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戦国武将・明智光秀が1582年(天正10)年6月2日、主君の織田信長を討った「本能寺の変」。教科書にも載る歴史上の出来事だが、光秀が前夜に京都市に隣接する京都府亀岡市の亀山城から出陣したことは意外に知られていない。謀反を起こす前の光秀はどんな思いを抱いていたのだろうか。今年の大河ドラマの主役になり例年になく脚光を浴びるなか、438年前に光秀の軍勢が夜通し京の本能寺へ向かったルートを記者3人がたどってみた。 ■亀山城跡の隣接地から出発 《亀岡は明治維新まで「亀山」と呼ばれていた。明智光秀は1577(天正5)年、丹波攻略の拠点として亀山城を築城した》 午後10時 JR亀岡駅正面、南郷公園(亀岡市古世町)に、昨年5月にお目見えした「明智光秀公像」。亀山城の跡に隣接したこの場所を出発点とした。満月がこうこうと夜道を照らす。気分が高揚し、馬のいななきや軍勢のたけだけしい声が聞こえた気がした。 <15
【読売新聞】 新型コロナウイルスの流行前の生活に戻すと、7月中に、東京都内で再び大きな流行が起こる可能性があるとする試算を、北海道大の西浦博教授(理論疫学)らの研究チームがまとめた。 研究チームは、5月下旬までの東京都内の感染状況の
将棋の藤井聡太七段が、緊急事態宣言の解除を受けておよそ50日ぶりに臨んだ対局で勝ちを収め、タイトル挑戦の最年少記録の更新に王手をかけました。 対局は、八大タイトルの1つ、棋聖戦の挑戦者を決めるトーナメントの準決勝で、相手は「名人」をこれまで3期獲得しているトップ棋士の佐藤天彦九段(32)です。 午前10時から始まった対局は、先手の藤井七段が的確な指し回しで次第に優勢になり、午後7時33分、111手までで佐藤九段を投了に追い込みました。 勝った藤井七段は、4日に行われる決勝にも勝てば、自身初のタイトル挑戦者として、今月8日から始まる棋聖戦の五番勝負に出場し、タイトル挑戦の最年少記録を31年ぶりに更新することになります。 藤井聡太七段は対局が終わったあと、別室で会見に臨みました。 まず2日の対局について聞かれると「激しい変化の多い将棋でしたが、全体的には手厚く指すことができたのかなと思っていま
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