新島襄の妻、八重の米沢居住を裏付け 新史料見つかる 八重の米沢での住所などを記す明治三庚午御触書 同志社大を創設した新島襄の妻で、会津藩出身の八重(1845~1932年)に関する新たな史料が、山形県米沢市教委の調査で同市立図書館から見つかった。米沢に出稼ぎに向かったとされていた八重が、米沢で1年近く暮らしたことや、知人を頼って米沢に来たとみられることなどが、史料の分析で新たに分かったという。 八重は会津藩の砲術師範だった山本家に生まれた。1868年の戊辰戦争後の足取りは(1)70年閏(うるう)10月(現在の11月23日からの月)に八重ら家族が旅費を手に会津を出て、米沢へ出稼ぎに向かった(2)翌71年、兄で京都府顧問だった山本覚馬を頼って京都へ向かった-の2点が、他の文献などで既に分かっているが、それ以外は不明な点が多かった。 米沢市教委は、市内に残る古文書を筆写した「鶴城叢書(かくじょ