音読は、ちゃんと使えば効果あるんやで。いきなりやらすような乱暴なことするからあかんねん。まずはこっちがていねいに音読する。リズムがつかめてきたところ、ちょっとだけ読ませる。すぐ交替する。
![『「読解が苦手な子」に音読は効果ナシ…中学受験塾SAPIXの「意味がわかる読み方」(佐藤 智) @moneygendai』へのコメント](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/be1db0af0ec3f1cf0b6a299ebcfd081f40eb7d29/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fgendai-m.ismcdn.jp%2Fmwimgs%2F0%2F9%2F1200m%2Fimg_09f59e0647cb292f31b9533c4e55862557891.jpg)
国立国語研究所名誉所員 甲斐睦朗 1.はじめに 全国紙に上掲図書『ルポ 誰が国語力を殺すのか』の衝撃的な広告が掲載されていたので、急いで取り寄せた。その衝撃的な広告は、図書の帯にも再掲されている次の表現である。 〈「ごんぎつね」で「母の死体を煮ている」と誤読する小学生たち〉 この内容は、本書の序章「『ごんぎつね』の読めない小学生たち」で詳述されている。都内のある公立小学校(校長は国語科上がり)で講演を依頼された本書の著者の石井光太さんが4年生の国語の授業を見た。教材は新美南吉の「ごんぎつね」で、兵十の母親の葬式の場面から一つの課題を与えられて班学習の形で取り組んでいた。その段落の本文は、次の通りである。 こんなことを考えながらやって来ますと、いつのまにか、表に赤い井戸のある兵十のうちの前へ来ました。その小さなこわれかけた家の中には、おおぜいの人が集まっていました。よそ行きの着物を着て、こし
とある経験を経て、「不機嫌で人を支配しようとする人」の気持ちとその発生機序がだいぶ分かった気がしたので、ちょっとそれについて書かせてください。 まず前提として、しんざき家には、「察してもらうな、察するな」「どんなことでも言葉にしよう」という家訓があります。 して欲しいこと。して欲しくないこと。嬉しいこと。嫌だと思ったこと。賛成、反対、不満、満足、喜怒哀楽。 どんなことであれ、とにかく言葉にしましょう、と。全部言語化して、遠慮なく相手に伝えましょう、と。 パパもママもエスパーではないのだから、君が考えることを何も言われずに察することは出来ません、と。 君にエスパーであることを期待もしませんから、パパもママも言いたいことは全部口にします、と。 そういうコンセプトです。 ことあるごとに「とにかく言葉に」と言ってます。これについてはかなり徹底していると思います。 「言わないで気付くのを待つ」という
私は「できる子」をさらにできるようにすることにはほぼ関心がない。このため、子どものころから成績優秀だったという友人から「篠原の話、俺にはあまり当てはまらない」と言われるのだけれど、当たり前。なぜなら私の関心の外だから。私の関心は、「できない」とみなされている子への対策。 近年、勉強のできない子は、先天的にできないのだとみなす大人が少なくないのが気になる。もっと踏み込めば、気に入らない。「できるはずだ」と決めつけるのも子どもにプレッシャーを与えるので慎重にしたいが、「できないに決まっている」という決めつけは、はっきり言って大嫌い。 私が小学5,6年のころ、勉強がどうにも苦手だった。親戚の中で一番悪い成績。「僕は頭が悪いから」と言ったところ、父が言った。「頭が悪いかどうかなんて、死ぬまで分からない。死んでも分からない」その後、折に触れ、同じことを何度も私に繰り返した。 このことを、私は子どもを
重要なことは殆どのアメリカ人(3分の2近く)が4年制大学の学位を持っていないということである。彼らの悩みの原因は不十分な教育にあると労働者に言うことによって、エリート (meritocrats) は成功と失敗とを道徳化し、知らず知らずのうちに学歴偏重主義を広めている―大学の学位を持っていない人々に対する陰湿な偏見を。 学歴偏重主義者 (credentialist) の偏見は、エリートによる傲りの症状である。2016年までに、多くの労働者は高学歴のエリートたちが自分たちを見下しているという苛立ちを感じていた。この訴えには根拠がないわけではない。調査研究は、多くの労働者階級の有権者の直感を裏付けている;人種差別や性差別が好ましいとされない(排除されはしなくとも信用はされない)時代にあって、学歴偏重主義は最後まで残る偏見である。 アメリカ合衆国とヨーロッパでは、他の嫌われがちな集団 (disfa
はるはれ @haruurarahare 東大卒のガチ勢からもらったアドバイス、送ります。 「感情や文章読解が苦手な子は、興味あるアニメでもなんでもいいからストーリーものを見せる。どんな話だったか質問する」を続けると、コミュニケーションが言葉で成り立つことを知ることが大事。ポケモンドラえもんで良いのだ。とのことです。 2020-05-18 16:00:03 はるはれ @haruurarahare 学校の先生はやたら「本を読め」「音読しろ」って言うし親にもそれを強要してくるけど、無視して良いと。意味もわからず、ただひらがなを追いかけるより「言葉はなぜあるか」を知った方が数倍よい。文章から場面を想像するには、まずそれのインプットがないと出来ない。だからアニメは良いそう。 2020-05-18 17:20:16 はるはれ @haruurarahare 経験値が圧倒的に低い子どもは、言葉から想像する
真澄鏡 @mathmirrooor 明るく楽しく思慮深く。谷山浩子、筋トレ、ロードバイク、英語、アウトドア、一人旅、温泉、篠笛、板谷波山、美術、神話、民俗学、バチカン奇跡調査官、Dr.stone。サクナヒメ攻略中。発達障害支援やってました。乱読派です 真澄鏡 @mathmirrooor うちの子は加害する側だった。何かと過敏で、生後5ヶ月から人見知り場所見知りで大声あげて泣き叫び、10ヶ月くらいからは似たような月齢の子と目が合うと苛々しだして目を狙って引っ掻くような危ない乳児だった 2019-09-08 09:39:11 真澄鏡 @mathmirrooor ゆったり穏やかに子供の行動を見守るなんて緩い事は出来なかった。常にアンテナを張り、息子の手が出た瞬間すぐサッと抱き上げ止める。まだ言葉も何もわからない時期、加害行為を未然に止めるしか出来ない。息子は当然やりたかった事を無理矢理やめさせら
めんたね @mentane 昨日もワークショップで「『なんで宿題やってないの!?』と言う時、あなたは宿題をやっていない理由を聞きたいのですか?それとも『宿題をやれ!このボケ!』と伝えたいのですか?」と参加者に尋ねたら衝撃を受けていた。間接的な物言いをしている人の多くはそれが間接的な物言いであることに無自覚。 2019-08-19 14:52:05 めんたね @mentane 間接的物言いをしていることに無自覚な人は、頭の中の思考でも間接的物言いを使っている。その結果、自分の思考や感情をクリアに把握することができなくなる。内心の言語化、メンタライズの不全状態といえる。それを避けるためにも頭の中ではなるべく文字通り、直接的な言葉遣いをしたほうがいい。 2019-08-19 14:54:47
アコマン @mamarusu 今日の参観で、春を題材にした詩が張り出されてて、他の子は「春の声に花が目覚める」とかそんな感じなのに息子の詩だけ大山応援してて、他の親達にも爆笑されたり写真撮ったりされてたww けど結構グッとくるよな 4番大山への愛と期待が込められてる pic.twitter.com/LS9FIXOXMv 2019-05-13 00:43:34
接続助詞「から」「ので」は原因・理由を表す表現です。以下の例は「から」と「ので」を使った例ですが、意味的には大きな違いは感じられません。 言葉は人間ができるだけ労力を使わなくてもいいように経済的にできていると言われています。そのため、まったく同じ意味・機能を持つ表現が複数あった場合はどちらかが使われなくなり、消失していきます。しかし、「から」と「ので」は両方が存在し続け、今日まで日本語母語話者に使われてきました。つまり、これら二つの表現には何かしらの違いがあるということです。 日本語母語話者であれば、これらの類義表現の違いがよくわからなくても、うまく使い分けられるのですが、日本語学習者にとってこれらの使い分けは容易ではありません。日本語学習者が適切な場面で適切な表現が使えるよう、日本語教師はこれらの使われ方の違いや学習者の間違いやすい点を把握し、指導に取り入れる必要があります。では、日本語
よく子供の教育などで口で言えば、分かるというが人の痛みが口で分かるのだろうか?という疑問。 この間の暴力問題は論外として、怪我をさせるのが目的ではなく軽い拳骨(コツン程度)や手をはたく程度でも体罰というのなら、 一体何で痛みを教えると理解するのだろうか? 言葉で言えば分かるというが、言葉でどうやったら理解できる? 例えば『食事の話』をしたとして料理の美味しさやまずさはm実際に味わったから理解できる。 でも、食べずして好きだ嫌いだっていうのは分からない。 例えば、『マラソンの話』をしたとして、マラソンをして息があがって苦しくなるのは、経験するから理解できる事でしょう? ※例え話は、あくまで例なので関係ないじゃんとかいうツッコミは不要。 そういう風に経験するから理解できる事であって、悪い事をしたとして、それが悪い事であるというのを言葉だけで理解させるには 限度があると思うのだけど、どうにもこう
第6志望まで全落ち 実は「受験失敗組」だった女優、芥川賞作家、編集長らが見つけた"答え"とは? ぶらり不登校 それからは、ほとんど記憶がありません。第二志望校の合否発表の際、自分の受験番号が書かれていないボードを見ていたのは覚えています。ほかの学校は、すべて母親が見に行ってくれ、「落ちてたよ」と教えてくれました。 どの学校にも合格せず、受験が終わったとき「もう人生は終わりだ」と思いました。通っていた塾の講師から「偏差値50以下の人は、この先、人生がないと思っていてください」と言われていたからです。今後の将来に、どうしても希望が持てませんでした。 私の受験失敗への思いは、このあと2年間ほどこじらせて、不登校へとつながっていきます。 この思いが完全に晴れたのは10年後。21歳になったころ、『不登校新聞』に入って数学者・森毅さんの講演を取材した際のことです。講演中、森さんは「受験生のみなさんへ」
Y @y_psychologist 長女が年長の時に、知的に問題なく、身体も健康だけど、たぶんこの子は先天性の失読なんだろうなという男の子がクラスにいました。ある日、お母さんが「まだ自分の名前が読めない」と保育士に相談。 保育士さん「三兄弟の真ん中で、話しかけたり、絵本読んであげたり、関わりが少なかったからでは?」 2019-01-19 10:15:54 Y @y_psychologist たまたまお迎えの時間が同じで、やりとりが聞こえてしまった私。保育園の玄関まで帰っていくお母さんを追いかけ、声をかけたら泣いてた。 「来月の入学時検診で相談してみて。○○小学校から言葉の教室の先生がきてると思う。兄弟の真ん中とか絵本とか全然関係ない」というようなことを言ったと思う。 2019-01-19 10:25:21 Y @y_psychologist その子が失読なのかなと思ったのは、黙々と読書して
先日、東洋経済さんでこんな記事を拝読しました。 「作文」が書けない子に教えたい3つの言葉 文章を書くことは、観察し、驚きを見つけ、考えることです。これがステップ1からステップ3への手順に当てはまるのです。 (東洋経済オンライン) 正直なところ、この記事を書いた方は「作文が書けない子」のレベルをかなり高く見積もっているなあ、と感じました。 いや、文中のテクニック、文中の手法が悪い、というわけではないのです。ここに書かれていることは、それはそれで非常に有用、非常に有効なことだと思います。 「観察→深堀りと整理→考察」という思考法は、あらゆる表現、あらゆる論考で重要な手順です。 小さい頃からこの手順になじんでおくことはとても有益ですし、その際の教え方、かみ砕き方として、文中提示されているような言い方をするのも有効でしょう。そこについては何の文句もないんです。 ただ、ここでいう「作文が書けない子」
「桃が5個あります。3個もらうと全部で何個になりますか」という、一見簡単そうで解答に困る算数の文章題がTwitterで話題となっています。桃がどこから誰へ移動しているのか、文章が不明瞭でどうとでも解釈できてしまう。 この問題、自分が5個持っているところに、さらに3個もらったとして、「5+3=8」で「桃は全部で8個」と答えさせたいように見えます。しかし、どこかに5個ある桃を3個取ったとすれば、もともとの桃は5-3で2個になるとも読めます。文章としては「どこかから3個もらったのだから、手元にある桃は全部で3個」「5個あるうちの3個が移動しようと、桃は全部で5個」といった解釈もでき、考えるほどに正解が分からなくなってきます。 問題文は投稿主のゆき乃(@yukiNoy)さんが、小学1年生の息子さんと解いたドリルを紹介したもの。息子さんは「もともと5個ある桃は誰のなの?」と困惑しながら、どこかに5個
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