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ブックマーク / shyouhei.tumblr.com (3)

  • Rubyがそろそろ一回終わってみるべき10の理由

    いや、Rubyを取り巻く皆さんの生活まで終われとは言ってないですからね。終わってみるべきなのはRubyのコア部分の開発。 1) 百年の大計の欠如 https://twitter.com/yukihiro_matz/status/25168548474 によると、100年や200年続けるべきなんだそうだ。ふーん。100年って言ってみたいだけちゃうんか。200年後といえば人はおろかまつもとゆきひろと面識のある人間すら死に絶えている時期なんだけどな。そこまで続けたきゃどうするればいいか真面目に考えたことあんのかね。日国ですらこの120年で2回も憲法変わってんだぞ。惰性で200年もつわけがないだろ。 2) まつもとゆきひろがスケールしない 御存知の通りまつもとゆきひろのRuby開発に対するコミットペース(ここでいうコミットってのはソースコードをチェックインすることだけではなくて広く「関与」の意

    Rubyがそろそろ一回終わってみるべき10の理由
  • Rubyがそろそろ一回終わってみるべきに至る道

    前田先生ほどの人がアイタタな読み間違いをしている のを発見して、すこしコンテクストを解説しておいたほうがいいと思った。 まずまつもとゆきひろは(Rubyを)100年続けると威勢がいい。が、その割に掛け声ばかりで実際どのようにして100年続くことが可能かについて何も語らない。特に人がいなくなってからの流れを整備しようという話にならない。前の項にも書いたが、100年続けるなら一人では無理なのにだ。一方、続けないとなると無論終わるしかないわけだが、終わるというのもそれはそれでテクニカルである。大抵の言語は終わるとなると不幸な終わり方しかしない。どっちに転ぶにしろ大変難しい領域があることがわかる。 ところで最近、様々な事案について責任者不在で議論が進まない状況が多々見られるようになってきた。一例をあげるなら標準添付ライブラリのGem化の話題は、あとは責任者がGoとかStopとか言うだけのところま

    Rubyがそろそろ一回終わってみるべきに至る道
  • あえて言うがRuby会議はそろそろ一回終わってみるべき。

    表題のようなことを実は2007年のやつの後くらいから思ってて、今年はほとんど確信に近くなっている。Ruby会議2009最終日にうっかり角谷さんの電波(自称)を浴びてしまったせいで、当日は「あー、俺より角谷さんのほうがちゃんと考えてて、でも逃げてないんだなあ」とか思った。思ったが、一日たって冷静に考えてみたら、やっぱ逃げてもいいと思うよ。なので当初考えていたとおりに書くことにする。 (1) おまえらの仕事は品質過剰です。 Ruby会議は世間のカンファレンスの相場から考えると、クオリティに比して参加費が異常に安い。クオリティの高さに関しては素晴らしいとは思うが、それの費用は安すぎだと思う。 なぜRuby会議はあのクオリティで開催できるのか、一回きちんと考察してみるべきだ。俺には参加費の代わりにおまえらのモチベーションを削ぎ落としながら燃料にしてオペレーション回してるようにしか見えない。横から見

    あえて言うがRuby会議はそろそろ一回終わってみるべき。
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