加藤ひろあき ミュージシャン、タレント ON 目の前のイカダに、目が点になりました。長めの竹をつなぎ合わせてつくったそれは、どう見ても頼りない。ラフティングをすると聞いていたけれど、これ? インドネシアの南カリマンタン州バンジャルマシンに私はいました。地上波テレビ局がつくる旅番組の「外国人リポーター」としてです。密林の中を流れる川はけっこうな流れ。なんか雲行きも怪しいし。こんなんで、大丈夫か? 不安な思いがぬぐえませんでしたが、視聴者のため、やるしかない。ラフトとは名ばかりの竹のイカダに乗り、エイヤッで川にこぎ出しました。案の定、スコールが降り出し、水かさが増えて激流と化した川の中で竹製イカダはあやうく転覆。スタッフとともに慌てて陸に上がり、大きめのバナナの葉っぱを傘に見立てて差し、雨宿りしました。まるで、トトロの世界です。 2014年4月からジャカルタを拠点に活動しています。本職はミュー
筆者おすすめの「聖林館」のマリナーラ。同店のピッツァはこれとマルゲリータの二種類のみ。 私には、日本滞在中は日本食しか食べないというルールがある。中華もフレンチもスペイン料理もなし。「ラーメンや天ぷらは日本食なのか?」という反論もあろうが、あれほど独自の洗練を遂げ、完成度も高まった料理のこと、私を含め、ほとんどの人にとってもはや日本食といっていい。それに、私はラーメンと天ぷらが心底好きなのだ。この楽しみを我慢するなんて、修行僧でもあるまいし。 でもこのルール、子どもたちにはほとんど通用しない。次に出る本のリサーチで今年再び日本を訪れているわが家だが、いくら息子たちが何でも臆せず食べるといっても夕食の決断はときに一苦労。そこで頼りになる唯一の非日本食、それがピザだ。 例によって、ピザも日本独自のものをつくりだしている日本人だが、ラーメンや天ぷらに比べると何かがおかしい。スポンジのように恐ろし
宮家あゆみ ライター、翻訳者 Photo: Sako Kazuyoshi 『When Breath Becomes Air』は、2013年に36歳の若さで末期の肺がんを宣告され、昨年この世を去った脳神経外科医ポール・カラニティが、死の直前まで執筆していた回想録。今年1月の発刊以降、ベストセラーリストの1位を独走している。 カラニティは、文学を志してスタンフォード大学で英文学と人類生物学を専攻。作家を目指す道も考えたが、人間が生きる意味を追求していくには、医者になるべきだと考え、ケンブリッジ大学で医学分野の修士号を取得。さらにイェール大学の医学部を卒業後、スタンフォード大学の医学大学院に進学した。 ステージ4の肺がんを宣告されたのは卒業後の研修期間の最終年。脳神経外科手術の確かな腕と患者の治療に対する真摯(しんし)な姿勢、そして研究論文も高く評価され、医師としての輝かしい未来が開けた矢先のこ
人前で話すのが、大の苦手だ。外向的で話し好きに見えるらしいのだが、実は物心ついた頃から引っ込み思案。「笑いをとれてなんぼ」の関西に育ち、みんなの前でおもしろく話すクラスの人気者を横目に、コンプレックスを強めた。でも、いまだぬぐえぬ苦手意識を周りに打ち明けると「私も」という人ばかり。なんだか勇気づけられ、うまいスピーチへの手がかりを探してみようと思った。 とう・えりか 1970年生まれ 私が通った京都府の公立小中学校では、みんなの前でいかにうまく話して笑いをとれるかで、クラス内の地位が決まった。「スクールカースト」なんていう言葉が出てくるはるか前のことだが、どのクラスにも、「カースト」の上位にはお笑い芸人のような男子や女子がいた。 小学校3年の時のことだ。休み時間のおしゃべりで、好きな芸能人はだれかが話題になった。「志村けん」「ピンク・レディー」といった名前が挙がる。物心ついた頃から親が見る
大きなリボンにどぎつい原色の衣装。甘いような辛いような。バランスいいような悪いような。デビュー直後、当時18歳だったきゃりーぱみゅぱみゅ(23)に取材した時、記者はその個性に衝撃を受けた。 5年ぶりに対面したきゃりーは少し落ち着いた印象だ。「あの頃は、気持ちは無敵。なんでも自分でやってやるって感じ。いまは、チームで何かを作りたい。私がやりたいことって1人ではできないから」 今年3月、小雨が降る東大阪市花園ラグビー場でのライブ。きゃりーが芝生の上の特設ステージに姿を見せると、客席の空気が一変した。「(楽しすぎて)キレるっ!」。10代の女の子たちが、リズムに合わせて跳びはねる。会場は「きゃりー一色」に染まっていったが、本人は聴衆をあおるわけでもなく、曲間のMCは結構フツー。歓声と熱狂を前にしても決して感情過多にならない。 ステージに立つそんな自分を、きゃりーは子どもの頃に憧れた「美少女戦士セー
■「いい加減」は「よい加減」? 「目が回るような忙しさ。スタッフが高速回転している」 「全員をトイレに誘導し、サロンに戻す一連の動きは職人芸」 実習当時の日誌を読み返すと、介護職員のハードワークぶりに圧倒された記憶が生々しくよみがえる。 今年1~3月、記者(浜田)は社会福祉士の資格取得のため、東京都内の特別養護老人ホームで9日間、実習した。入居者のほとんどは認知症で、要介護度は重い。起床、着替え、排泄、食事、入浴など日常生活のすべてに介助が必要だ。昼間は入居者ら約60人に対して10人以上の職員が働く時間帯もあるが、それでも超多忙だ。 みんな、本当に一生懸命、効率的に働いている。でも、入居者と一緒の時間を楽しむような余裕は少ない。職員は動き回り、入居者は広間でテレビを見ながら座っていることが多い。 同じころ、スウェーデンの高齢者施設で認知症ケアを実習するツアーにも参加した。場所は、スウェーデ
脳の細胞が壊れることで、記憶が抜け落ちるなどさまざまな症状が出る認知症。この病に苦しむ人は世界で5000万人に迫るが、いまだ特効薬は生まれていない。 認知症の半数以上を占めるアルツハイマー病の場合、薬は4種類ある。エーザイが1990年代に発売した「アリセプト」はその代表格で、ピーク時には世界で年3228億円を売り上げた。だがいずれも症状を改善する対症療法で、進行を数カ月から2年弱、遅らせるだけだ。それでも人々は、薬にすがる。 こんな状況を劇的に変えるかもしれない新薬の開発が、海外で進む。 ロンドン郊外に住むジョナサン・グレンジ(73)は、2年前にアルツハイマー病と診断された。以来、台所に真っ青な錠剤を置き、朝晩1錠ずつ飲んでいる。 10年ほど前に退職したジョナサンは、しばらくすると、今日が何曜日なのかを思い出せなくなった。お金の計算もできなくなり、たどりついた診療所でアルツハイマー病と診断
脳の細胞が壊れることで、記憶が抜け落ちるなどさまざまな症状が出る認知症。この病に苦しむ人は世界で5000万人に迫るが、いまだ特効薬は生まれていない。 認知症の半数以上を占めるアルツハイマー病の場合、薬は4種類ある。エーザイが1990年代に発売した「アリセプト」はその代表格で、ピーク時には世界で年3228億円を売り上げた。だがいずれも症状を改善する対症療法で、進行を数カ月から2年弱、遅らせるだけだ。それでも人々は、薬にすがる。 こんな状況を劇的に変えるかもしれない新薬の開発が、海外で進む。 ロンドン郊外に住むジョナサン・グレンジ(73)は、2年前にアルツハイマー病と診断された。以来、台所に真っ青な錠剤を置き、朝晩1錠ずつ飲んでいる。 10年ほど前に退職したジョナサンは、しばらくすると、今日が何曜日なのかを思い出せなくなった。お金の計算もできなくなり、たどりついた診療所でアルツハイマー病と診断
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