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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/aureliano (6)

  • id:y_arimさんは一度ガツンと殴られた方が良い - ハックルベリーに会いに行く

    id:y_arimさんは、自分のことが好きになれないと言っている。そうであるなら、一度ガツンと殴られた方が良い。これは比喩的な意味ではなく、文字通り、肉体的に、ガツンと一発(あるいは二発三発)殴られるということだ。アントニオ猪木さんにビンタしてもらうのでも良いが、一番良いのは、ボクシングジムに通うことだ。そこでトレーニングを積んで、スパーリングをするまでになれると良い。そうして、そこでガツンと殴られるのだ。どうせなら、ノックアウトされるくらい、手ひどく殴られると良い。いわゆる、ボコボコにされるというやつだ。 殴られるというのは、当に大きな効果がある。それはアイデンティティを粉々に打ち砕かれるし、生命の危機を感じる。耳の奥でツンと耳鳴りがして、頭がクラクラとする。意識が朦朧とする。そうした中で、身体の内奥に、何かたぎるような情念のほとばしりが生まれるのである。それが、生きるということの欲求

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    boxeur 2009/01/23
    ハックルベリーを殴りに行こう!
  • コミュニケーション能力という幻想 - ハックルベリーに会いに行く

    増田にこんな記事があった。新卒時の面接でさえなかなか通らない位コミュニケーション能力に欠けている。(中略)コミュニケーション能力がない人間は職もないとじわじわ選択を迫るのならいっそのこと殺してほしい。30歳で死のうと思っている ここで増田は「コミュニケーション能力」などと言っているが、しかしそれは幻想だ。コミュニケーションは「能力」ではない。「意志」である。アメリカという国そのものの礎を築いたベンジャミン・フランクリンは、自分のつたない話し方が長年のコンプレックスだったらしいが、長じるに連れ、「むしろつなたない話し方の方が多くの人が丁寧に聞いてくれることに気付いた」と言っている。そこから、人前で話すのが億劫ではなくなったそうだ。 「コミュニケーション能力が低い」などというのは言い訳に過ぎない。要は「コミュニケーションしたくない」というだけなのだ。する意志がないだけなのである。それを能力など

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    boxeur 2008/12/22
    能力が無いのではなく、意思がない。これは強烈なコロシ文句だな
  • 電車の中でマンガを読んでいるのは別の意味でみっともないと思ってしまう - ハックルベリーに会いに行く

    増田に、いい歳して漫画読んでるなんて、恥ずかしくない? という記事があったのだけれど、これを読んで、そう言えば電車の中でマンガを読んでいる人は当に少なくなったなあということに思い至った。 ぼくは今、毎日電車に乗って仕事場まで通っているのだけれど、最近は車内でマンガを読んでいる人というのをとんと見かけない。よく見かけるのはやっぱりケータイをいじっている人だ。一番はメールなのだろうけど、ネットを見たり、ゲームをしたりしている人もいるように思う。次によく見るのが携帯ゲーム機で遊ぶ人で、DSかPSPをやっている。これはけっこういい歳をした大人がやっている。普通の勤め人ふうの人がホームにいる時からやっていたりして、携帯ゲーム機が広く一般に普及しているというのがあれを見るとよく分かる。それからたまに新聞を読んだり雑誌を読んだり、あるいはを読んでいる人を見かけるのだけれど、マンガを読んでいる人という

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    boxeur 2008/11/30
    ジャンクフードに近い形態なんだよね。それがわからないとそりゃ楽しめんよ。
  • 映画の見方における「正解」について - ハックルベリーに会いに行く

    とある「崖の上のポニョ」に関する記事の中に、こういう記述がありました。「批評」を、算数ドリルの答え合わせのような、どこかに確たる「正解」があって、自分はそれを知っているかのように作品を「採点」することだと思っている人が多すぎやしないでしょうか。みんなが知っているような「正解」とは違う、自分には思いもよらなかったような新しい答え方を、作品の中に発見する営みのことを批評と呼んだ方が、僕はいいと思います。どきどきのような!ふしぎのような!−「崖の上のポニョ」について− - 宮大人のミヤモメモ これについて、ぼくの思っていることを述べます。 まず、映画の見方について、ぼくの考える映画の見方の「正解」というのは、「どう解釈するか?」ということの中にはありません。「崖の上のポニョ」をどう解釈しようと、それは自由だと思います。その映画の解釈に、一つの絶対的な「正解」があるわけではない。ポニョを可愛いと

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    boxeur 2008/08/19
    高級料理は寝そべって食っても知識無くても旨いぞ. その映画が真に高級料理なのか, それともたぬきに化かされて葉っぱ食ってるのかは本人の知ることろではないがね/作者と読者の乖離は他人としてみれば面白いぞ
  • クレタ人には生きにくいはてな村 - ハックルベリーに会いに行く

    クレタ人「クレタ人は嘘つきだ」村民「いいえ、自分で自分を嘘つきだと認められる人は当は正直な人です。嘘つきではありません」クレタ人「……」 クレタ人「クレタ人は嘘つきだ」村民「じゃあおまえの言うことは嘘なのだな? 認めるのだな?」クレタ人「……」 クレタ人「クレタ人は嘘つきだ」村民「おおい、みんな! こいつは嘘つきだから信用ならねえぞ!」クレタ人「……」 クレタ人「クレタ人は嘘つきだ」村民「あーあ、嘘をつくにしてももう少しうまくつけばfromdusktildawnになれたのに」クレタ人「……」 クレタ人「クレタ人は嘘つきだ」村民「そうやって論点をぼかしているのですね、わかります」クレタ「……」 クレタ人「クレタ人は嘘つきだ」村民「それが気かネタか分からないけれど、気だったら痛いし、ネタだとしても面白くない」クレタ人「……」 クレタ人「クレタ人は嘘つきだ」村民「そんなのはクレタ人の世界で

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    boxeur 2008/08/12
    クレタ人「クレタ人は嘘つきだ」 村民「だせぇ」「一ヶ月だけ思い切り頑張れば禿鷹になってfromdusktildawnを超越できるのに」
  • もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら - ハックルベリーに会いに行く

    はじまりもし高校野球の女子マネージャー(名前は仮にみなみちゃんとしよう)が、ドラッカーの「マネジメント」を読んだら、彼女はきっと驚くだろうな。なぜなら、そこには彼女が所属する野球部と、彼女自身のことが書いてあるからだ。「マネジメントなしに組織はない」「マネジメントは企業だけのものではない」「マネジャーをしてマネジャーたらしめるものは、成果への貢献という責務である」 「所属する野球部に何とか成果を出させたい。そのためには自分に何かできることをしたい」そう考えていたみなみちゃんは、このが「自分のために書かれたもの」であることを確信する。だから以降、そこに書かれていることを脇目も振らず実践するようになる。 野球部におけるマネジメントの役割みなみちゃんは、「マネジメント」を読み進める。するとドラッカーは、マネジメントには三つの役割があると説く。そこでみなみちゃんは、それらについて一つ一つ自分に当

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    boxeur 2008/07/13
    能率の悪いきつい練習の後に(半ば強制的に)ボランティア活動に従事させられて学業がおろそかになり部活を控えざるを得なくなって結果野球のパフォーマンスが下がるんですね><
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