江添亮 @EzoeRyou 3年ぶりにあったドイツ人が最近のアニメのオススメを聞いてきたのでフリーレンを勧めておいたが、 ドイツ人「フリーレン・・・氷結?」 登場人物一覧を見せてやったらものすごく渋い顔をしていた。フリーレンの登場人物はドイツ語由来なのだが、人名に使わない単語なのでひどいことになっている。 2023-10-12 21:30:34
![文化の違い?ドイツ人に葬送のフリーレンを勧めたらキャラ名に爆笑された「氷結さん、朗らかさん、鉄さん…」](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/c4be810223327a96ea89f468352d663a652de69e/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fs.togetter.com%2Fogp2%2F875c2f5ed385e0abfad6d0afe966a9c5-1200x630.png)
加藤マニ @katomani ロシア語には「熊」という意味の単語はないけれど、「メドヴェーチ(Медведь)」という言葉があって、意味は「蜂蜜をたべるもの」なんだけど、この言葉が「熊」という意味も持ってるらしい。歪曲的に表現することで熊を呼び寄せないようにしてるみたいだ。 2022-01-16 13:17:21 emuson(えむそん) @butachan_emuson これ気になって大学助教授やってるロシア人の友達に聞いたら一ヶ月調べてくれて、まさに古い語で「Бер」と言う。(bearと同源?) 現在は熊の巣穴を指す「Берлога」など熊に関する言葉に残っている。でも殆どのロシア人は「Бер」だと通じなくて一般的に「медведь」じゃないと通じないという🧸 twitter.com/katomani/statu… 2022-09-18 23:47:33
昔ながらの韓国料理は辛くない あの禍々しい新型コロナウイルスが大問題になる、少し前のことです。いつもラーメンは味噌ラーメンかとんこつラーメンにしますが、その日は、悪魔のいたずらか神のお導きか知りませんが、なぜか塩ラーメンを注文しました。 うろ覚えですが、多分人生初の塩ラーメンです。なぜいままで食べなかったのかというと、どうもこの「塩」という字に拒否感がありまして。でも、食べてみたら、美味しい。すごく美味しかったです。こんなに美味しいなら、もっと早く食べればよかった、と思いました。 もちろん料理によって違いますが、一般論として、韓国で料理や味に関して「塩」の字を付けると、それはものすごくひどい味を示します。どこで何を間違えたのか、いまの韓国料理は辛さを売りにすることが多いですが、実は韓国料理の昔ながらの味は、具を煮て汁を出すことにあります。味がそんなに強いものでもありませんでした。 ビビンバ
2016年04月01日12:00 世界の苗字の特徴を貼っていく Tweet 1: 名無しさん@おーぷん 2016/03/28(月)01:47:29 ID:knY 【英語圏】 ・-son, -s 英語「~の息子」に由来。 例)エジソン(Edson)、ジョンソン(Johnson) ウィリアムズ(Williams)、ジョーンズ(Jones) ・Fitz- ノルマン語「~の息子」に由来。 英語由来ではあるがアイルランド人にやや多い。 例)フィッツジェラルド(Fitzgerald) 転載元:http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1459097249/ 笑えるコピペ『神と人間の狭間(はざま)に居る者』 http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/5028983.html 2: 名無しさん@おーぷ
ディズニーのアニメ映画『アナと雪の女王』の主題歌、「Let it go ありのままで」が映画とともに大変な人気なようだが、この歌の訳が原義とずれていて、その英語と日本語の違いが興味深いので少し詳しく書いてみた。 “Let it go”とは、怒りや不安でさいなまれている人に、そんなことは忘れてしまいなさいよ(“forget about it”)、と呼びかける言葉だ(注1)。だが、忘れてしまえといっても、コンピューターのキーをおして消去するように記憶を消してしまうことはできない。「忘れてしまう」こと「気にしない」ということの中身は、自分自身に怒りや不安を起こさせるような嫌なことを無視できる力を持つこと、耐性力をつけることだ。そうすることで、脳の中には記憶そのものが残っていても、「気にしない」こと、「忘れてしまう」ことができる。これが”let it go”の中身なのだ。 積極的に自分が耐性力をつ
中国は、他国の貨幣単位であっても、自国の「元」を用いて表現し、中国語でそれを発音しようとする、いわば集約化の傾向があることを前回、確かめた。 それに対して韓国は、現地つまり相手国の音を、それが固有語であろうと漢語であろうと語種や出自を問わず、すべて外来語のように扱って、ハングルで表記するという明確な立場をとっているのであった。漢字を介在させれば、その判断にも迷いが生じるところがあったのだろう。多様化を容認する態度とも見えるが、そこには徹底した漢字離れの状況が反映していたのである。 さて、日本は、どうだったであろうか。中国に対しては「元」と漢字表記をして「ゲン」と日本漢字音で読む。すなわち自国漢字音尊重主義である。一方、漢字を使わなくなってきた韓国に対しては、「ウォン」とカタカナ表記をし、そのまま「ウォン」と読むという相手国漢字音(現地発音)尊重主義となっている。つまり態度に使い分けが生じて
>>5 なんかロボットアニメとかの主人公が叫んでそうだな。 主<喰らえ!必殺クーゲルシュライバー!!!
ドイツ語の gehen / kommen と日本語の「行く」/「来る」を比較してみると、基本的用法は同じである。つまり、話し手が視点の中心となって主語の移動を表現する場合、話し手から遠ざかる動きは gehen /「行く」で、話し手へ近づく動きは kommen /「来る」となる。 Der Herbst ging, der Winter kam. 秋は去り、冬が来た。 しかしドイツ語と日本語とでは、違いもある。話し手が視点の中心となっている場合、主語が聞き手へ近づく動きは、日本語では「行く」だが、ドイツ語では gehen ではなく kommen を使用しなければならない。これについて、クラウン独和辞典第4版では次のように述べられている。 Kommst du auch? ― Ja, ich komme gleich. 「君も来るかい」「ああ、すぐ行く」 この場合 Ja, ich gehe gle
日本とドイツの料理の違いということになると、野菜の料理法がまず気になるところである。この点で伝えるのに困る料理用語に「あく」がある。 「灰汁」ならLauge(アルカリ液)であるが、料理でいう「あく」はこれとは違う。因みに「灰汁を抜く」にあたる動詞auslaugenは、料理では、おいしさの元であるエキスや栄養が抜けてしまう、という否定的な意味で用いるようである。 「あく」は肉類の煮物や吸い物では、微細な肉片のことで、汁を濁らせてしまう料理の大敵である。日本では、汁が沸騰する前に泡とともに表面に浮き固まってきたのを、オタマなどで丹念にすくい取る。ドイツ料理でも、いわゆるklare Suppeではこの種の小肉片をFlockeと呼んで気にし、これを除去して澄んだスープにするが、日本人のように料理の途中にちまちま除去しようとしないで、スープが出来た後でausseihen(漉す)ようである。 問題なの
韓国では、漢字を廃止しようとすることによって、漢語の発音は残っても、語義が不分明となる例も生じている。韓流ドラマとして一世を風靡した「冬のソナタ」は、原題は「キョウル・ヨンガ」であった。キョウルは、冬を意味する固有語で、韓国の人ならば当然、語義は理解される。しかし、「ヨンガ」とは何かを正確に理解している人となると非常に少ないようだ。漢字で「戀(恋)歌」と記してあっても、漢字を読めなくなっている一般の人々の間では、それは飾りに過ぎないのだそうだ。 韓国では、他の曲名や「…カ(ガ)」という熟語の例から、「ヨンガ」も何となく「歌の一種なのかな」と類推はされるのだそうだ。しかし、たとえ固有名詞であっても、語義が気になって、辞書で確かめてみないものだろうか、などというのが日本の人々に見られる意見である。それは、日本では、仮に「れんか」と仮名で書かれていれば、(カタカナによる明らかな外来語と思えば、無
PISAの読解力は多文化主義をとっている。いろいろな国からいろいろな文化を反映した問題を募集して採用しているのだという。 多文化主義。いい響きだ。さまざまな文化が平等な立場で共存できるような感じ。かくして世界平和が達成される――ような気さえする。 読解力は言葉が勝負。多文化主義とくれば多言語主義といきたいところだが、そうは問屋がおろさない。いろいろな文化を反映しているのはいいが、それがいろいろな言葉で書かれていたら、いろいろな国の子どもが受ける国際テストとして成り立たないからだ。 PISAの言語に関して、「調査問題の国際標準版は英語及びフランス語で用意され」ているという(1)。英語表記とフランス語表記の問題を正文とし、それを各国語に翻訳して使うのである。多文化主義だが二言語主義なのだ。 これがどういう状況かというと、たとえば日本文学を素材として日本語で問題提案したとしよう。提案された問題は
正月になった。「ご飯にするとお茶碗3杯分」と数えたりしながらお餅(前回)を食べる。焼いては砂糖醤油を付け海苔で巻いて食べ、雑煮に入れては味をしみ込ませて食べと、正月太りの一因となるものだ。 小学生の頃、日本海に面した田舎で、正月の前後に、炊きたてのもち米から杵と臼で餅を搗きあげる大人たちを見た。売られている切り餅しか知らなかった子供は、まだところどころに米粒が姿を残したままの搗きたての餅のことを、「こんなものは本当の餅ではない」とむしろ思ってしまった。 さて、新年には、今年の抱負、などと称して色々な計画を立てたり、夢を抱いたりするものだ。それがあまりに実現不可能なものであれば、「絵に描いた餅」と言われてしまう。すなわち「画餅」という語は、日本ではガベイ、ガヘイ、ガビョウと様々に読まれる。 「絵に描いた餅」で実際にイメージされる「餅を絵に描く」とどういうものになるだろうか。実際に尋ねて描いて
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