高校生のころだったか私も自殺しようと思っていたことがある。そのあたりの記憶はぼんやりとしてる。なにかを無意識に抑圧してしまったためだろう。なにが自殺を押しとどめたのかということでは、ぼんやりと歎異抄の「念仏申さんと思ひ立つ心の起る時、即ち、摂取不捨の利益に預けしめ給ふなり」が思い浮かぶ。 当時の私は亀井勝一郎や三木清、梅原猛などの影響もあり、親鸞に傾倒していた。それが自分を救いうるのだろうかという若い思いでもあった。 歎異抄は、唯円の聞き書きとして、この文言の前に「弥陀の誓願不思議に助けられまゐらせて、往生をば遂ぐるなりと信じて」とある。信仰が先行するのである。が、私はその時の体験から、これは逆だと思った。つまり、念仏申さんと思ひ立つ心の起るその時に、弥陀の救済が働き、そして、誓願不思議と往生の確信となる、という順なのだろう、と。 そう考えることで、親鸞の信仰と唯円との落差が見えたように思
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