まだ虫の声も聞こえる夜ではありますが、心地よい調べで眠れたのもほんの束の間。 今やストーブをつけようかどうか迷う夜寒です。 街路樹などに秋の気配を感じると、やはり版元としては仕事に精を出す頃かなと思います。 みなさまにはいかがでしょうか。 私どもは何をするのも人手を借りることが出来ない版元で常日頃忙しくしておりますが、今年に入り、忙殺され、逼塞しておりました。そして、不穏な日本の空気を注視する夏の日々。もどかしく、無力な毎日でもありました。 そんな暑い夏もただ汗をかくだけで過ぎようとする頃、このままではいかんと、「でるべんの会山陰の書店&図書館見学ツアー」に参加いたしました。自分にとっては原点を見つめ直す旅になるかなと思ってのことでした。しかし、そんな甘い期待をはるかに超える旅となり、本当に行ってよかった。 今はあのとき見た風景などが心の支えとなっています。 そんな旅日記をひとつ。 9月1
隠岐・海士町の公立塾「隠岐國学習センター」(海士町福井、TEL 08514-2-0310)に、町立中央図書館分館がオープンし、本格稼働を始めた。 アンティークの飾り階段を利用して暖かみのある空間を演出 島前3町村(西ノ島町、海士町、知夫村)が母体となり高校魅力化プロジェクトの取り組みの一環で設立された同センターは、2010年に設立後、離島・過疎地域が抱える都市部との教育格差を解消し、地域の子どもたちの自己実現をサポートしてきた。この春、古民家をリノベーションし移転オープンした同センターは、天井を高くとり、無垢(むく)の古木材を活用して広がりのある空間を演出するほか、セルフカフェやWi-Fiを備える。海士町中央図書館の13番目となる分館は、交流スペースの一角で書架を展開している。 蔵書は雑誌を含め約200冊。同町を訪れた著名人の作品を集めたコーナー「この人に注目」や、生徒のお薦め書籍を並べる
隠岐の名物、牛突きの初場所大会が隠岐の島町池田の国分寺横のモーモードームで行われました。 トラックに乗って運ばれる牛突きの牛たち。 全天候型牛突き場のモーモードーム モーモードームの説明看板。モーモードームでは夏から秋にかけて牛突き大会や観光牛突きが催されています。 中に入ると、本日の番付表とすきやき風の鍋物が振舞われました。このほかにも、日本酒とビールをセルフでどうぞ~というアナウンスがありました。ビールを飲みながら牛突き観戦。いいですよね。私は車だったのでもちろん飲まずに、このお肉は突き牛さんのかなあと思いながらお鍋をおいしくいただきました。 ドームの中はこんな感じです。観客席もすり鉢上になってて観戦しやすく、牛突き以外でもなにか使えないかなあと思ってみたり。取り組みは全部で8番。すべて引き分けの予定でしたが1番だけ勝負がついてしました。 写真は数枚とりましたが、いまいちだったので動画
海士町発祥の隠岐民謡「キンニャモニャ」には、本町の自然と文化・人情が上手にうたい込まれています。 そこには私達が忘れかけていた「生き抜く術」が秘められています。 「キンニャモニャ」の唄に様々な願いを織り込み、第三次海士町総合振興計画の基本的な考え方を「キンニャモニャ宣言」として次のように掲げます。 この取り組みを支える町民の合い言葉が「キンニャモニャ」の囃子ことば“キクラゲチャカポン持って来いよ”です。 古老の話によれば、この囃子ことばは、 「キクらもチャカらもちょっとこいよ(キクさんもチカさんもみんな来いよ)」という意味と伝えられます。 あらゆる人々との間でさまざまな交流を進め、新しい海士町づくりに行政と住民が力をあわせて取り組みましょう。 「人は海士を訪ね、交流を重ねて海士を好きになり、この地を求めて暮らしはじめる。」 そんな願いをこの囃子ことばに込め、私たちの取り組みは歩みをはじめま
海士町の民謡「キンニャモニャ」を踊る、町最大のイベント。 島外客を含めた約1000人が輪をつくるキンニャモニャ・パレードや、間近で楽しむ菱浦湾内の海上花火が見ものです。 毎年8月の第4土曜日に開催し、本土から遊びに・踊りに来てくださる方も多数。 キンニャモニャ祭りを体験しないことには海士町を語れません! 初めての方も、しゃもじを借りてパレードに参加してみては?
隠岐・西ノ島の黒木公民館(西ノ島町別府)で8月3日、香港世界ジオパークから楊家明(ヤン・カーミン)博士が来日し、同ジオパークの取り組みを共有する講座が開催された。全編英語で行われ、隠岐世界ジオパーク推進協議会関係者によるボランティア通訳を介しての講座となった。 香港世界ジオパークから招聘(しょうへい)された楊家明(ヤン・カーミン)博士 年間150万人が訪れ、6つのレストラン、1つのホテルを持つ香港世界ジオパーク。2011年の世界ジオパークネットワークへの加盟後、楊博士が立役者となり、わずか4年でジオツーリズムを香港観光の目玉の一つとして押し上げた。世界111ジオパークのうち、50カ所を訪問し講演を行うなど、その手腕には定評がある。 「ジオパークは『友好』が大切」と口火を切る楊博士。「香港世界ジオパークは、世界6カ所と姉妹ジオパークとして提携している。成功・失敗のノウハウを共有し、お互いに提
戦後70年を契機に、当時の記憶を次世代へつなごうと企画した同展。展示コーナーには、島内に残された戦争資料約30点を展示している。資料は、軍服や千人針など身近なものが中心。本土から遠く離れた離島の地も等しく戦争を経験していた事実が伝わる内容となっている。 展示品には、1945(昭和20)年8月の終戦当時、特攻隊に志願し10月の出撃に向けて訓練を重ねていたという島内在住者から提供を受けた「海軍予科練習生制服」もある。 館内の見学者には、鳥取県から島内へ帰省中という親子連れの姿も。「この時代には特攻隊も身近な存在だったということがわかった」(母親)、「(特攻隊として)鳥取県から出撃した人があるのは聞いていたが、隠岐の人も同じように志願していたことを初めて知った」(小学生男児)と話し、見学後は戦争関連図書を2冊借りて帰っていた。 開館時間は10時~18時。観覧無料。8月30日まで(図書館休館日を除
隠岐・島後の隠岐の島町図書館(隠岐の島町西町)で7月26日、住民向けの隠岐世界ジオパーク講座が開かれた。 初回のテーマは「世界が認めた隠岐の魅力~隠岐世界ジオパークとは~」 「暮らしに役立つ図書館講座」の一つとして行われる同講座。全5回のテーマは先んじて山陰中央新報文化センター松江教室(松江市殿町)で開講した講座と同一ながらも、より地元住民に向けた内容となっている。主催は隠岐の島町教育文化振興財団。 隠岐の島町図書館館長の佐々木正人さん自ら隠岐世界ジオパークについて見聞を深め、「もっとたくさんの人に知ってほしい」という思いから、同図書館での開催を決めた。 初回の参加者は15人。地元のガイドのほか、隠岐世界ジオパークについて初めて学ぶ参加者が多数を占め、潜在的な関心の高さを示した。 「世界ジオパークに認定されたことで、地元をもっと知りたいという声もあった。島内向けに幅広く周知することができれ
「今、島根県海士町がおもしろい」と誰かが言いました。 風の噂に乗って、遠く日本海に浮かぶ島から届いた小さな便り。 海士町は、島根半島北60キロに位置する隠岐諸島に属する離島です。 島であり同時に町である海士町は、周囲89.1キロ、 車があれば2時間ほどで一周できそうな規模の小さな島。 人口約2,400名、年間に生まれる子ども10名、 島民の約4割が65歳という超少子高齢化の過疎の島が、 財政悪化と人口流出にただ嘆いていたのは今から10年以上前のこと。 「ないものはない」 マイナスをプラスに転じる精神と、島のハンディキャップを活かす気持ちで 産業振興、移住促進、高校魅力化プロジェクトなどの 独自の取り組みを行った結果、海士町には10年間で400名超の移住者が集いました。 地元民と移住者が共に未来を目指す島の噂は徐々に海を越え、 全国に海士町の名を響かせ始めた。 灯台もと暮らし編集部が海士町を
青山さんは海士町の観光協会の職員であると同時に、ご自身が海士町にIターンした一人の挑戦者でもあります。「これから地域に入って生きていきたいと願う若者に向けて、何かアドバイスをいただけませんか」と尋ねると、少し考えてから「今地域にはプレイヤーが足りないと思っている」と、強く静かに語り始めてくれました。 地域おこし協力隊、集落支援、Iターン、旅……どんな形であれ、新しい土地での暮らしを志す人の悩みは共通かもしれません。これから行動を起こそうと思っている人だけでなく、すでに行動に移している人にも読んでいただきたい、非常に参考になるお話です。 【島根県海士町】この島がこの島であり続けていくために – 観光協会 青山敦士 – 【島根県海士町】「好きな島といえば海士町!」という未来を目指して 僕が海士町に辿り着くまで まず、僕自身の話をさせてください。僕は9年前に海士町に引っ越し、Iターン者としての生
2015/7/1 AM06:30現在 ●高速船レインボージェット 定期運航 ●フェリーおき 定期運航 ●フェリーくにが 定期運航 ●フェリーしらしま 定期運航 ●隠岐の海況(波高) 本日 1.0m〜1.5m 明日 1.5m〜1.5m
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