諸学校における教育の政治的中立の確保に関する臨時措置法」と「教育公務員特例法の一部を改正する法律」のいわゆる教育二法の問題と関わってくる。さらには、教育基本法第十条の問題とも関わってくる。しかし、そういう問題がきちんと整理されないまま、憲法の問題へと飛躍してしまう。 こういう問題が憲法の問題として、それだけで議論されてしまうと、教育基本法第十条の本来の役割は忘れ去られ、都合よく解釈され、教育行政を縛るものは何もなく、教育行政以外のものを一方的に縛るものへと変えてしまっている。 少ない知識だけで言えば、「義務教育諸学校における教育の政治的中立の確保に関する臨時措置法」と「教育公務員特例法の一部を改正す
先日、ひょんなきっかけで「宮台+女装」でググっていたら 発掘。(成城トランスカレッジ!) ちょwwwまwwww 「探していた女装写真は見つからなかった」とのことですが、まぁ、あんなのスキャンしてうぷする人もなかなかいないだろうなぁ。週刊宝石の切り抜きは押入れを捜索したら出てきそうですが猫の抗議の座り込みに阻まれて捜索しきれませんでした。 あのシリーズは宮台氏の分も含めて『たまゆら』という写真集になっていますが絶版状態のようですねぇ。アマゾンで古本は出回っているようですが。 追記: 発掘しますた これが問題の写真です。。。*1 モデル:宮台真司 / 写真:神藏美子「WHO'S WHO? 宝石女装館」『週刊宝石』1997年9月18日号 ちなみに『たまゆら』の方ではこの女子高生バージョンの他に(淫乱な?)人妻バージョンも載っているそうですが僕は未見です。 追記: 後日談について この写真は当時け
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