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東京ヤクルトスワローに関するazu_mirのブックマーク (2)

  • ギャオス内藤さんが教えてくれた“栗山英樹選手”スワローズ時代のいい話 | 文春オンライン

    栗山英樹監督には上沢直之投手以外にも「なお」と呼ぶ人がいる。内藤尚行さん、ギャオス内藤さんだ。7つの年の差、スワローズで4年間チームメイトだったギャオスさんは「僕はずっと栗さんて呼んでますよ」と微笑んだ。現役の頃の栗山選手について成績を調べることはすぐに出来るけれど、当時のチームメイトとのエピソードまではなかなかわからない。ギャオスさんとの会話の中で私は「栗山選手」にちょっとだけ会えた気がした。 昨年の夏、HBCラジオの公開収録のゲストがスワローズOBのギャオス内藤さんだった。北海道に住んでいる私たちがギャオスさんとご一緒することがあるなんて思ってもみなかったので、当に貴重な時間を戴いた。 その日の札幌中心部、屋外の道庁赤レンガ庁舎のすぐ目の前の会場はいつ雨が落ちてもおかしくないくらいの曇り空。でも大勢の方がギャオスさんの話を楽しみに集まってくれた。ギャオスさんはイメージ通りの方だった。

    ギャオス内藤さんが教えてくれた“栗山英樹選手”スワローズ時代のいい話 | 文春オンライン
  • 水没した戸田球場を前に、考えたこと、感じたこと | 文春オンライン

    水没した戸田球場を前に、言葉を失う…… それは、我が目を疑う光景だった。事前にツイッター上に挙げられていた画像は見ていた。当日の朝に更新されたつば九郎のブログ『つば九郎ひと言日記』の「いちやあけて。」も読んでいた。それでも、「信じたくない」の思いが強かった。「何かの間違いではないのか?」「誤報であってほしい」と思いたかった。1999(平成11)年にも同様のことがあったが、そのときは報道でしか見ていなかったので、僕にはリアリティはなかった。 しかし、目の前に広がる光景を見ていると、「確かに戸田グラウンドは水没したのだ」という現実を受け入れざるを得なかった。いつもの見慣れた光景はどこにもなく、言葉を失うしかなかった。伊藤智仁のラスト登板の舞台となった戸田球場。宮慎也が自費を投じて作った通称「宮フェンス」。今年限りで引退した三輪正義が何度も何度もバント練習をしていたサブグラウンド。いずれもか

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