改正臓器移植法が13日に成立し、これで日本人にとって死は脳死ということになったと言ってよいだろう。もちろん、死のとらえ方は個人の領域の問題でもあり、改正法によってもその人の生前意思として脳死は死ではないのだと言うに等しい余地は残されている。それでも私は違和感が残った。「脳死は人の死か」というこの難問の根幹についてではない。その問題についてなら、いささか奇妙な視点ともいえるが、「[書評]昏睡状態の人と対話する(アーノルド・ミンデル)」(参照)、「極東ブログ: [書評]記憶する心臓―ある心臓移植患者の手記(クレア・シルヴィア他)」(参照)、「極東ブログ: [書評]内臓が生みだす心(西原克成)」(参照)などともあわせて、自分なりの考察してきたし、今後も機会があれば進めたいと思っている。 違和感は、衆院選挙に向けて拙速に決めてしまった政治屋や、本来こうした問題こそ政党に問われるべきことが党議拘束を