つるま @clane_2015 突然ですが、この大仏さまのことをご存知の方はいらっしゃいますか? かなり巨大でビジュアルにもツッコミどころがありすぎるんですが、調べてみてもネット上には全然出てこないし、どこにあるのかもわかりません。 pic.twitter.com/AO6hcNAOxv 2019-05-03 00:03:44
![追記しました!《完結》【まさかの展開】「ビジュアルがヤバい大仏さまを捜しています。」この大仏はどこに、いつまであったのか。一枚の古い絵葉書から場所、時代を特定せよ!【集合知】](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/4b634fa498aadcfafd1cb510c71f84949b17bb58/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fs.togetter.com%2Fogp2%2F45a24b34d6ba564b761f9aadf03916c4-1200x630.png)
つるま @clane_2015 突然ですが、この大仏さまのことをご存知の方はいらっしゃいますか? かなり巨大でビジュアルにもツッコミどころがありすぎるんですが、調べてみてもネット上には全然出てこないし、どこにあるのかもわかりません。 pic.twitter.com/AO6hcNAOxv 2019-05-03 00:03:44
コンクリート造りで広さは5平方メートル。窓はなく、小屋の中と外をつなぐのは、壁に開けられた直径10センチ程度の穴五つと、食事の出し入れ口、そして排泄物(はいせつぶつ)を流し出す溝だけだ。出入り口は鉄の扉で閉ざされていたという。 精神障害があった富俊さんは、自宅敷地内に建てられたこの小屋に13年間閉じ込められていた。1950年代から60年代にかけてのことだ。 当時は合法だった。「私宅監置」という制度で、日本本土では1950年まで、戦後米国統治下にあった沖縄では72年まで続いた。制度の廃止が遅かった沖縄には今も、かつて使われていた小屋が残る。 富俊さんが閉じ込められた小屋は沖縄本島の北部にある。母屋からは10メートルほど離れ、さびた扉が小屋にもたれるように転がっていた。小屋に入ると、壁の穴を通して入る光はわずかで内部は暗い。穴から外をのぞくと見えたのは草と木だけだった。 小屋を作った男性(92
「日本の象徴天皇制は自然消滅する」 ショッキングな表現でそう語っているのは改元の前夜に放送された「NHKスペシャル」に登場した古川貞二郎・元官房副長官だ。今のままでは象徴天皇制は存続し続けるかどうかわからないと警告する。番組を見ると、象徴天皇制で初めてとなる「生前退位・即位」という大きな出来事を前にして、政権の中枢にいた人物でさえ強い危機感を露わにしていることがわかる。その危機感が国民の間であまり知られていないように思う。この「NHKスペシャル」が問いかけた内容は後でくわしく述べるが、他の番組は「お祝いムード」一色で、肝心な”不都合な真実”がまったくと言っていいほど報道されていないのだ。 「5,4、3,2、1・・・令和、おめでとう!」 2019年(=平成31年)4月30日から翌日となる2019年(=令和元年)5月1日にかけて、テレビ番組は”改元”の話題一色である。連休中の人々があちこちに集
病院行ったが「昔よんだSFと勘違いされてるのでは?」と言われた。 そうかもしれんがどうなんだろうな。 何も証拠がないし古い記憶なんで悪い。だが、少なくとも日本に爆弾落とされなかった歴史を本物だと思ってた。思ってるというべきか。 俺がガキの頃習った歴史だと、日本とアメリカは戦争なんてしなくて、一緒に大陸に国を建ててた。 俺が生まれた時点では、とうの昔に占領は完了して、すったもんだして大陸民が参政権を得た。ラーメン屋で親父とラーメン啜りながら、大陸では初の選挙が何とかかんとか、ってニュースを眺めてた。ガキの頃な。 あと、昭和に起きたクーデターの数が全然違う。七度か八度あったはず。えらい人が言った「先帝は御心に能う兵を募り、荒廃せし率土を案じ、輔弼に拠ってのみ大権を行使する」みたいなのを習うわけよ。耳タコだが細部はうろ覚え。クーデター成功しちゃうんだけどクーデターじゃないってことらしい。伴食陛下
フランスのパリを代表する観光名所でユネスコの世界文化遺産にも登録されているノートルダム大聖堂で、現地時間の15日夜、日本時間の16日未明、大規模な火災が発生し大聖堂の中央部分が崩れ落ちたほか正面の塔にも火が燃え移り消火活動が続いています。 大聖堂の中央部分が最も激しく燃え、高さおよそ90メートルのせん塔や周辺の屋根が火災発生からおよそ1時間後に崩れ落ちました。 その後、火は正面にそびえるふたつの塔のうち北側の塔にも燃え移り、現場ではいまもおよそ400人の消防隊員が消火活動を続けています。 消防によりますと、消火活動中に隊員の1人が大けがをしたほか、これまでに大聖堂の屋根の3分の2が崩れ落ちましたが火の広がりは抑えているとしています。 大聖堂は火が燃え広がったときには閉館後で、中に観光客はいなかったとみられ、内務省の高官は今のところ死者は出ていないと話しています。 消防は大聖堂の屋根裏付近か
どうなる、日本!?「普通年が逆だろう」1986年の入社式の写真と比較をしてみたら
ブコメだと書ききれないのでここで。 finalvent.cocolog-nifty.com とあるもののちょっと微妙で。失業率から見てみるとまるで違った光景が見えてくるわけで 統計局ホームページ/労働力調査 長期時系列データ 労働力調査 長期時系列データ の「表3 (4) 年齢階級(5歳階級)別完全失業者数及び完全失業率」から年齢階層別の完全失業率をグラフ化したもの 年齢階層別完全失業率 これを見る限りだと 失業率を見ると1990年台中盤から2000年台前半までの所謂「氷河期」には24歳までの年齢で特に顕著に他の期間では見られない失業率の上昇と長期の高止まりが発生しており、特異な期間と言って良いのではないか 大卒者が含まれない年齢階層(15~19歳、グラフの青色系列)でも「氷河期」で失業率は高止まりしており、"安定雇用を求めて増加した大卒者"や"そもそも大学生が増えた分、就職先は争われるよ
新元号「令和」の「令」について、「命令」の「令」として捉える人が多いように思えた。確かに辞書などを引くとその意味が最初に来るので自然な理解とも言えるだろう。私のように昭和と平成を同じくらい生きた人だと、この字は、「年齢」の「齢」の代用字として以前使っていたことなども思い出す。戦後、日本はGHQの指導で漢字をできるだけ減らし、また簡易化する流れにあったが、パソコンが普及してからは、漢字利用が盛り返してきた。年齢を示す「歳」の字も、以前は代用字の「才」がよく使われていたものだった。 さて、「令」という漢字自体の意味は何かだが、まず、これは会意字として理解されることが多い。会意というのは、その漢字を構成するパーツが意味を持ちそれを組み合わせたものだ。基本的に、パーツは音声に関係しない。 会意字として「令」は「亼(逆さまの口)」+「卩(人の跪く姿)」として、「逆さまの口がひざまずいた人に話す・お告
このブログを事実上お休みしている間、『とある私の平成史(仮)』という本を書いていた。まだ書き上がっていない。いつ書き上がるかもわからない。そもそも書き上がるかどうかもわからない。書き上がったら、出版したいとは思っている。ありがたいことに期待してくれるお声もあったりする。 で、まあ、とりあえず、執筆は「平成5年」に入ってきたのだが、そこで「就職氷河期」が項目になる。そこで、あらためて「就職氷河期」を考えてみたら、これって本当にあったんだろうか?と疑問に思えてしまった。 「就職氷河期」なんてあったんだろうか? ないわけないでしょ?と言われそうだが、就職しづらかったとか、正規雇用になれなかったとか、そういう個別の状況がなかったとは当然、言わない。それはあった。そうではなく、「就職氷河期」という言葉でまとめられる事態があったのかということだ。いつの時代にもどこの社会にある「就職難」というだけのこと
まとめ 張衡の「帰田賦」の一節が"典拠"なら『令和とは、腐敗した安倍政権が倒れ、自民党政権が倒れることを祈ってつけられた和暦.. 張衡の「帰田賦」の一節「於是仲春令月 時和氣清」をひいての、監視にまつわる議論のようです。 見出しのツッコミ以外にも「張衡が帰田賦で批判したのは安帝ではなくて10歳の順帝が即位した時に政治を牛耳っていた宦官」という指摘もあります(それに対する反論も収録しています) https://twitter.com/726und1/status/1112844971227267072 28791 pv 149 23 users 86 Dr.ナイフ @knife9000 「令和」の出典は万葉集ではなく中国の古典「帰田賦」が隠された由来ではないか?という噂が広まっています。 「帰田賦」は後漢の役人である張衡が、当時の皇帝「安帝」の愚かな政治が嫌になり「安帝の政治腐敗に嫌気がさし
新元号の候補は6案あり、ボツ案については建前上は秘密のはずだが、昨日中に全部バレた。「英弘(えいこう)」、「久化(きゅうか)」、「広至(こうし)」、「万和(ばんな)」、「万保(ばんぽう)」である。 関係者から聞き出したものだろうから、漏らした識者は口が軽いと非難する向きもあるだろうが、私にとって興味深かったのは、バレるプロセスだった。当初は、「万和」「万保」の読みがわかっていなかった。朝日新聞は、こんな感じ。2日「新元号、政府提示6案に英弘・広至など 日本書紀も典拠」より。 朝日新聞は複数の政府関係者の証言に基づき、「広至」「万保」の読みを「こうじ」「ばんほ」と報じましたが、その後の別の関係者への取材で「こうし」「ばんぽう」だったとわかりました。 朝日がソースとして握っていた識者はそういう読みだと思っていたのだろう。 そして、最後の一個がわからなかった。各報道者が探ろうとして、全部が同時に
「令和」の違和感について、2点ほどブログに書きこのこしておきたい。最初に言っておくと、この新元号をくさす意図はないので、ご安心をというか、ご期待に添えずというか。 なぜ、「令和」は「れいわ」で「りょうわ」じゃないのか まず第一点目に、なぜ、「令和」は「れいわ」で「りょうわ」じゃないのか? 自分も当初疑問に思ったし、ネットでも疑問の声があるわりに、解答がないので、解答を書いておこうと思った。では解答。 「令」の字に「りょう」という読みはありません というのは、ブログっぽい釣り風味なんで、正確に言い直そう。 「令」の字に常用漢字表では「りょう」という読みはありません そう。ないのだ。 日本の政治制度の基本となった「大宝律令」は、「たいほうりつりょう」。これは、小学生でもそう学ぶと思うので、「令」は「りょう」という読みがあるのは知っている人が多い。 しかも、万葉集の時代、奈良時代の漢字は、呉音で
毎年4月1日のブログには馬鹿話を書くのが恒例だった。今年も結局そんなことになるだろう。 さて、新元号が決まった。蓋が開いてみれば、なるほどという思いと、意外という思いがあいなかばというところだった。 予想していたかというと、予想できなかった。新元号名はローマ字でKで始まる音から選ばれるとして絞り込んでしまったのが、敗因というか、失敗だった。明治・大正・昭和・平成としてM・T・S・Hなので、濁音は嫌うだろうし、Nは紛らわしいので、KかRだろうと予想したが、Rは日本語になじまないだろうと思ってしまった。 まったく予想できなかったかというと、蓋を開けてみればわかるが、出典に万葉集が来ることは予想可能だった。3月19日朝日新聞『新元号、初めて日本の古典由来に? 漢籍とのダブル説も』のような誘導はあった。 今回の改元で政府は、複数の国書の専門家に内々の考案を依頼。政府が数案に絞り込む前の段階の20案
Yahoo!ニュース @YahooNewsTopics 【令和 日本古典から採用は初】 yahoo.jp/POwbwx 政府は1日、「平成」に代わる新元号を「令和(れいわ)」と決定した。出典は「万葉集」で、中国ではなく日本の古典から採用されたのは確認される限り、初めて。 2019-04-01 12:09:15 ライブドアニュース @livedoornews 【安倍首相会見】新元号「令和」、出典は万葉集 「本日、元号を改める政令を閣議決定いたしました。新しい元号は、『令和』であります。これは、万葉集にある『初春の令月にして 気淑く風和らぎ 梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫す』との文言から引用したものであります」 2019-04-01 12:15:30 ライブドアニュース @livedoornews 【安倍首相会見】「令和」に込められた意味は「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ
「父は擬似的な恋人にも等しい存在だった」 母・呉金鶯の生前は百福への連絡を遠慮していた美和だったが、1971年に金鶯が死去したあとは手紙や電話で頻繁にやりとりするようになった。1972年から77年までは、百福の計らいで毎年のように大阪を訪れている。 「父は当時、最先端だった東洋ホテルの客室を予約してくれて、ふたりで夜遅くまで、台湾語でとりとめのないおしゃべりに花を咲かせたものだわ。父は取り立てて厳格でもなければユーモアに富んでいたわけでもなかったけれど、『何かを成し遂げたければ自分を信じ、勇気を持て!』と何度も言っていたのは今でも心に残っている」 時には腕を組んで散歩をしたこともあったという。美和は、昔の恋人を思い出すかのように幸福な表情で百福と過ごしたひとときを述懐した。 「恋人……そうね。私にとって父は親であり、先生であって、擬似的な恋人にも等しい存在だった。親戚には『百福から捨てられ
1989年1月7日午後2時ごろ、首相官邸の記者クラブ。毎日新聞政治部の男性記者が、仮野(かの)忠男・官邸キャップに1枚のメモを手渡した。政府関係者から極秘入手したそれには、手書きで「平成」とあった。(朝日新聞記者・二階堂友紀、大久保貴裕) 【関連リンク】平成という時代を「天声人語」はどう伝えたのか――特集「平成人語」 「取れました! 平和の『平』に、成田の『成』。ヘイセイです」 仮野氏は東京・竹橋の本社で待つ橋本達明デスク(後の主筆)に電話した。 新元号をスクープしようと、報道各社は熾烈(しれつ)な競争を繰り返してきた。「大正」は朝日新聞の新人記者だった緒方竹虎(故人)が特報。昭和改元では毎日の前身、東京日日新聞が報じた「光文」が誤報となり、社長が辞意を表明する事態となった。平成改元で、毎日は「光文事件の雪辱を果たす」と誓っていた。 新元号「平成」スクープ――。89年2月1日付の毎日の社内
太平洋戦争中の「徴用」をめぐる韓国の裁判で、原告側が三菱重工業のロゴマークの商標を差し押さえていたことが分かりました。 原告側が商標を売却する手続きに踏み切った場合、韓国内でロゴマークを使用できなくなるおそれもあります。 この裁判の原告側は、去年11月に三菱重工に賠償を命じる判決が確定して以降、賠償に関する協議を求めていましたが、三菱重工側が期限までに応じなかったとして、今月、韓国で保有する商標と特許合わせて8件を差し押さえたと発表していました。 対象となる商標と特許は8億400万ウォン(およそ7800万円)に相当するとしていましたが、商標と特許の詳しい内容については明らかにしていませんでした。
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