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心理と哲学に関するcastleのブックマーク (476)

  • 科学と信仰は脳のなかでは同じ、あるいは極めて同じ: 極東ブログ

    科学と信仰は脳のなかでは同じらしいという研究の話が一日のニューズウィークに載っていた。「Fact Impact」(参照)である。リードは「New study of the brain shows that facts and beliefs are processed in exactly the same way(最新研究によれば、脳は事実と信仰をまったく同様に処理している)」というものだ。トマス・クーンの科学論以降の知識人にしてみれば、科学と非科学の差というものはなく、どちらも信仰の差であり、ようするにその知識集団の政治的差異に過ぎないというのはごく当たり前ことのようだが、かといって、現実社会にあって非科学と科学を一緒にするわけにもいかないので、社会的な便宜で線引きはしている。それでも、「極東ブログ:[書評]正しく知る地球温暖化(赤祖父俊一)」(参照)で扱った、微妙だけど決定的な問題と

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    castle 2009/10/06
    「科学と非科学の差というものはなく、どちらも信仰の差であり、その知識集団の政治的差異に過ぎない」「信仰命題と非信仰命題は命題内容に依存していない」「非科学への過激な非寛容さ自体、あまり常識的ではない」
  • 内田樹の研究室 : オリジナリティについての孔子の教え

    2024 1月 - janvier 2月 - février 3月 - mars 2023 1月 - janvier 2月 - février 3月 - mars 4月 - avril 5月 - mai 6月 - juin 7月 - juillet 8月 - août 9月 - septembre 10月 - octobre 11月 - novembre 12月 - décembre 2022 1月 - janvier 2月 - février 3月 - mars 4月 - avril 5月 - mai 6月 - juin 7月 - juillet 8月 - août 9月 - septembre 10月 - octobre 11月 - novembre 12月 - décembre 2021 1月 - janvier 2月 - février 3月 - mars 4月 - avril 5

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    castle 2009/10/03
    「孔子は、その(規範的なものの)全てを伝統の創始者としての周公に帰した」「村上龍はかつてすべての小説は「人間が穴に落ちる」「穴からはいあがる/穴の中で死ぬ」という話型でできていると道破したことがある」
  • おまいらが生きてきて悟った真理を教えてくれ : 暇人\(^o^)/速報

    おまいらが生きてきて悟った真理を教えてくれ Tweet 1 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/30(水) 06:17:17.11 ID:6gubkuIz0 人は見かけじゃ分からない ■つい誰かに話したくなる雑学 8 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/09/30(水) 06:18:38.01 ID:9RTGrAOBO BE:2218450289-2BP(3500) 人は見かけである 【真・恋姫†無双も参戦!カオスオンライン】(日中のカードーゲーマーが集結!初心者でも今すぐ爽快なプレイを楽しめます) 5 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/09/30(水) 06:18:22.22 ID:kbd/tsy8O 生まれてきてごめんなさい 7 名前:以下、名無しに

    おまいらが生きてきて悟った真理を教えてくれ : 暇人\(^o^)/速報
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    castle 2009/10/02
    「イケメンかどうかでなく表情と姿勢とTPOである」「健康が一番ってのはガチ」「家持ちの凄さ」「勝とうと思わなければ生きることが楽になる」「考えるより行動」「正直者はバカを見る。でもそれで構わない」
  • 坂口安吾 教祖の文学 ――小林秀雄論――

    去年、小林秀雄が水道橋のプラットホームから墜落して不思議な命を助かつたといふ話をきいた。泥酔して一升ビンをぶらさげて酒ビンと一緒に墜落した由で、この話をきいた時は私の方が心細くなつたものだ。それは私が小林といふ人物を煮ても焼いてもへないやうな骨つぽい、そしてチミツな人物と心得、あの男だけは自動車にハネ飛ばされたり川へ落つこつたりするやうなことがないだらうと思ひこんでゐたからで、それは又、私といふ人間が自動車にハネ飛ばされたり川へ落つこつたりしすぎるからのアコガレ的な盲信でもあつた。思へば然しかう盲信したのは私の甚しい軽率で、私自身の過去の事実に於いて、最もかく信ずべからざる根拠が与へられてゐたのである。 十六七年前のこと、越後の親戚に仏事があり、私はモーニングを着て東京の家をでた。上野駅で偶然小林秀雄と一緒になつたが、彼は新潟高校へ講演に行くところで、二人は上越線の堂車にのりこみ、私の

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    castle 2009/10/02
    「美しい「花」がある。「花」の美しさといふ様なものはない」「人間と歴史は同じものだ。歴史はすでに終つてをり~然し彼らがあらゆる可能性と偶然の中を縫つてゐたのは、彼らが人間であつた限り、まちがひはない」
  • 心、他者というものの経験… - finalventの日記

    難しい話ではない。 よくわからないのだが、宮台真司だったか、昨今の若者の恋愛を、過剰流動性とか言っていたように思う。洒落なんだろうとは思うが、そのあたりの感覚は、自分にはあまりわからない。 なんとなく思うのは、恋愛経験のようなものを数量化しているのではないかな、と。 それと限らず、自分の二回りくらい(12*2)下世代だと、なにか、世界が数値化されているような感じがする。記号化というのだろうか。あまりいい比喩ではないが、タンポポが咲いている。私は、なんとなくタンポポをただ見つめていることがある。もちろん、タンポポだと認識する。なにかの意味を読み取るわけではない。が、それは、存在であって記号ではない。が、若い人は、「あ、タンポポだ」「あ、きれいだ」というふうに言葉の記号化しているだけなのではないかと思えることがある。批判しているわけではない。同じ世界にいながら、それは別の世界なんだろうと。そし

    心、他者というものの経験… - finalventの日記
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    castle 2009/10/02
    「私はなんとなくタンポポをただ見つめていることがある~それは、存在であって記号ではない。が若い人は「あ、タンポポだ」「あ、きれいだ」というふうに言葉の記号化しているだけなのではないかと思える事がある」
  • 現代思想の断層 - 池田信夫 blog

    ニーチェは「来るべき200年はニヒリズムの時代になるだろう」という言葉を遺し、狂気の中で20世紀の始まる前年に世を去ったが、彼の予言はますますリアリティを増しつつある。よく誤解されるように彼は「神を殺す」ニヒリズムを主張したのではなく、「神が自然死する」ことによって西洋世界が深い混迷に陥ることを予言し、それを克服する思想を構築しようとして果たせなかったのである。 書はこのニーチェの予言を軸として、ウェーバー、フロイト、ベンヤミン、アドルノの4人の思想をスケッチしたものだ。ウェーバーとニーチェという組み合わせは奇異に感じる人がいるかもしれないが、ウェーバーは姜尚中氏の描くような「市場原理主義」をなげく凡庸な合理的知識人ではなく、ニーチェの影響を強く受け、キリスト教のニヒリズム的な側面が近代社会の合理的支配を自壊させると考えていた。 中心は著者の専門でもあるアドルノ論である。ヒトラーによ

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    castle 2009/09/28
    「啓蒙は手段的合理性によって壮大な物質的富をもたらしたが、それはすべての目的や意味を否定するニヒリズムとなり、人々の精神的なよりどころを否定した」「古きよき神話的世界を人工的に復元することはできない」
  • 身体性 - Wikipedia

    身体性(しんたいせい、Embodiment)とは、身体が持つ性質を指す。 分野ごとに様々な定義がある。 *英語embodimentは動詞embody(身体化する・具体化する・体現するなど)の名詞形。「身体性」の訳語として用いられているが日語のニュアンスとい違っているため、各領域ごとに適切な言い換えをする必要がある。 哲学における身体性[編集]

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    castle 2009/09/27
    「英語のembodimentは動詞embody(身体化する・具体化する)の名詞形」「認知科学、人工知能では、物理的な身体があることによって、環境との相互作用ができることにより、学習や知能の構築にもたらす効果や性質を指す」
  • 3ToheiLog: わたしはあなたじゃありません。でもわたしはあなたです

    わたしはあなたじゃありません。でもわたしはあなたです {【警告】以下の文には、脈絡も意義もライフハックもビジネスチャンスも無いので、そういうのが必要な方は速やかに「Back」ボタンを押すことをお勧めします。 * タイトルに惹かれて、数学を勉強することの意味――「1+1」の思想 というエントリを読みかけてやめた。 なんかぴんとこない。 僕はたぶん日人の平均よりは、数学とかもしてはきたけれど、結局、「役に立つからやっていた」わけではない。やらないと気持ち悪かっただけだ。 たとえば、野球選手が「野球をすることの意味」というエントリを書いていてさ、「野球をすると健康によく長生きができる」とか、「野球をすると反射神経が鍛えられる」とか、「仲間と力を合わせることを学ぶ」言われても、多分、やっぱり眉をひそめると思う。 野球選手は、もともとは野球やりたくて野球やっているのだろう。(プロになったあと

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    castle 2009/09/26
    「(癖の本質は「意味」とかじゃ無く)反復の記憶。論理思考とか数学も」「モデル化できそうなパターンがあって、それを抽象化しないのも、僕には気持ちが悪い」「模倣欲求こそが、社会を、文化を、言語を作った」
  • 『「動機」「目的」ってなんだ?』

    大学院に入ったばかりの院生によくある風景。研究室のゼミだと思ってください。 (論文紹介編その1) 聴衆: …で、なんでまた著者はそんなこと調べようと思ったの? 院生: え?さあ~、人じゃないのでわかりません… 聴衆: いやいや、イントロに書いてあるでしょ? (論文紹介編その2) 聴衆: なんでそういう仮定をしたの? 院生: さあ~、したかったんじゃないですか? 聴衆: なんでしたかったのさ? 院生: 人じゃないからわかりません… 聴衆: それ説明できなかったら紹介する意味ないでしょ!! (研究発表編) 聴衆: …で、結局なにが面白いの? 院生: え?なにがって言われても、面白いと思ったんですが…なんかこういうの好きだし… 聴衆: いやいや、あなたの個人的な興味とか動機なんか聞いてないよ、どういう意味があるのさ? 院生: … 聴衆: だから、それを調べると、一体どういういいことがあるのさ

    『「動機」「目的」ってなんだ?』
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    castle 2009/09/26
    「科学が宗教や思想と決定的に異なるのは、客観的に検証が可能か、というところです(検証というものをどう捉えるか、となると哲学の領域に入っていき、そこでは科学も相対化されある種の思想の一つとなりますのが」
  • 技術への問い - 池田信夫 blog

    書は、ハイデガー晩年のもっとも重要な論文「技術への問い」を中心にして5の論文を集めたものである(復刊)。最初に断っておかなければならないのは、訳があまりにもひどく、とても通読できないということだ。たとえば有名な、技術をGe-stellという奇妙な言葉で表現する部分は、書ではこう訳されている:われわれはいま、それ自体を開蔵するものを用象として用立てるように人間を収拾するあの挑発しつつ呼びかけ、要求するものをこう名づける――集‐立(Ge-stell)と。この文を理解できる人は、まずいないだろう(訳者が理解しているかどうかも疑問だ)。私は原文を読んではいないが、英訳のほうがはるかにわかりやすい。英訳ではGe-stellはenframingと訳されており、自然を一定の枠組の中で理解し、利用することだ。 この論文が重要なのは、若きハイデガーが『存在と時間』で提起した形而上学批判という問題に、

    castle
    castle 2009/09/24
    「技術が対立するのは科学ではなく、自然がおのずから立ち現れてくるポイエーシス(生成」「近代科学の方法論は自然を受動的に見るのではなく、実験や工学的応用によって自然を「挑発」して真理を開示するテクネー」
  • なぜ幸せはお金では買えないのか マクロな形而上学とミクロな否定神学 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    マクロコンテクスト、ミクロコンテクスト 宝くじで一等にあたることは奇跡といってもよいだろう。そして人生さえもかえてしまう。しかし宝くじというシステムにとっては一等がでることは当たり前である。それを見越して収益が出るように統計的に設計されている。 たとえば飲酒運転の車に追突されてしまう。これは不幸でついていないことである。人生を狂わせて家族のその後さえも大変なものにしてしまう。あと少し時間がずれていれば事故にあわなかっただろう。しかしある交差点ではある確率で事故が起こるというような統計的な必然性があると言われる。 このようにミクロコンテクストでみると特異なことが、母数を増やして観測すると正規分布などの一定の分布に収まってしまう。だからマクロコンテクストではほんどの現象は確率論的な必然として回収されてしまう。たとえば背丈、あるいは性格、あるいは幸福な出来事も、不幸な出来事も、誰かに起こっただろ

    なぜ幸せはお金では買えないのか マクロな形而上学とミクロな否定神学 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    castle
    castle 2009/09/23
    「「生きたい」というミクロコンテクストの強い欲望は隠されている」「マクロコンテクストとは本質的に「お金」」「(「幸せ」は愛されて(ミクロ)達成する)全体の一部(マクロコンテクスト)では達成されない」
  • ジョルジュ・バタイユ - Wikipedia

    ジョルジュ・アルベール・モリス・ヴィクトール・バタイユ(Georges Albert Maurice Victor Bataille、1897年9月10日 - 1962年7月8日)は、フランスの哲学者、思想家、作家。フリードリヒ・ニーチェから強い影響を受けた思想家であり、後のモーリス・ブランショ、ミシェル・フーコー、ジャック・デリダなどに影響を及ぼし、ポスト構造主義に影響を与えた。 概説[編集] 1879年にフランスのビヨムに生まれる。父親は梅毒に侵され全盲状態であった。両親は無宗教であったが、人の意志で1914年にカトリックに入信。敬虔なクリスチャンとして過ごす。その頃から神秘主義的な素養が芽生え始めている。その後フリードリヒ・ニーチェの読書体験を通して1920年代の始めまでには無神論者となった。「死」と「エロス」を根源的なテーマとして、経済学・社会学・人類学・文学・芸術・思想・文化

    ジョルジュ・バタイユ - Wikipedia
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    castle 2009/09/14
    「ニーチェの読書体験を通して徹底的な無神論者となる」「死とエロスを根源的なテーマとして」「ブ米:「悪」こそが社会とエロティシズムの本質を嗅ぎ分けるにあたって最も必要欠くべからざるものだという思想」
  • フリードリヒ・ニーチェ - Wikipedia

    フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(独: Friedrich Wilhelm Nietzsche, 1844年10月15日 - 1900年8月25日)は、ドイツ・プロイセン王国出身の思想家であり古典文献学者。ニイチェと表記する場合も多い。 現代では実存主義の代表的な思想家の一人として知られる。古典文献学者フリードリヒ・ヴィルヘルム・リッチュル(英語版、ドイツ語版)に才能を見出され、スイスのバーゼル大学古典文献学教授となって以降はプロイセン国籍を離脱して無国籍者であった[1][2]。辞職した後は在野の哲学者として一生を過ごした。随所にアフォリズムを用いた、巧みな散文的表現による試みには、文学的価値も認められる。 なお、ドイツ語では「ニーチェ」(フリードリヒ [ˈfriːdrɪç] ヴィルヘルム [ˈvɪlhɛlm] ニーチェ [ˈniːtʃə])のみならず「ニーツシェ」[ˈniːtsʃə]

    フリードリヒ・ニーチェ - Wikipedia
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    castle 2009/09/14
    「ルサンチマン、超人、永劫回帰」「それまで世界や理性を探求するだけであった哲学を改革し、現にここで生きている人間それ自身の探求に切り替えた」「次々と生まれ出る真理の中でそれに戯れ遊ぶ人間を超人とした」
  • 判断力批判 - Wikipedia

    『判断力批判』(はんだんりょくひはん、独: Kritik der Urteilskraft)はイマヌエル・カントが1790年に刊行した哲学書である。上級理性能力のひとつである判断力の統制的使用の批判を主題とする。しばしば第三批判とも呼ばれる。第一部、美的判断力の批判と第二部、目的論的判断力の批判からなり、判断力に理性と感性を調和的に媒介する能力を認め、これが実践理性の象徴としての道徳的理想、神へ人間を向かわせる機縁となることを説く。 同時代の哲学や芸術理論に影響を与えただけでなく、美学、目的論、自然哲学においては現代も読まれる古典的大著である。また第1版の序論、通称第1序論は判断力批判だけでなく、カントの批判哲学の展開全体を考える上で重要な書であり、カッシーラー他の哲学者からも注目される。 成立事情[編集] 当初は「趣味判断の批判」として構想されたが、のちにカントは、美的判断である趣味判断

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    castle 2009/09/14
    「趣味判断(美的判断)と目的論的判断が、根底において同一の原理を持ち、統制的判断力というひとつの能力の展開として説明されうるという構想をうるに至った」「理性についての把握と構想力概念の展開を反映して」
  • 実践理性批判 - Wikipedia

    『実践理性批判』(じっせんりせいひはん、独:Kritik der praktischen Vernunft)はカントが著した哲学書である。1788年に出版された。カントのいわゆる三批判書(『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』)の一部を占めるため、第二批判(だいにひはん)と呼ばれることもある。 成立事情[編集] 概論[編集] 純粋実践理性(reine praktische Vernunft)は、経験(Erfahrung)からは独立して意志(Wollen)を規定する普遍的な道徳法則をわれわれに与える。すなわち、「汝の意志の格律(Maxime deines Willens)がつねに普遍的立法の原理(Prinzip einer allgemeinen Gesetzgebung)として妥当しえるように行為せよ(sollen)」(定言命法(der kategorische imperat

    実践理性批判 - Wikipedia
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    castle 2009/09/14
    「最高善を促進すべき希望が必要」「自由・魂の不死・神はみな証明されえず、認識の対象ではないが、しかし実践理性はこれらの概念を前提し、その上に己の法則を立てる。従ってこれらの概念は物自体に他ならない」
  • ルネ・デカルト - Wikipedia

    ルネ・デカルト(仏: René Descartes、1596年3月31日 - 1650年2月11日)は、フランス生まれの哲学者、数学者。合理主義哲学の祖であり、近世哲学の祖として知られる。 名前[編集] ラテン語名はレナトゥス・カルテシウス (Renatus Cartesius) である。デカルト座標系(仏: système de coordonnées cartésiennes ; 英: Cartesian coordinate system)、デカルト積(デカルトせき、英: Cartesian product)のようにデカルトの名がついたものにカルテジアン(Cartesian)という表現が用いられる。デカルト主義者もカルテジアン(仏: Cartésien ; 英: Cartesian)と呼ばれる。 概要[編集] 考える主体としての自己(精神)とその存在を定式化した「我思う、ゆえに我あり

    ルネ・デカルト - Wikipedia
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    castle 2009/09/14
    「我思う、ゆえに我あり」「明証的に《真》であると認めたもの以外、決して受け入れない事」「悪い霊を否定する」「機械論的世界観」「(能動としての)精神と(受動としての)身体との間に相互作用を認めたこと」
  • 機械論 - Wikipedia

    この記事には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2011年4月) 機械論(きかいろん、英: Mechanism、独: Mechanizismus)は、自然現象に代表される現象一般を、心や精神や意志、霊魂などの概念を用いずに、その部分の決定論的な因果関係のみ、特に古典力学的な因果連鎖のみで、解釈が可能であり、全体の振る舞いの予測も可能、とする立場。 哲学、そして、科学史の分野並びにその学際領域において扱われる名辞・概念、名称・用語であり、それらの分野では目的論や生気論と比較、対置されている。但し、具体的にどの見解に従って"機械論"とするのかは、論者、著書によって異なり、その"機械論"の性質も多少変わってくる。なお、「目的論」「生気論」の範囲についても同様である。ただし、大局的には、哲学史のみなら

    castle
    castle 2009/09/14
    「天候や地形、生命などの諸々の自然現象を、霊魂などの概念を用いずに、その部分要素の古典力学的で決定論的な因果関係の連鎖のみで解釈でき全体の振る舞いも予測できる、とした説、考え方や固定観念のこと」
  • [書評]脳の中にいる天才(茂木健一郎編・竹内薫訳): 極東ブログ

    「脳の中にいる天才」(参照)は、脳科学、心理学、人類学などの第一人者らによって学際的な視点から人間の創造性ついて語った講演録を翻訳・編集した書籍である。 元になる講演会は、2004年4月イタリア、ボローニャ近くのベルチノロ村の古城でソニーコンピュータサイエンス研究所主催で開催され、後、2007年3月、同研究所の所眞理雄氏と脳学者茂木健一郎氏の編集によって英書「Creativity and the Brain」(参照)として出版された。書はこれを科学ライターの竹内薫氏が翻訳した形になっているが、竹内氏自身も2004年の講演会に参加しており、訳者あとがきを読むと氏も実質編集に参加したように受け取れる。 講演では「創造性と脳」というテーマの下、7つの講演があり、書に収録されている。以下専門分野については同書には言及がない場合は私の判断で補った。 アラン・スナイダー(Allan Snyder:

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    castle 2009/09/13
    「(ミラーニューロン的には)コミュニケーションを含む対人的なインタラクションの環境が人の創発のサブリミナルな操作条件を作り出す」「創造性はそこでは、むしろその世界の自己運動の随伴的な現象として扱える」
  • ソーカル事件 - Wikipedia

    ソーカル事件(ソーカルじけん、英: Sokal affair)とは、ニューヨーク大学物理学教授だったアラン・ソーカル[注釈 1]が、1995年[注釈 2]に現代思想系の学術誌に論文を掲載したことに端を発する事件をさす[1]。 ソーカルはポストモダン思想家の文体をまねて科学用語と数式をちりばめた「無内容な論文」を作成し、これをポストモダン思想専門の学術誌に送ったところ、そのまま受理・掲載された。その後ソーカルは論文がでたらめな内容だったことを暴露し、それを見抜けず掲載した専門家を指弾するとともに、一部のポストモダン思想家が自分の疑似論文と同様に、数学・科学用語を権威付けとしてでたらめに使用していると主張した。 論文の発表につづいてソーカルは、フランスのポストモダン思想家を厳しく批判する著作を発表し、社会的に大きな注目を浴びた。 事件の経緯[編集] ソーカル論文の掲載[編集] 1994年、ニュ

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    castle 2009/09/09
    「数学・科学用語を権威付けとして出鱈目に使用した人文評論家を批判するために、同じように、科学用語と数式をちりばめた疑似哲学論文を執筆し、これを著名な評論誌に送ったところ、見事に掲載された事件」
  • 時はなぜ一方向なのか:観察者問題から説明 | WIRED VISION

    前の記事 紙飛行機で宇宙をめざす戸田拓夫氏 時はなぜ一方向なのか:観察者問題から説明 2009年9月 7日 Chris Lee(Arstechnica) サルバドール・ダリの彫刻『時のプロフィール』、画像はWikimedia Commons 学術論文を読んでいると、時々、これを掲載した編集者たちは「ソーカルされて」いるのではないかという疑問にかられることがある。つまり、いかにも科学的な言葉を並べたニセ論文にだまされているのではないか、という意味だ(「ソーカルされる」なんて言葉はないって? なら是非ともそういう言葉を作るべきだ)。 [ソーカル事件とは、ニューヨーク大学物理学教授だったアラン・ソーカル(Alan Sokal)が起こした事件数学・科学用語を権威付けとしてやたらと使用する、フランス現代思想系の人文評論家たちを批判するために、数式や科学用語をちりばめた疑似哲学論文を執筆し、これを著

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    castle 2009/09/09
    「宇宙全体のエントロピーを減少させることは可能であっても、我々はその系の中にいるため、その出来事を自ら観察する事は決してできないという」「時間の流れる方向が逆になると(記録も消えるので)観察できない」