剥がせる何かがある気がしていた。オブラートに包む……いや、きっともうオブラートも知らないか、ゼリーと一緒につるんと薬を飲んだ世代だろうか。そんなことはどうでもいい。清宮選手の「きちん」とした姿に私はずっと「包まなくてもいいのに」と思ってきた。 次から次へと訪れる波を乗り越える2年 オフになるのが早いと早いなりに起こることもある。選手の体のメンテナンスもそのひとつ。10月7日からのフェニックス・リーグに参加する予定だった清宮選手が手術をするという。古傷の右肘、リハビリは3か月、今なら春のキャンプに間に合う。 木田GM補佐(当時)が左手でくじを引き当てたあのドラフトからもうすぐ2年。清宮選手が21番をつけてからの2年は、次から次へと訪れる波を乗り越える2年でもあった。 1年目は、 1月 新人合同自主トレ中に右手親指付け根骨挫傷 2月 キャンプ後半に急性胃腸炎で点滴治療 3月 腹膜炎で入院 7月
「ロス」が来ない。シーズン前から覚悟していた田中賢介選手のラストシーズン。優勝で花道を飾ることは出来なかった。引退セレモニーも終わったし、次の日のスポーツ新聞も隅々まで読んだし、何よりシーズンが終わってしまったし、事実は受け止めている。もう「けーーんすけーーー」とコール出来ないこともわかっている。だけど、「ロス」がまだ来ない。私はまだ、泣いていない。 “9月27日”を見ると、いつも2006年のことを思い出す 9月12日。この日付の意味を知らないまま、旧本拠地・東京ドーム最後の試合を迎えた。北海道に移転する前の2000年入団の賢介選手にとっては大切な場所だ。調べると、なんとこの日が1軍デビューの日だった。同じ東京ドームで。2000年の9月12日、ライオンズ戦。7回の守備から途中出場、それが1軍初出場の試合だったそうだ。 「足が震えたのを覚えている」 その19年後の同じ日に今度はその場所でのラ
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