100年前のあの日、2学期の始業式だった。 神奈川県片浦村(現・小田原市)の根府川集落のミカン農家の長男、内田一正さん(当時10歳)は、いつもより早く帰宅し、手作りの幻灯で遊んでいた。 ズドン。ものすごい地響きとともに、地面が大きく揺れた。家の外に出ると、急に空を土煙が覆い、集落のおじいさんが叫んだ。 「寒根山(かんのねやま)がきた。逃げろ」
われわれが繰り返し聞かされてきた、南海トラフ地震の30年以内の発生確率が「70〜80%」という国の予測(80%予測)。それがどう計算されたのかはほとんど知られていない。その確率の根拠が江戸時代に港を管理していた役人の一族に伝わる古文書だと、知り私は驚いた。 南海トラフ地震 静岡県の駿河湾から九州沖の海底に延びる溝(トラフ)沿いで起きる巨大地震。過去1400年の歴史上、100〜200年間隔で大地震が起きている。政府の中央防災会議は2012年、最悪の場合、死者が約32万人に上ると想定。地震調査委員会は13年に南海トラフ全域でマグニチュード(M)8以上の巨大地震が30年以内に起きる確率は60〜70%と発表。18年には年数の経過により70〜80%と引き上げられた。
イギリス連邦占領軍 終戦後の日本を占領統治したのはアメリカ軍単独というイメージがあります。 しかし、終戦後に占領統治していた連合軍は、アメリカ軍が約75パーセントの12万人と一番多いのですが、イギリス連邦占領軍(BCOF:British Commonwealth Occupation Force)が約25パーセントの4万人もいました。 イギリス連邦軍は、イギリスに加え、イギリス領インド軍やオーストラリア軍、ニュージーランド軍の各軍隊からなり、連合国間の取り決めで、連合軍最高司令官総司令部(GHQ)のもとにありました。 そして、中国地方と四国地方の占領政策を中心的に行い、東京都と神奈川県など首都圏の占領政策を補助的に行っていました。 イギリス連邦占領軍の司令部は広島県呉市に、海軍は呉軍港、空軍は山口県の岩国基地や防府基地が拠点でした。 ただ、イギリスは、イギリス本土が第二次世界大戦で荒廃した
「人が死なない防災 / メインチャンネル」もご覧ください! https://www.youtube.com/channel/UCFQLSViWp0ea4qrrgC5YS6A ※実際の放送物ではありません。すべてオリジナルの作品です。 【関東大震災再現シミュレーション】(緊急地震速報〜大津波警報〜沖合で津波…) 1923年9月1日に発生した関東大震災(大正関東地震・首都直下地震)を現代風に再現した動画です。 日本では東日本大震災や阪神淡路大震災、熊本地震など数多くの震災を経験してきましたが、その中でも史上最悪の被害を出したのが関東大震災です。 11時58分に神奈川県西部を震源とするM7.9、最大震度7(千葉、神奈川県、山梨、静岡)が発生、さらにその3分後、12時1分には東京湾を震源とするM7.2、最大震度7(茨城、埼玉、千葉、東京)が発生、さらにその2分後の12時3分には山梨県を震源
1923(大正12)年9月1日に発生した関東大震災の報道写真の中に、捏造や改ざんされたものが数多くあることが、東京都復興記念館(東京・両国)と共同通信社の過去5年間の調査で明らかになった。東京・本所の陸軍被服廠跡とされる写真や摂政宮(後の昭和天皇)が巡視される写真などが含まれ、国内外の論文や著作に引用されてきた。 遺体が積み重なる被服廠跡の写真を載せた新聞社が、警察当局から発禁処分を受けたため、遺体が写っていない捏造写真が出回ったとみられる。 被服廠跡には、周辺住民数万人が避難した。間もなく火災旋風が群衆を襲い約3万8000人が死亡。猛火に包まれる前に撮影したとされたのが「被服廠跡惨事直前写真」だ。 ところが、調査の結果、皇居前広場の避難者の写真を加工したものだと判明した。基になったのは報知新聞が皇居前広場を撮った3枚組みの写真。このうち右端の写真に誰かが手を加え、背景の皇居を炎と煙に描き
fakecomponents💉💉 @fakecomponents @nouhuhoumei @sumoguri_shun 十三経の一節みたいですね。 「行父還觀莒僕莫可則也還猶周旋還音旋孝敬忠信為吉德盜賊藏姦為凶德夫莒僕則其孝敬則弒君父矣則」 2018-06-18 22:31:39 リアル農夫houmei@【JCU】マイクラ城郭再現【BE勢】 @nouhuhoumei @fakecomponents @sumoguri_shun 行父還して莒の僕を觀るに、則とす可き莫し。還は、猶周旋のごとし。○還は、音旋。孝敬忠信を吉德と爲し、盜賊藏姦を凶德と爲す。夫れ莒の僕、其の孝敬を則にせんとすれば、則ち君父を弑せり。mokusai-web.com/shushigakukiho… 書き下しです。ありがとうです。春秋ですね 2018-06-18 22:40:20 リアル農夫houmei@【JCU】マ
内閣府は19日、朝日新聞が同日付朝刊で、関東大震災時の「朝鮮人虐殺」に関する内容を含む過去の災害教訓をまとめた報告書が、苦情によってホームページ(HP)から削除されたと報じたことに対し、「削除したことはない」と反論した。記事中、担当者の発言として報じられたコメントも否定した。内閣府は、報告書が閲覧できないのはHP刷新に伴うシステム上の問題だと朝日記者に説明したと話しており、抗議することも検討している。 朝日新聞は社会面に「『朝鮮人虐殺』に苦情、削除」の記事を掲載。江戸時代以降の災害の教訓を将来に伝えるために政府の中央防災会議の専門調査会がまとめた報告書が、HPから削除されていると伝えた。
江戸時代以降の災害の教訓を将来に伝えるため、政府の中央防災会議の専門調査会がまとめた報告書を、内閣府がホームページから削除していることがわかった。一部に関東大震災時の「朝鮮人虐殺」についての記述が含まれており、担当者は「内容的に批判の声が多く、掲載から7年も経つので載せない決定をした」と説明している。 削除されているのは、同会議の「災害教訓の継承に関する専門調査会」(2003~10年度)が作った報告書。過去の大災害について、被害や政府の対応、国民生活への影響などを整理し、教訓をまとめている。 09年に作成した関東大震災についての報告書の第2編では、「殺傷事件の発生」(計15ページ)として朝鮮人虐殺を扱っている。内閣府によると、この内容について「なぜこんな内容が載っているんだ」との苦情が多く、4月以降のホームページの改修に合わせ、安政の大地震や雲仙普賢岳噴火などを含め、すべての報告書の掲載を
ドワンゴと京都大学古地震研究会は、くずし字で書かれた地震古文書をデータ化する翻刻プロジェクトを発表。第1弾として、3月1日21時から「京大×niconico【みんなで翻刻してみた】~地震の歴史を発掘せよ~」がニコニコ生放送にて放送されます。 古文書に書かれた「くずし字」を「楷書」に変換する“翻刻”。番組では、京都大学古地震研究会の出演者たちが「地震史料とは何か」「くずし字とはどういうものか」「翻刻の基礎とは何か」など分かりやすく解説。さらにWebアプリ「みんなで翻刻」を使用して、実際にニコニコユーザーと一緒に地震史料の翻刻に挑戦します。 「みんなで翻刻」は公式サイトからすでに利用可能で、「くずし字学習アプリKuLA」(iOS/Android)と連携した解読サポート機能で、学びながら翻刻を進められます。 左:橋本雄太さん(MC/京都大学大学院文学研究科/「みんなで翻刻」開発者)/右:天野たま
昔の地震について、くずし字で書かれた古文書を現代の文字に変換する作業を、市民の参加を募ってネット上で進めるアプリ「みんなで翻刻(ほんこく)」を京都大古地震研究会が開発した。地震の史料を読み解き、新たな事実を発掘する狙いだ。10日からウェブ(https://honkoku.org/)で公開している。 国内各地に残されている古文書には、過去に起きた地震の場所や日時、被害などが記されたものがあり、大地震の発生間隔や地域性を知る貴重な手がかりになる。ただ、活用するには古文書のくずし字を現代の文字に変換する「翻刻」が必要で、地震の研究者では対応が難しかった。 同研究会は、地域の古文書を解読している人や、翻刻に興味がある人の協力を得るためにアプリを開発。まずは、東京大地震研究所に所蔵されている「石本文庫」から、主に江戸時代の地震や災害を記録した古文書114冊分の画像を載せ、多人数が同時に翻刻できるよう
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