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ジェンダーに関するcad-sanのブックマーク (49)

  • 宇崎ちゃんポスターについて、萌コンテンツ好きなオタク女の立場での気持ちの話と、考察にもならない仮定の話と妄言。|あんきも|note

    宇崎ちゃんポスターについて、萌コンテンツ好きなオタク女の立場での気持ちの話と、考察にもならない仮定の話と妄言。 まずこの記事も、そもそもお気持ちの表明でしかなく、萌オタクを代表する気もなければ胸のでかい女を代表する気もないことを前提として伝えておきます。また、あの絵を見て傷ついた同じような体型を持つ女性の気持ちを否定する気はないし。そもそも気持ちは自由だし。ただこういう考えの人間もいることを誰かに伝えたかったのと自分のやり場のない気持ちを整理をしたかったので書いてみました。 まず、立場としては萌コンテンツが好きなオタクで、そして、下着屋店舗を駆けずり回ってサイズを探してもなかなか自分のサイズのブラがないタイプのデカ乳女である。レイプなどの大ごとはなかったものの、痴漢やキャットコール、追いかけやつきまとい、セクハラなどの性的被害は一通り経験してきた側の人間だ。 今回の騒動の初見としては、あー

    宇崎ちゃんポスターについて、萌コンテンツ好きなオタク女の立場での気持ちの話と、考察にもならない仮定の話と妄言。|あんきも|note
  • ひろゆきさん、どうして「今の日本では“フェミニズム”って言葉を使わないほうがいい」のですか?

    「メディアが取り上げて、『男女平等が当たり前だよね』と言い始めたのは、ここ10年くらいじゃないかな。それもインターネットメディアが増えたからじゃないかな」

    ひろゆきさん、どうして「今の日本では“フェミニズム”って言葉を使わないほうがいい」のですか?
    cad-san
    cad-san 2020/02/08
    ひろゆきなのが癪だが、実際(ひろゆき世代の)男性の一般認識ってこの辺じゃないかなぁ。若い人はまた違うのだろうけど。マスにとって受け入れやすい方法で切り崩していったほうが良いのはその通りだと思う。
  • あるトランス女性が見た北村紗衣『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』 - ゆなの視点

    北村紗衣先生による映画評論『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』が、書肆侃侃房さんより出版され、小規模な出版社から出たアカデミックな身分の著者(北村先生は、私自身は拝読したことがないのですがすでにシェイクスピアに関する単著も出されている、シェイクスピア研究者です)によるとしては珍しいような売れ行きを示しているそうです。 このが注目を浴びているのは、おそらくそれがフェミニズムの視点からさまざまな映画作品を批評するというものだからでしょう。多くのひとがそうした視点を、あるいはそうした視点から見たことを語る術を求めていたということでしょう。 この記事ではそんな話題の『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』に対し、否定的な話をしたいと思っています。 いくつか、先に断っておきたいことがあります。 まず、この記事を書いている私は何者なのか。これに関しては、多くを語ることはできません。ひとつだけ言えるのは、

    あるトランス女性が見た北村紗衣『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』 - ゆなの視点
  • 男性の価値をモテで測ってはいけない。それは男性へのセクハラであるうえ、女性への加害にもつながる。|ショーンKY

    先日、小宮友根さんが表現規制についてエッセイを書いていた。それに対する評論はアンコリさんがやっているが、基的には「累積的な抑圧経験」によってそれを想起させる表現への対抗を正当化していてる。 私はこれを読んでいた際、小宮さんの議論に則ったうえでメンズリブの議論をする、ということが可能であることがどうしても気になった。男だって……という論法はwhataboutismだと思うので、前回評論である「表現規制論と女性の自発的モノ化」ではあえてやっていなかったが、彼のエッセイを読んでいた際、whataboutism以上のものであるのではないか――ということが気になったのである。 男性に対する

    男性の価値をモテで測ってはいけない。それは男性へのセクハラであるうえ、女性への加害にもつながる。|ショーンKY
    cad-san
    cad-san 2019/12/10
    何となく、痴漢被害と同様の非対称性問題ではないかと言う気もしている。痴漢を行う男性が少数だが、被害にあった女性が多数派である事と同様、モテない事を揶揄する女性はごく少数なのかもしれない
  • 牟田和恵氏の宇崎ちゃんポスター批判に対する吉峯弁護士の反論

    弁護士 吉峯耕平 @kyoshimine 職である牟田先生の意見が明示されたことは、ありがたいですね。 しかし、形式的論拠(女性差別撤廃条約)は、解釈も経緯も説明せず、印籠的にガイドラインを示すだけ、実質的論拠として挙げた「モノ化」も、中身の説明はありません。 深堀りがなく、Twitter論客と大して変わらないのは残念です。 twitter.com/peureka/status… 2019-11-02 12:49:41 弁護士 吉峯耕平 @kyoshimine 牟田先生は、女性差別撤廃条約に言及した上で、宇崎ちゃんポスターの擁護者を「「女性差別」がわからない」と論難します。宇崎ちゃんポスターは女性差別だという立場なのでしょう。 女性差別撤廃条約における「女性差別(discrimination against women)」は、以下のように定義されています。 2019-11-02 13:1

    牟田和恵氏の宇崎ちゃんポスター批判に対する吉峯弁護士の反論
  • 女性が「怒る」ことになぜ社会は不寛容なのか、その歴史的経緯(小野寺 拓也) @gendai_biz

    社会には「感情表現のルール」が存在する フェミニスト的発言をする女性は怒りっぽく、感情的であり、過激であり、不寛容である。 そのような言説が、ネット上には溢れている。 一人一人の「フェミニスト」とされる人物の発言が当に過激で不寛容なものであるかの判断は、とりあえず措いておく。個人的に気になるのは前段、フェミニストの女性は「怒りっぽく、感情的だ」という言説である。 ネット上で男性論客が過激で不寛容な発言をしたとしても、「怒りすぎだ」という理由で批判される頻度は、女性論客と比べると格段に低いし、その怒りが許容される度合いもはるかに高い。しかし、フェミニスト女性の言動について「怒りっぽい」と述べるだけで、その発言の信憑性が低いと言外に示唆することが可能となる。 発言内容の妥当性ではなく発言の仕方によって批判を行う「トーン・ポリシング」という概念も徐々に知られるようになってきているが、「トーン・

    女性が「怒る」ことになぜ社会は不寛容なのか、その歴史的経緯(小野寺 拓也) @gendai_biz
    cad-san
    cad-san 2019/07/15
    昔から感情に捕らわれずコントロールすべきとされてきて、男はコントロール出来るが、女と子供は出来ないと考えられていた。その余波は現在も続いているという記事。ただ、男性の怒りに寛容であるとは書かれていない
  • #MeToo で犯行予告「男の家に刃物を持って押しかける」「手帳持ちだから警察は怖くない」とジェンダー法学会で参加者が発言

    山口貴士 aka無駄に感じが悪いヤマベン @otakulawyer ジェンダー法学会での#metooの内容 には、具体名を出した男性宅に刃物を持って押しかける、手帳持ちだから警察は怖くない等もありました。内容を事前に知りながら止めもせず、発言を制止しないどころか、適切なタイミングと言ってしまうのは、極めて非常識だと思います。 m.facebook.com/mayumi.taniguc… 2018-12-08 15:17:32 山口貴士 aka無駄に感じが悪いヤマベン @otakulawyer ジェンダー学会での #metoo の様子を聞いた限りでは、精神を病んでいても不思議ではないし、相当思い詰めているとも思えたので、当該男性には連絡をして、警戒するように促しました。 2018-12-08 15:30:24 山口貴士 aka無駄に感じが悪いヤマベン @otakulawyer 当該男性とは一

    #MeToo で犯行予告「男の家に刃物を持って押しかける」「手帳持ちだから警察は怖くない」とジェンダー法学会で参加者が発言
    cad-san
    cad-san 2018/12/10
    それなりに参加者がいるのに、山口弁護士以外に証言が少ないのが素朴な疑問。
  • 「ホモとゲイとオカマって何が違うの? フレディはどれなの?」と質問されたので、ざっくり整理してみた - Togetter

    ワッシュ(鷲羽大介) @washburn1975 この中では一番古くからある言葉は「オカマ」で、これは江戸時代に少年が売春していた「陰間茶屋」の「かげま」が訛ったものといわれています。 昭和時代には、女装して接客や売春をする人を指す言葉として広く使われ、「男らしくない男」を侮蔑する、差別用語のニュアンスもありました。 2018-12-02 10:48:38

    「ホモとゲイとオカマって何が違うの? フレディはどれなの?」と質問されたので、ざっくり整理してみた - Togetter
    cad-san
    cad-san 2018/12/04
    確かに、ボヘミアンラプソディ見て、日本における男性同性愛者と、向こうでのステロタイプって全然違うなぁと思ったな。
  • ごくごく個人的な、キズナアイが巻き込まれた騒動のまとめ

    キズナアイの件、だんだん疲れてきたので自分の見解をまとめることにする。 文章化しておかないと区切りがつかなくて永遠に頭の中グルグルしそうなので。 論点は二つあった。 キズナアイの格好はNHKに出せないくらい性的かどうかジェンダーロールの再生産になっていないか 1. キズナアイの格好はNHKに出せないくらい性的かどうか1. は個人的には問題ない。というか、フェミニスト側からは批判してはいけない部分だと思ってる。 Vtuberは一人の人格として独立していると私は見なす。中の人もいるし。一人の独立した人格に対して、性的だから公に出てくるなとフェミニズムが主張するのはおかしい。個人の選択の結果の服装は弾圧されるべきではない。女性は性的であるべき、という性役割の内面化と見る向きもあるかもしれないが、それは証明できない。そうであったとしても、自分から望んでそうしている人にそうするなと強要するのは内心の

    ごくごく個人的な、キズナアイが巻き込まれた騒動のまとめ