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心理と哲学に関するcastleのブックマーク (476)

  • 超映画批評『スラムドッグ$ミリオネア』90点(100点満点中)

    『スラムドッグ$ミリオネア』90点(100点満点中) Slumdog Millionaire 2009年4月18日(土)より、TOHOシネマズシャンテほか全国順次ロードショー 2008年/アメリカ/カラー/120分/字幕翻訳:松浦美奈 配給:ギャガ・コミュニケーションズ 監督:ダニー・ボイル 脚:サイモン・ビューフォイ 作曲:A・R・ラフマーン 出演:デーヴ・パテル、アニル・カプール、マドゥル・ミッタル アカデミー作品賞は、まさにいまの時代にピッタリな一だった 今年のアカデミー賞は、未曾有の大不況&新大統領(しかも黒人)誕生という大ニュースがあったおかげで、例年に増して予想しやすい年であった。とくに作品賞ほか計8部門受賞した『スラムドッグ$ミリオネア』については、私も100%の自信で選ばれるだろうと考えていた。 もっとも私の場合は、作品の出来不出来でこれが命と読んだわけではなく、この

    castle
    castle 2009/04/17
    「大勢のごった煮会員が、「米映画業界振興のため(平たく言えばギョーカイが儲かるために)」もっとも適した作品に投票するのがアカデミー賞の根幹」「得ているようで、何も得ていない。人生の帳尻は合うものだよ」
  • 生命が「考える」命の値段 : 404 Blog Not Found

    2006年11月06日14:00 カテゴリValue 2.0 生命が「考える」命の値段 結局この問題でなぜ我々が苦しむかと言えば、現代人の考える命の値段と、生命の「考える」命の値段が違うから、ということになるのかも知れない。 partygirlの日記 - さくらちゃんと、途上国の子供の命の値段 では具体的にどうすればいいんだろう?生命が「考える」命の値段というのは、生命全体としての生存力(survivability)ということだ。個体の生死は問題にすらならない。ここでは「誰かが生き残る」ことが至上命題だ。「誰が」というのは問題ではない。 以前にも書いたが、同じ脊椎動物でも魚類はこの点において「優等生」だ。進化したものほど卵の数は多い。マグロなんて億のオーダーだ。しかも最初の「淘汰」は天敵ではなく共い。彼らがあずみを見たら、「え、共いは一回でいいの?」とか「あずみが生き残ったから爺の勝ち

    生命が「考える」命の値段 : 404 Blog Not Found
    castle
    castle 2009/04/16
    「生命が「考える」命の値段というのは、生命全体としての生存力ということだ。個体の生死は問題にすらならない。ここでは「誰かが生き残る」ことが至上命題だ。「誰が」というのは問題ではない」
  • 愚鈍なる人生の安逸 - Chikirinの日記

    “鋭敏な感覚”を持つ人というのは人生がつらいと思う。 特に若い時はそうだよね。 他の人が何も感じないことにこの世の矛盾が凝縮しているように感じるし、何気ない他人の言葉や表情の中に、絶望的な拒絶や身勝手な横柄さ、救いようのない愚かさを見た気になる。 そして一人で奈落の底まで落ち込んでいったりする、でしょ。 なんだけど、そんな人も年齢を重ねるごとに少しずつ愚鈍になる。 誰でもそうなるし、否応なくそうなる。 そしてそれはものすごく幸せなことです。 もちろんその人が希代の芸術家だというのなら、それは“才能の枯渇”を意味してしまう。 なんだけど、実際にはそういう可能性は 99.9%無い。 なので、大半のケースにおいて、年をとれば幸せになれる。愚鈍になることによって。 年をとると、他人とのほどよい距離感のとり方など、若い頃に余りにも難しいと感じたことも感覚的に理解できるし、“気にせずにすます”という技

    愚鈍なる人生の安逸 - Chikirinの日記
    castle
    castle 2009/04/07
    「人生も世界も圧倒的なレベルまで偶然に支配されていると気づくと、考え悩む事の無意味さもわかる。人生をかけて考え尽くすべき深遠なテーマだと思った事さえ、あまりに単純な原則の上に成り立っていると見えたり」
  • ぶくまで見かけて、そして全体象は皆目わからないのだけど。 - finalventの日記

    ⇒宮台真司/東浩紀@シカゴ 2009-03-31 - 日記&ノート(転叫院) 最初にお断りすると、宮台真司・東浩紀には私はもう関心ないです、単純に。 でちょっと気になったというか、別に反論とかではないけど。 アメリカで過ごしていて、アメリカ人や他のナショナリティに属する人の話を聞くたびに、僕は現代日の人々ほど、いわばサルトルが言ったような「自由の刑に処せられて」いる人たち、選択の自由と自己決定の義務に晒されている人たちはいないんじゃないかという感覚に捉われる。何も根拠はないけれど文化様式を選択しなくてはならないのだ。 そういう感覚もあるだろうし、そういう視点もあるのだろうと思う。 ただ、私というか、結果的にこの年こいてしまったその日の安逸な時代を生きてみて思うのは、たぶん、オウム事件のころに転機があったのだろうと思うけど、なんというか、リアリティというのが喪失した状態じゃないかなと。

    castle
    castle 2009/04/05
    「リアリティというのが喪失した」「実際には、所属コミュないし、信奉するイデオロギーあるいは美感、といった、そういう仮託された自己のラベルがまさに自己でしかありえないようなリアリティの世界なんだろう」
  • ハロルド・ウィンター『人でなしの経済理論 トレードオフの経済学』(山形浩生訳) - Economics Lovers

    ご恵贈いただきました。どうもありがとうございます。 書は経済学の基的な観点である、人間行動のありかた(費用と便益のトレードオフ……つまり損と得の比較)に注目することで、経済学を理解していない人たちでも容易に、経済学の基礎的な観点とそれを応用した実に幅広い話題の理解につながることを示していて爽快なです。以前、僕のブログでもふれたことがありました(id:hicksianさんから教えてもらったのです)。それが山形さんのわかりやすい訳文となって日の幅広い人が読めることになったのはラッキーなことでしょう。 書は単に理論的な話で終わるものではなく、実践的な観点から現代社会のさまざまな論争に、この費用と便益のトレードオフをもとに切り込んでいきます。人命の価値の計測、臓器の交換をめぐる論争、著作や医薬品の権利をめぐる論争、喫煙をめぐる論争(書はこの喫煙をめぐる論争にかなりの紙数を割いています)

    ハロルド・ウィンター『人でなしの経済理論 トレードオフの経済学』(山形浩生訳) - Economics Lovers
    castle
    castle 2009/03/29
    「経済学に好意的な人も、それを胡散臭く思う人も、ともに経済学的思考への防衛ないし参照として役立つ」「論理的に人でなしになりたい人も、そうではなく論理的な人でなしに対抗したい人もこの本を読むべき」
  • なぜアニメは成熟した喪失感を描くのに適しているのか 映画「スカイクロラ」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    映画「スカイクロラ」 遅まきながら、映画「スカイクロラ」(ASIN:B001NAW2MK) http://sky.crawlers.jp/tsushin/をDVD鑑賞。小説など事前の知識なく見たら、噂と違って?かなり楽しめました。平和を維持するために続けられる戦争。そしてその戦争のために生きるパイロットたち。大人になることがなく、戦死しても再生される。すなわち戦争劇のために永遠にいきることを強いられる。 "彼ら"の不思議はなぜ働きつづけるのか。ある意味で彼らは充足しているのでしょう。大人にならないこと、空を飛び戦うこと、また生き返ること、そして自分達の社会的な役割を。そこには、生きることの喪失感の第一段階である苦悩し自分探しをする青春ドラマではなく、もっとさめたアイロニカルなドラマがある。それはどこにも行き場かないことを受け入れるところからはじまる。 生きることの喪失感を描かせたら、現代で

    なぜアニメは成熟した喪失感を描くのに適しているのか 映画「スカイクロラ」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    castle
    castle 2009/03/17
    「生きることの喪失感を描かせたら、現代では日本人の右に出るものはいない。それは80年代以降、日本が豊かさの中で生きる事の喪失感を成熟させてきたから」「どんなに深刻に描こうが所詮マンガというパロディさ」
  • 村上春樹エルサレム賞受賞スピーチ「卵と壁」海外の反応:Haruki Murakami in Jerusalem

    Haruki Murakami made a powerful "Egg and Wall" speech at the 24th International book fair in Israel on February 15th, explaining his controversial decision to accept Jerusalem Prize while Israel is still at war. Back in Japan, the mainstream media reported as if Haruki expressed his strong objection against Israel, but his speech (full scripts) doesn't specify who's the Wall.  To me it sounds more

    村上春樹エルサレム賞受賞スピーチ「卵と壁」海外の反応:Haruki Murakami in Jerusalem
    castle
    castle 2009/03/15
    「貴方はパレスチナ人が世界10億人をこえるイスラム人口の一員である事をお忘れのようですね。彼らの多くは可能でありさえすればイスラエルを根絶したいと思っているのです」「我々はシステムを変えることができる」
  • 米国での学会用の英語配付資料の日本語版 - MIYADAI.com Blog

    ──────────────────────── 1992年以降の日サブカルチャー史における意味論(semantics)の変遷 ──────────────────────── 序 『サブカルチャー神話解体』以降の2つの変化 【『サブカルチャー神話解体』以降】 私は『サブカルチャー神話解体』(1993)などの著作を通し、戦後日のサブカルチャーの変遷史を、社会システム理論の枠組を用いて記述してきました。社会システム理論の枠組は、従来の「上部構造と下部構造の二元論」から区別される「コミュニケーション一元論」の枠組で、コミュニケーション以外のものを要素としないシステムのダイナミズムを記述します。 戦後復興の時代から高度経済成長の時代まで、すなわち1970年代前半までは、日のサブカルチャーは、経済決定論や下部構造決定論によって説明しやすかったのですが、耐久消費財がゆきわたって「モノの豊かさ」

    castle
    castle 2009/03/09
    「「現実」と「虚構」との差異がフラット化したせいで――すなわち「現実の至高性(paramountness of the reality)」が失われたことで――「現実の虚構化」と「虚構の現実化」の区別が実質を失いました」
  • 私の人生観を決定づけた大森荘蔵の言葉 - finalventの日記

    「物と心」より。 こうして如何なる解釈をとろうと、確率論は帰納の意味を明確にはしたが、帰納の問題に解決を与えることができなかった。むしろ確率論の経験への適応可能性が帰納の正当化に依存するのである。 正当化が論理的に不可能だ、ということも全く正しい。理由は簡単で、ヒュームの言う通り、過去が未来を些かでも規定するという補償が些かもないからである。しかも、何の正当性もなくわれわれは現に無数の帰納を行っている。それが定義上「合理的」だからである、と言うことは念入りな冗談という以外はない。 実はその意味で科学にはなんら合理性はなく、念入りな冗談に過ぎない。 合理性ではなく、それは賭に過ぎないと大森は言う。 この、未来と過去の類似、過去世界の世界像の未来への外挿はこれまで何の根拠もない独断的仮定として非難されてきた。しかし、これは仮定ではなく賭なのである。そして、何の根拠もない賭けなのである。 いかに

    私の人生観を決定づけた大森荘蔵の言葉 - finalventの日記
    castle
    castle 2009/03/03
    「確率論の経験への適応可能性が帰納の正当化に依存する」「科学にはなんら合理性はなく、念入りな冗談に過ぎない」「賭けという点で迷信と現代の科学は差がない」「我々はただ賭けるだけ。それが生きることだから」
  • 生きている意味が圧倒的にわからない

    生きている意味がわからない。 ミクロ的にはわからないこともない。自分の幸せのため自分を愛してくれている人の為子供のため社会の為種の保存の為 でもそれがなんだと言うんだろう?自分はいずれ死んでしまうし、自分を愛してくれている人も死んでしまうし、子供も死んでしまうし、人類だって滅びてしまう。そもそも、この宇宙だっていずれは停止する運命にある。要するに自分が何をやったとしても、もしくは何もやらなかったとしてもはっきりいって無意味だし無価値だ。 圧倒的な無意味の中でどうやって生きていけばいいんだ? どうすれば、自分の人生が価値あるものだと思えるんだ? 僕はつねに正しくあろうとしてきた。その正しさの根拠をどこかに求めようとしてきた。 人間は社会的動物である。では、社会に正しさの根拠を求めればいいのか?いや、社会的動物なのであれば生物として存在し続けること = 種の保存に則って生きていけばいいのか?い

    生きている意味が圧倒的にわからない
    castle
    castle 2009/03/03
    「自分の幸せ・自分を愛してくれている人の為・子供のため・社会の為・種の保存の為/でもそれがなんだと言うんだろう?自分はいずれ死んでしまうし、自分を愛してくれている人も、子供も、人類だって滅びてしまう」
  • 『生きている意味が圧倒的にわからない』へのコメント

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    『生きている意味が圧倒的にわからない』へのコメント
    castle
    castle 2009/03/03
    「まずは「意味」の意味を定義/気がついたらこの世に生を受け生きていた。意味が気になるのは後から/大道は無門にして千差路有り/生物の無目的性/意味の病/ぶっちゃけ脳の奴隷じゃね?生きている意味って」
  • 壁と卵(つづき) - 内田樹の研究室

    村上春樹のエルサレム・スピーチについて二件の電話取材を受けたと書いた。 電話取材というのはむずかしい。 30分ほどしゃべったことを5行くらいにまとめられているコメントの場合には、「言いたいこと」が活字になっているということはほとんどない。 私が「言いたいこと」というよりは記者が「理解できたこと」が書いてある。 場合によっては記者が「言いたいこと」が私の名前で書いてあるということもある。 たぶん読む方もそれくらいに割り引いて読んでくれるだろうから、あまり硬いことは言わないつもりである。 それでも、わずかな字数では意を尽くせないことがある。 私がそのとき言いたかったことをここに書きとめておきたい。 それは「壁」というメタファーについてである。 もっとも一般的な解釈は「壁」を政治的な暴力装置、「卵」をその犠牲者と見立てることである。 もちろん、村上春樹自身もその解釈を否定しているわけではない。

    castle
    castle 2009/02/20
    「「言葉にできる」というのは理解され、共有されるということであり、「かけがえのなさ」「代替不可能性」という「いのち」の定義に悖る。言葉にすることができないものが、私たちひとりひとりの「命」soul」
  • 無題のドキュメント 世界名言辞典から抜粋する

    世界名言辞典から抜粋する 校舎「いやぁあ!登校なのぉ!いっぱい生徒入ってくるぅ!」 【グロ注意】やる夫がセクロスに挑戦するようです 18巻 この画像を抜ける画像にしてみてくれ 部屋の掃除してたら、戦前の新聞が出てきたwwwww この画像をシュールにしてくれ おーいちょっとパイオツもってきて(`・ω・´) こういうの意外と簡単に作れるんだな メタルバンドのCDのジャケットって異様にダサいけど 今日お前んちで遊べる? 廃墟の画像とか貼ろうぜ コナンVSルパン三世でありそうなセリフ 2008年11月 良スレ選抜会 【フタナリ注意】やる夫がセクロスに挑戦するようです 17巻 ニヤニヤ出来るコピペください カレンダー「んっ…いやっ、そんなにめくらないでぇ///」 雪降ったからベンチに白い巨塔を建造した 夕暮れ画像がほしい。 【エロ注意】やる夫がセクロスに挑戦す

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    castle 2009/02/11
    「我々は泣き叫びながら生まれ、苦しみながら生き、失望して死ぬ。フラー/辛い人生より死を選ぶ。アイスキュロス「断片」/生への絶望なしに、生への愛はありえない。カミュ「裏と表」」「人生は暗いなぁオイw」
  • [書評]破綻した神キリスト(バート・D・アーマン): 極東ブログ

    もう少ししてから読もうかと思ったが、「破綻した神キリスト(バート・D・アーマン)」(参照)つい読み始めて、そして熱中して読んだ。書は昨日「極東ブログ: [書評]捏造された聖書(バート・D・アーマン)」(参照)でもふれた聖書学者バート・D・アーマン(参照)が、この世界の苦悩について聖書がどのように見ているか、その多様な見解を正確にまとめたものだ。「人はなぜ苦しむのか」という問いに聖書はどように、多様に、答えているかが、その多様さと整理の点で、きちんとまとめられている。哲学・神学的にはこの分野は神義論と呼ばれる。 書が類書の神義論とかなり異なるのは、それを聖書学者として客体的に描くだけではなく、著者アーマンがそれを自分の信仰との関わりのなかで真摯に問い、聖書の各種回答には納得できない、だから聖書の神を信じることはできない、と明言していることだ。このは彼の棄教のでもある。 邦題はそうした

    castle
    castle 2009/02/06
    「聖書に込められている神義論の神学をモデル的に抽出し~聖書を科学的に分解」「ほとんど人は苦しみについての話なんかしたくないのだ」「リベラルの申し立てでも保守派の申し立てでもない-人間の申し立てなのだ」
  • 超映画批評『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』75点(100点満点中)

    『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』75点(100点満点中) Revolutionary Road 2009年1月24日(土)より、丸の内ピカデリー1他全国ロードショー 2008年/アメリカ/カラー/119分/配給:パラマウント ピクチャーズ ジャパン 監督・製作:サム・メンデス 原作:リチャード・イエーツ 脚色:ジャスティン・ヘイス 出演:レオナルド・ディカプリオ、ケイト・ウィンスレット、キャスリーン・ハーン、マイケル・シャノン 「タイタニック」のカップル再び?! 「タイタニック」のカップル、レオナルド・ディカプリオ&ケイト・ウィンスレットは、いまや押しも押されぬ大スター。二人とも演技力もすこぶる高い。だが、役者としての特性は正反対といってよい。 レオナルド・ディカプリオは、これはもう彼の顔をひと目見ただけで万人が愛してしまう、好感度の塊をそのまま顔に配置したような、いわば正

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    castle 2009/01/30
    「「真実が大事」とのたまう妻に、ディカプリオがバカ正直に伝える「真実」。それが引き金となり事態はとんでもない方向へと転がっていく。そんな二人をあざ笑うかの如く「真実」の扱いに長けたある人物がとる行動」
  • われわれは、どちらかといえば、幸福になるためよりも、幸福だと人に思わせるために四苦八苦しているようである:アルファルファモザイク

    編集元:生活全般板より 64 おさかなくわえた名無しさん :2008/12/17(水) 03:38:38 ID:rmHW0G7B ロシュフコーではここら辺好きだな 「われわれは、われわれと同意見の人でなければ分別ある人とはまず言わない」 「やかましい養生のおかげで、やっと自分の健康を保っているのは、 何かやりきれない病気を思っているようなものである」 「自分の内に安らぎを見出せない時は、外にそれを求めても無駄である」 「賢者を幸福にするには、ほとんど何も要らないが、 愚者を満足させることは、何を以ってしてもできない。 ほとんどすべての人間が惨めなのは、そのためである」

    castle
    castle 2009/01/24
    「われわれは、われわれと同意見の人でなければ分別ある人とはまず言わない」「自分の内に安らぎを見出せない時は、外にそれを求めても無駄」「幸福だから笑うのではない、むしろ笑うから幸福なのだ」米欄面白っ
  • http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0338.html

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    castle 2009/01/15
    「広い天下におれに賛成する者なんて一人もいなかった(勝海舟)」「海舟はそういう時は「道」という一文字を思い描き、ひたすら自分で自分を殺すまいと誓っていた」「政治家の秘訣は何もない。知行合一をはかるだけ」
  • 足元を見よ - 内田樹の研究室

    ジブリが出している「熱風」という雑誌がある。 そこに宮崎駿が2008年11月20日に日外国特派員協会で質疑応答があったときのやりとりが採録されている。 宮崎駿が天才であることに異論のある人はいないだろう。 その天才はつよい思想に裏づけられている。 一読して驚いたのは、宮崎駿もまた「国内市場のサイズ」と「国内需要」を創作のキーワードに挙げていたことである。 宮崎はハンガリーの記者の「日の観客と世界の観客の違いを意識しているか」という質問にこう答えている。 「実は何もわからないんです。僕は自分の目の前にいる子供達に向かって映画をつくります。子供達が見えなくなるときもあります。それで中年に向かって映画をつくってしまったりもします。でも、自分達のアニメーションが成り立ったのは日の人口が一億を超えたからなんです。つまり日の国内でペイラインに達することができる可能性を持つようになったからですか

    castle
    castle 2009/01/13
    「私達にとって考えなければいけなのは)目の前にいる子供達」「そのような問いがなされる当のそのときに他ならぬ「これ」の前に私はいるように宿命づけられているという絶対的な確信」「足元を見ろ。それがお前だ」
  • アルトゥル・ショーペンハウアー - Wikipedia

    アルトゥール・ショーペンハウアー(独: Arthur Schopenhauer,1788年2月22日 - 1860年9月21日)は、ドイツの哲学者[1]。主著は『意志と表象としての世界』(Die Welt als Wille und Vorstellung 1819年)[1]。舞台発音ではショーペンハウエル、ショウペンハウエルとも[2]。 生涯[編集] 幼少時代[編集] 少年時代のショーペンハウアー。 アルトゥール・ショーペンハウアーは1788年、富裕な商人であった父ハインリヒと、名門トロジーネル家の出身であった母ヨハンナ・ショーペンハウアーの長男としてダンツィヒに生まれる[3]。 1793年(アルトゥール5歳)、ダンツィヒがプロイセンに併合された際に一家はハンブルクへ移住、妹アデーレが生まれた1797年(9歳)には当時の国際語であったフランス語習得のためルアーヴルの貿易商グレゴアール・ド

    アルトゥル・ショーペンハウアー - Wikipedia
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    castle 2009/01/12
    「世界は私の表象であり、世界の本質は生きんとする盲目の意志である」「いかなる客観であっても主観による制約を受けている」「あらゆる表象、即ちあらゆる客観は現象である。だがひとり意志のみは物自体である」
  • ハイデガーとか - finalventの日記

    ちなみに私のハイデガー観みたいのはこれが多めに書いたかな⇒極東ブログ: ハイデガー「技術論」から考える新しいゲシュテル あとこれもかな⇒極東ブログ: [書評]反哲学入門 (木田元) これはfinalventってバカなんじゃないのとかデカルト読んでなさげな人たちに言われたけど⇒極東ブログ: 「我思う故に我有り」は微妙に誤訳なんじゃないか でと。 レスではないけど⇒ハイデガーについてもうひとこと言っておくか。 - 呂律 / a mode distinction しかも文脈は違うけど。 自分とハイデガーの出会い♥をちょこっと。 最初にずばっと言ってしまうと、ハイデガー好きのみなんさんは、ハイデガー好きになる前に、哲学史というか西欧の哲学史の危機みたいな知の雰囲気に惹かれすぎていると思うのですね。そしてだから、コジェーブ、サルトル、デリダみたいなふうなものに、ちょっと悪口みたいな言い方だけど、酔っ

    castle
    castle 2009/01/03
    「後期ハイデッガーの思想が凝縮した形で表明されている。「故郷喪失」の現代の「世界の運命」のなかで、私たちは存在の「開けた明るみ」の場のうちに「住む」ことを学び直さねばならない、と」